ガラルダ神父さま 土曜入門講座・聖書研究会 カトリック麹町 聖イグナチオ教会  †St.Ignatius Church†

キリスト教への理解を深め イエスさまの愛と救いを学ぶ 聖書のわかりやすい箇所を読み生きる愛するという意味を考えます

†2008年9月27日の講義録†

2008年09月27日 | 講義録
フィリピの信徒への手紙2章1~11節
マタイによる福音書21章28~32節

聖パウロ
口だけで行いが伴っていただろうか?
何について回心するか? 
⇒「利己心」と「虚栄心」   
 利己心=エゴイズム   
 虚栄心=自惚れ 
全ての悪はここから始まる。(私さえ良ければ、という思い。)
何事においても相手は自分よりも優れていると思いなさい。 
人に「仕える」
へりくだるよりも相手を「高める」
相手のよいところについて神様と話し合う。ここから謙遜が生まれる。
本当に心から相手の良いところを誉め、感動する。(お世辞ではなく)
見本はイエス・キリスト。自分が損して、痛みを感じても仕える。  

カトリックの教えについて学ぶ 『使徒信条について』
”天地の創造主”
創造とは、無から何かを作ること。
ビックバンの前に何かがあったのでは? 
→神の存在があったのでは?
アウグスチヌス
トマスアクイナス
神を定義したり証明することはできない。
神は理性と経験と想像を超えるものだから。
ヨハネ ”神は愛である”
→神の特徴であるが定義ではない

YAHVE(I am〝the I am〟)
 ①存在の源、命の源、愛の源
 ②命そのもの、愛そのもの
③生きる存在(理性と自由のある独立した存在=ペルソナ)
④共にいて下さる存在(”私は神の内におり、神は私の内におられる”)

「唯一の神」ということの解釈
(戦争)神は唯一である、だからあなたの神は本物の神ではない。
(平和)神は唯一である、だから皆兄弟である。協力によって尊敬し合い、友情と愛が生まれる
”天におられる私たちの父”
 「天」とは ・恵みの源        
       ・上から見ている      
       ・神秘的である(圧倒されるspaceである) ということの象徴。
空気は私たちを超えると同時に肺の中まで入り込む。
空気をもたらす天は、心の最も深いところにいらっしゃるというシンボル
神は親
様々な疑問が残っても、なぜ神を信じるのか?
 ⇒”私の行いを見て信じたい人は幸いである”  

マタイ福音書5章33~37節 『誓ってはならない』
神にかけて誓うときは、絶対に嘘はない。
真実を誠意に言えば嘘はない。
事実の半分しか言わないのも嘘。(自分の都合の良いことしか言わない)
自分に誠実であるとは、正当化しない、美化しないということ。
自分を信じられなければ、誰も信じられない。


11月22日は休講です。
入門希望者は神父様と面接を致します。
    15時45分にアルペホールにお集まりください。(来週以降も随時行います。)

†2008年9月20日の講義録†

2008年09月20日 | 講義録
イザヤ書55章6~9章御言葉の力
マタイによる福音書20章1~16章「ぶどう園の労働者」のたとえ

「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」
→現代の私たちにはなかなかできない考え方

当時のユダヤ人の考え方には
①一番先に信仰を得た
②立法を守っている
という驕った優越感が強かった。

この為、ユダヤ人よりも異邦人が、キリストの精神を素直に受け入れた。

私たちが大切にされるのは権利でなく送りもの
=私たちが愛されるのは権利でなく送りもの
という謙虚な考え方で人と接して生きる。

「ぶどう園」とは「神の国」のたとえ。
「ぶどう園」で働くということは「神の国」で働くということ。

人を大切にするときには、純粋な愛(=無償の愛)であるアガペーでする
結果として来るご褒美を期待することはあっても、感謝などの報酬を期待したり
目的にしてはいけない。

バラ差し上げる手にはバラの香りが残る
バラの綺麗な花を失っても、その香りが残るだけで素敵
→純粋に人を大切にする。

理解・関心・感謝
・笑顔
・人が助かる
・神さまが喜ぶ(助けられた人を見て喜ぶ、助けた人を見て喜ぶ)
・自分を好きになる(自己嫌悪から救われる)
・反省する機会を与えられる(相手の立場からものごとを考える)
・純粋な愛をもって考える

ヨハネによる福音書3章13~17節イエスとニコデモ

十字架は愛のシンボル

上げられるとは
①十字架に上げられる
②天に上げられる
という意味。
 
十字架と救いと痛みには意味がある
十字架と救いと痛み自体には何の意味もない
そこ(その犠牲的精神)に愛を込めて、そして初めて意味が生まれる。

キリストが十字架につけられた時の言葉
○主よできればこの苦しみを避けたい、杯を遠ざけたい
○私が公に言っていることは真実、私が悪いことを言ったのならば悪いところを教えて下さい
○主よなぜ私を見捨てられたのですか?(主よ私が見捨てられていないことを感じさせて下さい)

このキリストの試練に立ち向かう姿から
私たちも苦しいことがあっても余り文句を言わないようにして生きることを学ぶ。
悲しい試練があるときには、キリストのように静かに耐えて、苦しみを受け入れる。
いつも不平不満の雰囲気を持っているのはダメ、神さまに向かって、人に向かって、いつも文句を言うのは良くない。

イエスと共に、文句を言わないで黙って歩くようにする

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『ひぐらしのく頃に』

Frederica Bernkastelの詩より

(鬼隠し編)

どうか嘆かないで。
世界があなたを許さなくても、私はあなたを許します。

どうか嘆かないで。
あなたが世界を許さなくても、私はあなたを許します。

だから教えてください。
あなたはどうしたら、私を許してくれますか?

(祭囃し編)

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその享受。

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその履行。

私だって幸せになる権利がある。
難しいのはその妥協。

(綿流し編)

あなたの乾きを癒せない。
真実を欲するあなたがそれを認めないから。

あなたの乾きを癒せない。
あなたの期待する真実が存在しないから。

それでもあなたの渇きを癒したい。
あなたを砂漠に放り出したのは私なのだから。

(祟殺し編)

井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外に何も興味がなかったから。

井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外で何があっても関係なかったから。

そしてあなたも幸せでした。
井戸の外で何があったか知らなかったから。

(Gファンタジー)

私が一番不幸だった。
この迷路に出口がないことを知っていたから。

次に彼が不幸だった。
この迷路に出口がないことを知らなかったから。

その他大勢は不幸ではなかった。
自分たちが迷路の中にいることすら知らなかったから。

(ガンガンパワード)

何が罪かわかりますか。
知恵の実を口にしたからではありません。

何が罪かわかりますか。
蛇の甘言に耳を貸したからではありません。

まだ罪がわかりませんか。
それこそがあなたの罪なのです。

(盥回し編)

あなたの見たいものは、なんですか?
私がそれを見せてあげましょう。

あなたの聞きたいことは、なんですか?
私がそれを教えてあげましょう。

だけど、期待はしないでください。
目と耳を閉じているあなたにはきっと無駄なことだから。

†2008年9月6日の講義録†

2008年09月06日 | 講義録
★エレミア20章7~9章:エレミアの告白★
★マタイ16章21~27章:イエス、死と復活を予告する★
イエスに従って、厳しい道を歩む。
永遠の命とは、次の4つに当てはまる。

①神と仲良く生きる
②人間と仲良く生きる
③自然と仲良く生きる
④自分と仲良く生きる

惑わすとは、引き連れられて、神さまが呼んで下さる、誘ってって下さる
→そして実を任せる。神のグラチアが心の中に入って、愛を感じさせて下さる。

★マタイ10章7~13章:イエス、死と復活を予告する★

お金に頼らない、何も持たない、良い心を信じる
平和を作るために、人を癒すために、というとっても綺麗な使命感。
そして悪を追い出す。
現代人は飽きっぽい、簡単に飽きる、友達、配偶者などもすぐ捨ててしまう。
人間に対しても、めんどくさくなったら、直ぐ別れるが、それではいけない。
便利でない人は無視する傾向があるが、我慢して、仲良く生きるようにする。
その人の良い所を、痛みを感じるまで愛する。
冷たい態度はダメ、この人を失ったら全てを失う気持ち。

★マタイ5章20~26章:イエス、死と復活を予告する★

義人とは人間の前でも神さまの前でも正しい人。
隣人とは近くにいて利益になる人ではない。
隣人とはあなたを必要としている人のこと。
愛の反対の言葉は憎しみよりも無視することと言える。
人の目に見える、見られて褒められる為に、良い行いをするのは、神さまは喜ばない。
右の手のすることを、左の手に教えない。
パリサイ派の人たちは、見られる為に、良い行いをしていたが、私たちもその傾向がある。パリサイ派の人と謙虚な徴税人のたとえ。パリサイ派の人は人を裁いた。
心の綺麗な人は人を見下したり、人を裁いたりしない。
神を知らない人は、愚か者。人を殺すには武器はいらない、口の暴力で人を傷つけるのは、決してしてはいけない。
神さまは人間関係から逃避する道具ではない→神さまは逃げ所ではない。
人と喧嘩になった時には、相手の立場で考える。場合によっては、離れた方が良い場合もある

神さまは、次の3つを望んでいる。
①復讐を望まない
②その人の不幸を望まない
③その人の本当の幸せを祈る

「休講の予定」
9月13日
11月1日
12月27日

入門式
11月8日に変更