バンマスの独り言 (igakun-bass)

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終戦記念日、誕生日、そして ざわわ

2015年08月14日 | 日常
明日、8月15日は旧盆で終戦記念日。普段のざわついた都会が少しだけつかの間の静けさを取り戻す特異日ですね。

今日は仕事でしたが道路は交通量が少なくて、とても走りやすく楽に早めに仕事を終えることができました。
連日の猛暑は相変わらずなのですが、少しだけ、ほんの少しだけ朝晩の温度が下がる日がでてきましたね。明け方、耳を清ますと秋の虫の声がわずかながら聞こえだしてきました。

私事ですが終戦記念日は僕の誕生日でもありまして、静かになった街の気配の中で毎年特に感慨をもって迎えています。

戦争を知らない世代ですが、かつての戦争による莫大な国民の死とその魂が今の平和な日本を守ってくれているという感謝の気持ちがあります。

その戦後70年の節目の年に、憲法を軽んじる政権が、非常に危険な法案を実施すべく、猪突猛進を続けています。
とにかく現政権は「国民の声を聞こうとしない」という特徴があり、これは立憲民主主義の危機だと思うのです。

憲法は時の政権の暴走を止めるものですが、ええい!こんなの邪魔だ、とばかりに憲法解釈を勝手に変更して突き進む政治手法に今や多くの一般国民や専門学者、文化人、老若男女を問わず実に多くの人々が「危うい」と危惧をしています。

政権は近隣諸国の脅威から日本を守るために・・・とアピールしていますが僕はあえてこう言いたいです。

安倍政権から日本を守るのが先だ!と。


さて毎年、この日の前後はTVやラジオで必ず流される曲がありますね。
毎年、この時期はこの曲を聴いています。


寺島尚彦氏の「さとうきび畑」


忌まわしい沖縄地上戦の鎮魂歌です。もっぱら森山良子がライフワークとして歌い続けています。(最近の彼女の歌唱には自意識過剰が気になりますが)

この歌詞の「ざわわ ざわわ」の繰り返し・・・紺碧の空と海、果てしないさとうきび畑の緑とそこをぬって流れる風・・・単純な言葉の繰り返しが次第に力強いメッセージとして聴く者の心に突き刺さります。

僕はいつもこの曲を聴く度に涙目になってしまいます。目の前に真夏の強い日差しが照りつける沖縄の大地とそこに眠る幾千幾万の戦争犠牲者の魂を思い浮かべてしまうからです。



この歌の世界には人々が作る雑踏はありません。

非常に静かな情感が広がっています。

土の匂いと海風の香り。乾いた畑に降り注ぐ無言の太陽。

時間が停止したように沈黙する大樹の下の壊れかけた古い塀。

遠くの丘の上に湧き上がる真っ白な入道雲。

かすかに聞こえる潮騒と頭上に降り注ぐセミ時雨。

息を殺して人の気配を探ります。

ああ、それでもここには何もないです。

多くの幸せが消えました。 多くの笑いも消えました。

でもまばゆい太陽だけは今もその時代も変わらずに何かを言いたげに輝いています。

いったい何を人間に言いたいのでしょう?

風がそよいでいます。

緑のサトウキビ畑が青い海まで続いています。

愚鈍の僕はただただ悲しい歴史を偲ぶだけです。



というわけで、この曲のいくつかのバージョンを聴いて下さい。



TV番組「題名のない音楽会」より
このやや感情過多の伴奏には自制を望みたいのですが、出演者の奇跡的コラボ(特に二人の歌手)には感動しました。


夏川りみ、ちょっと歌が上手過ぎるのですが、素直に感動します。(この歌手、大好きなんです)


僕のちあきなおみへの傾倒ぶりはすでにブログで表明しています。この人の歌が一番かも。(収録が短かすぎですね)


この人の歌唱が一番有名です。抑揚が自己陶酔になっているような感じがあり、もう少しストレートな表現がいいのかも。





さとうきび畑

(作詞/作曲:寺島尚彦)




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる

夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

むかし 海の向こうから いくさが やってきた

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

父の声を 探しながら たどる 畑の道

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの

このまま 緑の波に おぼれてしまいそう

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが

ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる

風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい

夏の ひざしの中で




ざわわ ざわわ ざわわ 風に涙は 乾いても

ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない

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2 コメント

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子供の頃、みんなのうたで (はりけ~ん)
2015-08-15 14:07:18
以前にもお伝えしたかもしれませんが、まだ小学生の頃にちょうど今くらいの時期は毎日NHKで高校野球を見ておりました。で、昼前後は総合TVから教育TVにチャンネルを切り替えるわけですがそのあとたまたま切り替え忘れてそのまま見ていると、ミニ枠「みんなのうた」が始まったんだと思います。40年前その番組で、初めてこの歌を聴きました。子供心ながら壮絶な悲しみの歌を、大自然の年月が過ぎても変わらない風景だけの映像を組み合わせる演出に引き込まれ、未だに忘れる事が出来ない夏の記憶となって残っているというのも、考えたらすごい事だなと思いました。
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元気ですか? (バンマス@発行人)
2015-08-15 15:17:49
>はりけ~ん さま

この曲をここで取り上げるのは2度目で、いずれも今の時期です。
前回もコメントを送ってくれましたね。悲しみの歌と変わらない自然とを並列する映像手法は強烈なインパクトをもたらしますね。

そんな「夏の記憶」が僕とキミには共通してあるんですね。

今回は前回と内容は同じなんですが、他の印象を持てなくて同じことを言っています。
内容や感想に成長は無しです。

はりけ~ん君、久々のコメントうれしかったです。
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