ガラルダ神父さま 土曜入門講座・聖書研究会 カトリック麹町 聖イグナチオ教会  †St.Ignatius Church†

キリスト教への理解を深め イエスさまの愛と救いを学ぶ 聖書のわかりやすい箇所を読み生きる愛するという意味を考えます

11月3日は休講です

2007年11月03日 | 講義録
11月3日は休講です。
11月10日は16:30から17:00まで講座(いつもと同じアルペホール)、17:00から18:00までが入門式(マリア聖堂)になります。

†10月27日の講義録†

2007年11月01日 | 講義録
★テモテへの手紙ニ4章6節~8節:最後の勧め★
・キリストの恵みというものは、選ばれた人にのみ与えられるものではなく、
待ち望む人には、誰にでも与えられるもの。
・義の栄冠を受けるとは、自分が死ぬときにキリストに会うということ。
・これは、決して、死にたいと思うことではなく、キリストに会いたいと思うこと。

★ルカ18章9節~14節:「ファリサイ派と徴税人」のたとえ★
・この節に題名をつけるとしたら“謙遜”
・貧しい人とは、謙虚である。マタイ福音書にも「心の貧しい人は、幸いである」と
書かれている。これは「謙遜な人は・・」と置き換えて言える。
・ファリサイ派の人々は、自己の正しさを自己で誉め、感謝していると言っている。
これは、本当の意味で感謝している訳ではない。
・ファリサイ派は自己の見た目の行いを評価しているが、信仰は見た目では分からない。
それは、ちょうどワインのようなもので、見た目では分からなくても、飲めば分かる。

・謙遜とは、自分が返すことの出来ない思いを、素直に受け取るということでもある。
・文句を言うのではなく、感謝しながら愛を込めて、喜んで仕えることである。
・しかし、謙遜して神に許しを求めてばかりいるのも良くない。
 改心の気持ちを願ったほうがいい。本当に悪かったと思えば、自然と赦される。

★マタイ22章1節~14節:「婚宴」のたとえ★
・招かれると選ばれるは違う。選ばれる人は、残る人である。
・預言者というのは、大体殺されている。権力のある人に向かって“分かち合おう”といったから。
・“婚礼の礼服を着ていない”とは、クリスチャンになるのは簡単でも、クリスチャンでいるのは大変ということ。

★ヨハネ1章45節~51節:イエスは命のパン★
・人を大切にすることによって、神に近づきなさい。
・イエスは、真実を誠実にいうので、いつも、同じ事を言っている。
・ナタナエルは「どうして?・・」とイエスに尋ねる。一言でピンときて、心が変わる、
というのはよくあること。
・信仰とは、常に前進していなければならない。それは自転車が走っていないと倒れてしまうのと同じ。
・愛も、友情も、そのままでは駄目。いつも“より深めて”いかなければならない。

★マタイ23章1節~12節:律法学者とファリサイ派の人々を非難する★
・「だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる」この一節は聖書の中で何度も出てくる。
・ファリサイ派と律法学者は立派なことを言うが、言うだけで実践していない。
大切なのは、“自分が”実践すること。
(R)

†10月20日の講義録†

2007年11月01日 | 講義録
★ルカ18章1~8節:「やもめと裁判官」のたとえ★
・祈りの力を信じる信仰を持っているのか?この福音は祈りの力について語られている部分である。
・祈りについては、マタイによる福音書7章7-8節「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」など聖書の様々な場面で語られている。
・祈っても一度神様に願いが断られてから、後に叶えられることもある。このやもめも祈りが断られたが、何度も頼んで神様に祈りが届いた。
・では、叶えられない時に祈りは何の意味を持つのか→無駄だったのか?2つの答えがある。
①知恵が与えられる
仕方がないので綺麗に諦めて落ち着きを感じる為の知恵が与えられる。
②大事なことが見えてくる
その悩みの小さいことや、それほど悩まなくても良いことが解る。特に、エゴイズムやプライド、妬みから生まれる悩みは、大したことではない。
・イエスさまのゲッセマネの祈りが参考になる。神様はイエスさまの悩みを取り除かず祈りは聞き届けられないが、「おまえの悲しみを知っている」と一緒に悩んで受け入れて下さる。ゴルゴダの丘に上がり、十字架の上で死ぬことを受け入れる勇気は祈りを通して得られた力である。
・人の為に祈る場合も、その人の為に祈ることで共感する心を育て、その人の痛みを感じることができる。
★マタイ19章23~30節:金持ちの青年 ★
・金持ちとは、分かち合いををしない金持ちのこと。神の国は分かち合いの場であり、平等である。
・人間は自分の努力だけでは救われない。愛されることは相手から頂く贈り物であり、その贈り物は感謝して謙遜に頂くことが大切。
・神は私たちにGraciaを下さり、神の身近な温かさを感じさせて下さる。家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てる、という表現があるが、優先しないという意味で、神の言葉を優先するということ。
★マタイ20章1~16節:「ぶどう園の労働者」のたとえ★
・ぶどう園は神の国の譬え。働くことができることに感謝して、働かせて頂いていると感謝することが大切。協力させて貰っているという感謝の心。
†振り返って†
・神父さまの祈りが叶えられなかった時の、祈りの意味についてのお話しは、とても参考になった。
・イエスさまでさえ、受難に向かう前に苦しんで、神に祈りを捧げたということ。神の御心に叶うことが行われます様にと、受難を受け入れる覚悟と心の冷静さを祈りによって得たということ。
「アッバ、父よ、
あなたは何でもおできになります。
この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、
御心に適うことが行われますように」
ゲッセマネの祈りが、弱い私たちに神を身近なものに感じさせてくれて、苦しみを受け止める謙遜な心を強めて下さる。
・先週、研究会をお休みさせて頂いて妹の結婚式に参加。お相手は4歳年下のとても誠実な男性で、2人の出会いを神に深く感謝すると共に、これからの永遠の幸せを祈った。
・プロテスタント系の教会のお式で賛美歌312番を歌ったが、結婚式で歌われる「いつくしみ深き友なるー」はとても神秘的に感じ、お祝いの席で歌われるイエスの受難と救い、愛について、キリスト者として受洗前とは異なる感動を受けた。
・聖書からコリント信徒への手紙一13章の「愛の賛歌」、私の大好きな「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」という一節が朗読された。この一節を読む度に、信仰を優先せず“愛”を一番すぐれているものとした使途パウロに感動を受け、その殉教に心の痛みを感じずにはいられない。(K)