ガラルダ神父さま 土曜入門講座・聖書研究会 カトリック麹町 聖イグナチオ教会  †St.Ignatius Church†

キリスト教への理解を深め イエスさまの愛と救いを学ぶ 聖書のわかりやすい箇所を読み生きる愛するという意味を考えます

†9月29日の講義録†

2007年10月06日 | 講義録
★ルカ16章19~31節:金持ちとラザロ★
・金持ちはラザロに対して2つの罪を犯している。
 ①積極的に良いことをしないという罪
 ②気が付かないという罪
金持ちであることが罪なのでは無く、ラザロに対してすべきことを何もしなかったことが罪である。
マタイ25章に記されている『主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか』。そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、私にしてくれなかったことなのである』
という福音が理解を深める参考になる。金持ちは、悪いことはしなかったが良いこともしなかったことが罪となった。
★ルカ9章18~22節:ペトロ、信仰を言い表す・イエス、死と復活を予告する★
・ペトロが言った「神からのメシア」とは救い主という意味。イエスは死んだ後も救い主であり続ける。
・なぜ苦しみやいたみを癒しに行くのか→苦しみを、愛と忠実性と信頼感で受け入れる。
★マタイ12章38~42節:人々はしるしを欲しがる★
・私たちは決定的なご利益的なしるしを求めてしまうが、それは避けなければならない。素直な謙虚な自信で人からの愛を信じて受け入れることが大切である。
★マタイ20章20~28節:ヤコブとヨハネの母の願い★
・ヤコブとヨハネの母は愛する人を大切に思う心でイエスに二人の息子の権威を望んだ→権力、権威などを求める心、目立とうとする精神などは避けるべきである。
†振り返って†
金持ちとラザロの朗読を聞いている時に、ヤコブの手紙2章“行いを欠く信仰は死んだもの”を思い出し、朗読中に拘わらず思わず14~26節を開いて読み返した。
『わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです』
研究会に参加し、聖書対する理解を深める自分に満足していてはいけない。キリストを想い、日々の生活の中で実践することでキリストの精神に寄り添うことができたならば。忙しい日々の生活の中でも、優しさや思いやりを失わずに、より誠実で真実なキリスト者でありたいと強く願った。(K)

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