イザヤ書5章1~7節ぶどう畑の歌
マタイによる福音書21章33~43節「ぶどう畑と農夫」のたとえ
ぶどう畑とは
①イスラエル
②教会
③人間の心 のこと。
神が私の心であるぶどう畑で良いぶどうを植えたのに、何故すっぱいぶうが生まれたのか?
○2人の息子のたとえ(長男は悔い改めた、弟は悔い改めなかった→ヨハネを受け入れないなど)
○婚姻の披露宴のたとえ
○悪い農夫のたとえ(今日の福音)
捨てられた隅の親石が、真ん中で全てを支える
→この隅の親石こそが、イエス・キリスト
しもべは預言者たちのこと
息子はイエス・キリストである。
A・マチャド(スペインの詩人)
「風が私の庭に来てジャスミンを持ってきて、バラの香りを運んで行く」
(庭は私の心)
年を取ると、自分が普段考えること、普段することは自分の行いによって、自分になってくる。
人の心は、エゴイズム、自惚れ、妬み、不信感、不満などで暗くなる
→テサロニケ5章「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」
どうすれ良いか?
「精霊を消さないでイエスを常に隅の親石にする」
YAHVEは「命そのものであり、生きる存在であり、私たちを愛して下さる」
肺の底まで入って、永遠の命を感じさせて下さる
人間の苦しみと神の愛について
イエスさまは、全能の父である神という
信じる人は信仰をすてる
信じない人は不信仰の確認
神さまに対する二元論
「苦しみは悪魔のせいで、喜びは神様という考え方」
アルベール・カミュ
「私たちの制度を作るのを私たちに任せてくれれば、もっと良い制度を作った」
キリストが一緒に苦しんで下さるので、人間の自然法則から幸せを自分で作る
神さまは人間に自由を与えた
イマヌエル・カント
「神さまは既に作られた幸せを人間に与えたのではない、自由と理性を与えられた」→自分の自由を理性を、正しく使って自由や幸せを掴む
キリストの苦しみに対する態度から学ぶ
①自分が苦しんでいる時に、何故と質問しない
②不幸は天罰では無い
③人の苦しみを癒す
苦しみを無くしたいという姿勢→苦しんでいる人は幸いである
イエスさまの判官びいきは、同情から生まれる
「貧しい人、苦しんでいるいる人は幸いである」
キリストの価値観は不幸は罪であり、幸せは愛
貧しい人は、愛に近いので幸いである
貧しい人、苦しんでいる人は、謙遜になる、感謝の気持ちは愛に近い
①謙遜は愛に近い、
②感謝の気持ちが深くなる
③苦しんでる人は共感できる
④忍耐力ができる
人間関係には忍耐が必要、忍耐力が無ければダメ
マタイ7章、ルカ5章に学ぶ
謙遜な姿勢→綺麗な心の貧しい人は幸いである
心の綺麗な人は、外から入って来るものを良くすることができる
アローモ
「アンデス山脈で自分の苦しみを花にしてくれた」→心が綺麗だから感じられる
何故キリストを信じるのか
①信じたければ信じる
②信じたくなければ、信じない
キリストの生き方は、素晴らしい、好き。今は説明が無いが信じたい、何時か分かる。思い込みでは無く、信じたい人は、幸いである
11月 1日(休講)*ハロハロ会のコンサートがあります
11月 8日(入門式)17時~マリア聖堂
11月22日(休講)
11月30日(志願式)10時30分~教会合同(主聖堂)にて
マタイによる福音書21章33~43節「ぶどう畑と農夫」のたとえ
ぶどう畑とは
①イスラエル
②教会
③人間の心 のこと。
神が私の心であるぶどう畑で良いぶどうを植えたのに、何故すっぱいぶうが生まれたのか?
○2人の息子のたとえ(長男は悔い改めた、弟は悔い改めなかった→ヨハネを受け入れないなど)
○婚姻の披露宴のたとえ
○悪い農夫のたとえ(今日の福音)
捨てられた隅の親石が、真ん中で全てを支える
→この隅の親石こそが、イエス・キリスト
しもべは預言者たちのこと
息子はイエス・キリストである。
A・マチャド(スペインの詩人)
「風が私の庭に来てジャスミンを持ってきて、バラの香りを運んで行く」
(庭は私の心)
年を取ると、自分が普段考えること、普段することは自分の行いによって、自分になってくる。
人の心は、エゴイズム、自惚れ、妬み、不信感、不満などで暗くなる
→テサロニケ5章「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」
どうすれ良いか?
「精霊を消さないでイエスを常に隅の親石にする」
YAHVEは「命そのものであり、生きる存在であり、私たちを愛して下さる」
肺の底まで入って、永遠の命を感じさせて下さる
人間の苦しみと神の愛について
イエスさまは、全能の父である神という
信じる人は信仰をすてる
信じない人は不信仰の確認
神さまに対する二元論
「苦しみは悪魔のせいで、喜びは神様という考え方」
アルベール・カミュ
「私たちの制度を作るのを私たちに任せてくれれば、もっと良い制度を作った」
キリストが一緒に苦しんで下さるので、人間の自然法則から幸せを自分で作る
神さまは人間に自由を与えた
イマヌエル・カント
「神さまは既に作られた幸せを人間に与えたのではない、自由と理性を与えられた」→自分の自由を理性を、正しく使って自由や幸せを掴む
キリストの苦しみに対する態度から学ぶ
①自分が苦しんでいる時に、何故と質問しない
②不幸は天罰では無い
③人の苦しみを癒す
苦しみを無くしたいという姿勢→苦しんでいる人は幸いである
イエスさまの判官びいきは、同情から生まれる
「貧しい人、苦しんでいるいる人は幸いである」
キリストの価値観は不幸は罪であり、幸せは愛
貧しい人は、愛に近いので幸いである
貧しい人、苦しんでいる人は、謙遜になる、感謝の気持ちは愛に近い
①謙遜は愛に近い、
②感謝の気持ちが深くなる
③苦しんでる人は共感できる
④忍耐力ができる
人間関係には忍耐が必要、忍耐力が無ければダメ
マタイ7章、ルカ5章に学ぶ
謙遜な姿勢→綺麗な心の貧しい人は幸いである
心の綺麗な人は、外から入って来るものを良くすることができる
アローモ
「アンデス山脈で自分の苦しみを花にしてくれた」→心が綺麗だから感じられる
何故キリストを信じるのか
①信じたければ信じる
②信じたくなければ、信じない
キリストの生き方は、素晴らしい、好き。今は説明が無いが信じたい、何時か分かる。思い込みでは無く、信じたい人は、幸いである
11月 1日(休講)*ハロハロ会のコンサートがあります
11月 8日(入門式)17時~マリア聖堂
11月22日(休講)
11月30日(志願式)10時30分~教会合同(主聖堂)にて