囲碁とロック

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「イベントの流れを止めても、差別を指摘することができます。」

2022-02-14 18:26:43 | 囲碁の入門書

どうも、囲碁の先生してます関です。

 

(第2回は2月27日!まだ空席あります!)

 

先日、平井の本棚で1月30日に行われました
入門書の歴史 第1回の動画をアップしました。

前後編で2本になっております。

 

前編では、明治42年の入門書『大日本囲碁解釈』を紹介。
ドヨメキが起こるくらい、現代と感覚が違う点を頑張って伝えてみました。

 

 

後編では、現代に向けて入門書が変化していく流れをお話ししています。
石倉昇プロの1994年の本あたりから、現代的な潮流ができあがるのではないか(「現代入門書」)

ということを考えてみました。

 

テーマ的にお堅いところはお堅いものになっていますが、
笑いありドラクエありで進めることができたんじゃないかと思います。


発表の内容については、ひとまず動画に任せるとして
自分が研究をして何かを発表するときに気を付けることにした点がありますので、

今回はそれを紹介してみたいと思います。

 


☆流れに関わらず指摘していただいて構いません

 

まず最初に、二つのことを表明しました。

 

 

このうちの後者が、今回特に大切に思っていることです。

今回の「入門書の歴史」というテーマでやるにあたり
もっとも大きな存在感を持った人の本の中で、どうしても見過ごすべきでない、
女性差別的とみられる箇所がありました。
第2回の「入門書とジェンダー、明治と『青鞜』」で指摘する予定でおります。

入門書を書く技術の積み重ねは凄いものであることを動画で解説していますが、
同時に、囲碁界がずっと抱えている問題点もあったのです。
(その人だけでなく、全体の問題とも見たいところです。)
それをスルーして発表することは、特定の属性の人が踏みつけられているのに、何もなかったことにしてしまうのに等しいと思いました。


とはいえ、書いた人も、それを指摘しようと思っている私も、男性です。
私は、男性以外の者としての主観を持ったことがありません。
研究書やほかの人の意見も参考にしていますが、
それでも私が完璧に話せるとは考えていません。

つまり私が無自覚に差別してしまう危険もあると思います。
それもまた、そのままにしておくべきとは思えません。


本来、どんな場合でも差別は指摘されてよいものです。
しかし、なかなかできることではありません。
具体的な人間関係のなかで、とっさにはもちろん、後からでも指摘することには大変な困難があることがほとんどでしょう。
私がこの会をこのテーマで開くのですら、怖がりながら(今も)悩んだすえに決断したものです。

そこで、「場」のシステムからそうしちゃおう。
差別と感じたら指摘してよい、という決まりを作りたいのです。

今回いちばん喋るのは私なので、ひとまず「関自身の発言」にしました。

「もし私の発言により、どなたかが抑圧を受けてしまった場合は、
イベントの流れを止めても指摘することができます」ということを明示しました。

イベントの最中でも後回しにせず対応しますし、終わった後でもいいです。


わざわざこの明示をすることには(特に囲碁の世界では)意味があると思っています。


囲碁の世界は、昔から「囲碁が強い人が雲の上」みたいな雰囲気があります。
それはプロ棋士のことでもあるし、
たとえば囲碁部や同好会において、その中で一番強い人がエラくなっちゃったりしがちです。
何気ない会話でもそうですが、特に囲碁を教わっているときに、
どんな発言でも、「強いから」許されてしまうかもしれません。
一方的に厳しいことを言ったり、怒ったりしても。
(最近は減ってきていると信じますが・・・。)

もしそうだったとして、指摘できるだろうか。

 

加えて、囲碁は伝統的に男性のプレイヤーのほうが多いものでしたから、
男性&囲碁強い人が、大きな力を持ちやすいという傾向があります。
この言い方が良いか分かりませんが、マジョリティになりやすい。
私は、囲碁が強いほうの男性であるので、その点を自省しつつ臨むべきだと思います。


また、参加した囲碁の会が、問題なく楽しく進んでいたとします。
楽しく成り立っているのは素晴らしいことですし、このイベントもそうでありたいものです。

しかしその途中で、些細にも思えるけれど、引っかかることを言われたとします。
相手に悪気はなさそうです。忘れようと思うけれど、なんかモヤモヤしてしまいます。
(「マイクロアグレッション」のようなもの)

そういう場合にも、言えるような場にしたいのです。

「せっかくの楽しい場だから、壊してしまうのは申し訳ない。」
「些細なことだから、それを指摘するのは不快に思われるのではないか。」

という思いが歯止めになってしまいます。

「いや、いいんです、そちらのほうが大ごとです」
というメッセージを、場のシステムによって出すことができるかも知れません。

いきなりすべてが変わらないかも知れないけれど、
少なくとも私のいるところでは、そうしたいと思います。


このようなことを「息苦しい」と評する人がいる世の中だと思いますが
私はこうした考え方があることで、生きるのがだいぶ楽になったひとりです。

 

2月27日(日)の第二回も、しっかり準備して、興味深い発表にしたいと思います。

ぜひご予約ください~~!



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