空一面が層積雲(曇り空の雲)だった午前中から一転して青空がのぞき始めた。
層積雲 (曇りの代表的雲:降雨なし)
積雲(晴れの代表的雲:発達し過ぎると積乱雲に変身)
この時期を嫌う人が多いけど僕は好き。
湿気を嫌がる人がほとんどだろうけど、保湿という点から肌にはとてもいい時期なんだからちょっとは
それをありがたいと思わなくちゃ・・・って妻に言っている。
ちょうど近くへ買い物があったので自転車をこぐ。周辺にはまだ多くの畑があり、そのうちの比較的広い畑の脇でちょっと休憩した。
別に休憩が必要だったわけではなかった。ただそこには一面にじゃが芋の花が咲き誇っていたからだった。
野菜の花には昔から愛着がある。地味な花が多いが誰も観賞を目的にしていない。
その<実>が必要なのであって花なんて放っておかれる。以前にここで野菜の花の事を書いたことがあるが、花屋にある花よりも時にはいとおしく感じられる。
(参考までに・過去の記事) 野菜の花 野菜の花2
この時期いつもだったらバラ園によく行っていた。
都立神代植物園。ここのバラ園が大好きだ。ここを訪れる時は正門からではなく蕎麦屋や深大寺がある裏の門から入園することに決めている。
門をくぐり雑木林のうす暗い中を歩いてゆくと、突然目の前にバラ園がどど~んと広がっている。
その突然の明るさに目がくらむ。雑木林に目が慣れていたせいだが、それだけじゃない。
バラという植物の持つ高貴というかちょっとお上品というか・・・野菜の花では太刀打ちできないような存在感が生意気に見えて・・・好きだ。
今年、僕はバラ園に行っていない。だからその光景を想像する。
畑のじゃが芋の花を見た後、道すがら大きなバラの植栽を見つけた。
色とりどりのバラが咲いていた。僕は昔から<黄バラ>が好きだ。理由は黄色が好きだからなんだが、
赤やピンクに混じって咲く黄色いバラの存在感はゴージャスというのではなく凛(りん)としたたたずまいがあると言った方が正しい。
食べたらカスタードクリームの味がしたりして! と想像してしまう。
今の時期、花を楽しむのには最高かもしれない。本当に多くの花々がそこかしこで見られる。
花にもカジュアルなもの、フォーマルなもの、暗く寂しく咲くもの、派手に自己主張するもの、米粒のような小さいもの、かわいい花なのに雑草なんて呼ばれているもの、人工的な色をしたお店の中の花、原っぱで人の期待もされず咲いているもの、アスファルトの割れ目から咲いているもの・・・・とにかく数えればきりがないほど様々な花々が様々な環境下で目を楽しませてくれる。
花はいいね!
何と言っても無口な所が最高。きっと一所懸命なんだろうけど、ほとんどの花はその努力をひけらかさない。
ただし僕の場合、花は良いな、なんて言う時に限ってメンタルが疲れていることが多い。
実は今も体調は万全だけど、気持ちがパ~っと晴れないでいる。
生きていればいろんなことがあってその度に一喜一憂するのが人の常だけど・・・。
人は不幸に敏感で
幸せには鈍感だ
という言葉があるが、早朝の暗い中で目が覚めるとちゃんと周囲のものが<見える>し、トイレに行けばオシッコが<ちゃんと出る>
住む家があり、大切な家族がいる。ご飯が美味しいし、友達もいる。仕事先には笑顔で挨拶できる人たちが今日も待っていてくれる。こんな当たり前のようなことが実は幸せなのに、人はそれ以上のことを幸せと呼び、多くのものを求める。
ちょっと思ったようにいかないと不平不満を言うのが人のサガかもしれないが、そういうことに敏感であるのは悲しいことなんだなぁ。
一生懸命咲いている花々を見てこんなことを何となく考えていた。
層積雲 (曇りの代表的雲:降雨なし)
積雲(晴れの代表的雲:発達し過ぎると積乱雲に変身)
この時期を嫌う人が多いけど僕は好き。
湿気を嫌がる人がほとんどだろうけど、保湿という点から肌にはとてもいい時期なんだからちょっとは
それをありがたいと思わなくちゃ・・・って妻に言っている。
ちょうど近くへ買い物があったので自転車をこぐ。周辺にはまだ多くの畑があり、そのうちの比較的広い畑の脇でちょっと休憩した。
別に休憩が必要だったわけではなかった。ただそこには一面にじゃが芋の花が咲き誇っていたからだった。
野菜の花には昔から愛着がある。地味な花が多いが誰も観賞を目的にしていない。
その<実>が必要なのであって花なんて放っておかれる。以前にここで野菜の花の事を書いたことがあるが、花屋にある花よりも時にはいとおしく感じられる。
(参考までに・過去の記事) 野菜の花 野菜の花2
この時期いつもだったらバラ園によく行っていた。
都立神代植物園。ここのバラ園が大好きだ。ここを訪れる時は正門からではなく蕎麦屋や深大寺がある裏の門から入園することに決めている。
門をくぐり雑木林のうす暗い中を歩いてゆくと、突然目の前にバラ園がどど~んと広がっている。
その突然の明るさに目がくらむ。雑木林に目が慣れていたせいだが、それだけじゃない。
バラという植物の持つ高貴というかちょっとお上品というか・・・野菜の花では太刀打ちできないような存在感が生意気に見えて・・・好きだ。
今年、僕はバラ園に行っていない。だからその光景を想像する。
畑のじゃが芋の花を見た後、道すがら大きなバラの植栽を見つけた。
色とりどりのバラが咲いていた。僕は昔から<黄バラ>が好きだ。理由は黄色が好きだからなんだが、
赤やピンクに混じって咲く黄色いバラの存在感はゴージャスというのではなく凛(りん)としたたたずまいがあると言った方が正しい。
食べたらカスタードクリームの味がしたりして! と想像してしまう。
今の時期、花を楽しむのには最高かもしれない。本当に多くの花々がそこかしこで見られる。
花にもカジュアルなもの、フォーマルなもの、暗く寂しく咲くもの、派手に自己主張するもの、米粒のような小さいもの、かわいい花なのに雑草なんて呼ばれているもの、人工的な色をしたお店の中の花、原っぱで人の期待もされず咲いているもの、アスファルトの割れ目から咲いているもの・・・・とにかく数えればきりがないほど様々な花々が様々な環境下で目を楽しませてくれる。
花はいいね!
何と言っても無口な所が最高。きっと一所懸命なんだろうけど、ほとんどの花はその努力をひけらかさない。
ただし僕の場合、花は良いな、なんて言う時に限ってメンタルが疲れていることが多い。
実は今も体調は万全だけど、気持ちがパ~っと晴れないでいる。
生きていればいろんなことがあってその度に一喜一憂するのが人の常だけど・・・。
人は不幸に敏感で
幸せには鈍感だ
という言葉があるが、早朝の暗い中で目が覚めるとちゃんと周囲のものが<見える>し、トイレに行けばオシッコが<ちゃんと出る>
住む家があり、大切な家族がいる。ご飯が美味しいし、友達もいる。仕事先には笑顔で挨拶できる人たちが今日も待っていてくれる。こんな当たり前のようなことが実は幸せなのに、人はそれ以上のことを幸せと呼び、多くのものを求める。
ちょっと思ったようにいかないと不平不満を言うのが人のサガかもしれないが、そういうことに敏感であるのは悲しいことなんだなぁ。
一生懸命咲いている花々を見てこんなことを何となく考えていた。
今日は梅雨らしい一日ですね
私も梅雨が好きです。
お洗濯は困るけれど、いろんな生き物に生命力を感じられますよね
この時期に暑いと 蛙やあじさいが気の毒に見えたりして。。。
その季節をゆっくり楽しむ過ごし方が、いちばん気持ちがゆったりします
木更津に一泊旅行に行って、今日帰ってきました!
職場旅行だったんですが 参加者も多くて、みなさんと楽しく過ごしてきました。
こういう時に 仲間に入れてもらえて嬉しいし、幸せだなぁと 改めて思うんですよね。
帰りを待っててくれている人もいて。。。
普段から幸せに敏感でありたいですね
確かに洗濯物は乾かなくて困りますね。ウチは先日「除湿乾燥機」を買っちゃいました。部屋干しすると部屋がベトっとした感じになるのを妻が嫌がりまして・・・。
機械の効き目はすごくって、洗濯物はすぐ、とはいかないものの部屋はけっこうサラっとしていて快適です(エアコンより効きます)。
今年の近所のアジサイはどこかイマイチなんです。表裏の年があるのかもしれないです。
そちらではどうでしょう?
職場に慣れ親しんでいらっしゃるねこっちさんの様子を聞き、小さな幸せを感じました。
ありがとうございます。