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<検索>などという言葉は近年になって多くの人が使うようになった・・・そうだよね?
この春からの大学生を筆頭に、高校生、小学生の子供がいる我が家だが、その勉強法や宿題・リポート提出・試験対策などを見ていると、僕が彼らの頃はどうだったかなぁとしばしば考える。
圧倒的な差異はなんといってもパソコン/インターネットの普及であることは、誰もが認めるところだろう。
インターネットの爆発的普及はあらゆる情報を<検索>できる。
発生したばかりのニュースなどは携帯に即座に送信されるし、お店に行かなくても商品の性能やデザインなどをくまなくチェックでき、そのまま商品を注文できる。そして発達した配送システムや決済システムのおかげで最短2~3日で家にまで商品が届く。
このようにパソコンによるインターネットの利用によって、僕の学生時代に比べて格段に便利になっている。
が、この便利さの陰に潜む漠然とした不安を今僕は感じ始めている。
昔の話をしてもすでに意味がないようにも感じられるが、
今はあまりにも容易に多くの情報が手に入り過ぎて・・・ここまでは文明の発達の享受なのだが・・・子供たちなどを見ていると本当にその調べた物事を理解できているのか?と思うのである。
以前誰かがこんなことを言っていたのを記憶している。
物事を<理解している>ということと<知っている>ということは違うということだ。
ネット検索で情報を得ることで、本当は何も生み出していないのにそれが自分の知的作業のたまものだと感じてしまう今のありように疑問を呈していると書かれた本もあったが、まさにそれが僕の漠然とした不安そのものだ。
僕が学生の頃は自力で考えなければ必要な情報を入手することすら出来なかったが、この自力を自分のパソコンスキルや検索能力の成果だと思っているフシが現代人にはある。
ということは、パソコンがなければ、携帯端末がなければ、なにも出来ないという人間が増えてくるという危険があるということだ。
ネット検索で多数意見を知り、自分を修正する。
場の雰囲気を読んで周囲に自分を合わせる。
完全に悪いことだとはもちろん言えないわけだが、そんな社会では自分で考える力が失われてしまうとかなりの不安がある。
パソコン無しでは使い物にならない人間であっては絶対にいけないと思うのだ。
この春からの大学生を筆頭に、高校生、小学生の子供がいる我が家だが、その勉強法や宿題・リポート提出・試験対策などを見ていると、僕が彼らの頃はどうだったかなぁとしばしば考える。
圧倒的な差異はなんといってもパソコン/インターネットの普及であることは、誰もが認めるところだろう。
インターネットの爆発的普及はあらゆる情報を<検索>できる。
発生したばかりのニュースなどは携帯に即座に送信されるし、お店に行かなくても商品の性能やデザインなどをくまなくチェックでき、そのまま商品を注文できる。そして発達した配送システムや決済システムのおかげで最短2~3日で家にまで商品が届く。
このようにパソコンによるインターネットの利用によって、僕の学生時代に比べて格段に便利になっている。
が、この便利さの陰に潜む漠然とした不安を今僕は感じ始めている。
昔の話をしてもすでに意味がないようにも感じられるが、
今はあまりにも容易に多くの情報が手に入り過ぎて・・・ここまでは文明の発達の享受なのだが・・・子供たちなどを見ていると本当にその調べた物事を理解できているのか?と思うのである。
以前誰かがこんなことを言っていたのを記憶している。
物事を<理解している>ということと<知っている>ということは違うということだ。
ネット検索で情報を得ることで、本当は何も生み出していないのにそれが自分の知的作業のたまものだと感じてしまう今のありように疑問を呈していると書かれた本もあったが、まさにそれが僕の漠然とした不安そのものだ。
僕が学生の頃は自力で考えなければ必要な情報を入手することすら出来なかったが、この自力を自分のパソコンスキルや検索能力の成果だと思っているフシが現代人にはある。
ということは、パソコンがなければ、携帯端末がなければ、なにも出来ないという人間が増えてくるという危険があるということだ。
ネット検索で多数意見を知り、自分を修正する。
場の雰囲気を読んで周囲に自分を合わせる。
完全に悪いことだとはもちろん言えないわけだが、そんな社会では自分で考える力が失われてしまうとかなりの不安がある。
パソコン無しでは使い物にならない人間であっては絶対にいけないと思うのだ。
現代と三丁目の両方を・・・という視点には思わず、なるほど!と膝を叩いちゃいました。
バイリンガル?じゃないけど二つの文化を知ってるって、考えてみればひとつの優越感ですね。
どっちもいい時代なんでしょうね。
僕も今の便利さにはどっぷりと浸っていますから・・・。微妙に反省?
僕の「三丁目」は母親と手をつないで銭湯に行き、湯船に戦艦大和のプラ模型を浮かべ、買ったばかりの白黒テレビでプロレスを見、冷蔵庫(電気じゃない)に入れる氷の塊を持ってくる氷屋さんを玄関で待っているような日々だったのをおぼろげに思い出します。ああ、今とはなんという違いなんでしょう!
豆腐屋さんのラッパの音が懐かしい~。
白黒TV→カラーTV
東京オリンピック
ビートルズ
アポロ11号
山口百恵?
昭和→平成
20世紀→21世紀
生音→レコード→テープ→CD
アナログ放送→地デジ
独身→結婚→子供→孫 ん?関係ないかな?・・
しばらくは「アナログくまさん」でコメントしていた時期もあったよね。 「三丁目」の思い出は蒸気機関車。
オヤジが私鉄の機関士だったので小さい頃時々運転席に乗せてもらった。 8月に七夕様を飾った柳の木を川に流す風習があって鉄橋の上から川に落とすんだ。 怖くて自分でできないからオヤジにやってもらった記憶がある。(*注 北海道・東北は8月7日が七夕)
今や七夕様を個人宅で飾る家もなくなってしまった。 寂しいね。