バンマスの独り言 (igakun-bass)

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おわら風の盆

2006年09月02日 | 歳時記/植物関連
今日は「風の盆」の最終日。今ごろ富山県八尾ではこの幽玄な盆踊りを一目見ようという観光客で街中が人であふれかえって大騒ぎのことでしょう。

それにしても近年の「おわら風の盆」の人気たるや異常なくらいの盛り上がりをみせていますね。伝統的行事とはいえ一地方の初秋の催しにこれほどの注目が集まるということを昔の人は想像したでしょうか。

古来より日本には祭りという、民衆のストレスを発散させ健全な精神で一年を乗り切ろうという知恵がありました。そしてそれと同時に極めて仏教的な考えから「盆」という「祭り」に比べていっそう静的な行事もありました。
前者はフィジカルで発散、後者はメンタルで沈静。
何かと騒々しい人間社会で生きていく我々にとっては、これらの2つの伝統行事は大変身近なものとして大切にされていますね。

「おわら風の盆」は夏の暑さもちょっと一息ついた頃、富山県の八尾町で繰り広げられる「盆踊り」です。三味線と胡弓(「二胡」ではありません)による幽玄な響きはゆっくりとした動きの踊り手とともに小さな山あいの道々を時を忘れたかのように練り歩くのです。

何で越中おわら節に日本古来の楽器:胡弓が入ったのか?
響きで言えばピチカート系の三味線とグリッサンド系の胡弓・・・この二つの個性が絡み合うとなんとも不思議なサウンドが合成されます。
この色っぽい胡弓の音色は明治の後期にこの町にゆかりのあった楽士がこの踊りのために考案し導入したとのこと。
この音があることによって時間と空間とが幻想的に絡み合います。
夢と現実の境がおぼろげになり、思考が一瞬止まります。
これは考えてみるとものすごい音楽です。ソナタ形式でもロンド形式でもなく、ミニマル・ミュージックのように微小な細胞芽が果てしなく繰り返されることによって次第にその形を鮮明にしていくのに似ています。
聞き手の耳は最初この基本フレーズをとりとめも無い無機質なものととらえます。しかし目の前で繰り広げられる動きの少ない踊りを頭の中で重ね合わせると、これらは相乗効果によって全く別の、例えて言えば、大河の流れのようなうねりを感じ取れるのです。
小さな山里に響くこのさりげない、自己主張のない音楽は聴くものをして「大陸的」な空気を感じさせます。

この小さな町へは何度も足を運びました。でもそのほとんどがオフシーズンの訪問でした。今では国内でもトップクラスの有名なこの催しは一年でたった三日間だけのものです。雨が降ったり荒天の時は中止・延期ではなく取りやめとなります。ですからそれ以外の362日の八尾は本当に静か、というかウラ寂しい山里の風情です。
雨の日も雪の日も風の日も日照りの日もほんとによく行きました。それぞれにいろいろな表情を見せてくれたこの町でしたが、風の盆だけは様相を異にしていました。

すばらしい光景が目の前に広がる毎年の9月の1~3日ですが、出張で行ったついでの訪問という事情もあり、この3日間のうちに運良く訪問ができたのはわずか2回でした。
そしてその2回ともが思えば感動半分、後悔半分といった印象でした。

暗闇の中で繰り広げられる幽玄な踊りは時を忘れ我を忘れて感情移入ができるすばらしいものでしたが、あまりの人出に雑踏。町全体が通行止め。宿泊施設、食事の施設、トイレ等の貧弱さは多くのミーハー観光客には不便なものととらえられるでしょうし、あちらこちらで観客同士の小さなトラブルが散見され、僕はちょっと落胆もしました。

有名観光地化してその3日間は町は潤うのでしょうが、それ以外の閑散とした風情には過疎化・高齢化を感じる町でもあるのです。


(ある晩秋の夕刻の八尾・諏訪町、筆者撮影)

僕はこのごろこう思います。
風の盆は心で聴くものだと。 
あの幽玄な空気に人間臭い雑踏は趣が違いすぎます。

余談になりますが幸いこの風の盆の世界は文学でも楽しめるのでぜひこの小説もあわせて読んでいただいてその空気を感じ取ったらいかがかと思います。

高橋 治の「風の盆恋歌」(演歌調の題名ですね!)です。
この小説は大人の恋愛小説で、この町を一躍有名にした「おわら風の盆」の祭りをバックに静かでいてメラメラと燃えるような大人の恋を叙情的に綴った味わいのある名作です。そしてそこに印象的に描かれる植物「酔芙蓉(すいふよう)」の存在が素敵です。この花は朝は真っ白く、午後はうっすらとピンクがかり、夕方にはその色が真っ赤になって、一日で散ってしまうはかない花です。ちょうど酒に酔ったみたいなのでこう呼ばれる芙蓉の一種です。見ていると人生のはかなさを感じてしまうのです
この花をシンボリック・イメージにして八尾を描き、成熟した恋模様が連綿として書かれています。背景となるこの町の風景描写がいいです。

やはりぜひ一度は現地でその風情を味わってほしいとは思いますが、僕はもうあの雑踏には入っていけないと思っています。

あの幽玄の世界は自分の心の中でこそ花開く、といった思いが近年だんだん強くなってきているんです。





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