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イチゴロー’s Memorandum

日々の出来事、雑感や思いついたことの記録です

東京都・首都圏・全国の感染状況【10月10日〜10月16日】

2022-10-16 18:00:30 | 新型コロナウィルス関連
【10月10日】
感染者数合計=1,372人
 高齢者等①=99人(7.2%)
 陽性登録②=419人
 ①、②以外=854人
1週間移動平均=3,027人 前週比=74.1%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(16:15時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=3,355人
全国の感染者数=13,038人

【10月11日】
感染者数合計=1,504人
 高齢者等①=55人(3.7%)
 陽性登録②=558人
 ①、②以外=891人
1週間移動平均=2,627人 前週比=66.5%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(17:30時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=3,559人
全国の感染者数=13,123人

【10月12日】
感染者数合計=4,790人
 高齢者等①=409人(8.5%)
 陽性登録②=824人
 ①、②以外=3,557人
1週間移動平均=2,730人 前週比=72.4%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(17:00時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=11,416人
全国の感染者数=45,505人

【10月13日】
感染者数合計=4,338人
 高齢者等①=315人(%)
 陽性登録②=579人
 ①、②以外=3,444人
1週間移動平均=2,838人 前週比=79.6%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(16:00時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=10,545人
全国の感染者数=45,690人

【10月14日】
感染者数合計=3,495人
 高齢者等①=313人(9.0%)
 陽性登録②=583人
 ①、②以外=2,599人
1週間移動平均=2,907人 前週比=86.9%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(16:00時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=8,625人
全国の感染者数=36,605人

【10月15日】
感染者数合計=3,239人
 高齢者等①=350人(10.8%)
 陽性登録②=554人
 ①、②以外=2,335人
1週間移動平均=2,997人 前週比=94.6%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(17:45時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=8,073人
全国の感染者数=35,138人

【10月16日】
感染者数合計=2,714人
 高齢者等①=219人(8.1%)
 陽性登録②=469人
 ①、②以外=2,026人
1週間移動平均=3,065人 前週比=99.8%
NHK新型コロナウィルス特設サイトより(16:00時点)
首都圏(1都3県)の感染者数=6,689人
全国の感染者数=29.662人

今週は一時的に増加傾向を見せましたが、その前にあった三連休の影響があったのかもしれません。既に減少傾向となっています。
三連休になると遠出をしますし、最近の減少傾向から人との距離が小さくなるのもしれませんね。

データ引用元:
東京都福祉保健局報道発表資料
NHK新型コロナウィルス特設サイト

「自動運転」ブーム終焉か?最終準備段階か?最前線での取材でわかった自動運転のこれから

2022-10-16 17:43:07 | 日記
自動車の自動運転技術はまだ始まったばかりですね。
最初は車間距離の自動調整・衝突防止、同一レーン内でのはみ出し制御、そして高道路の同一レーンでの自動運転(必要に応じた人の介入が前提)となります。
しかし、交通状況は千差満別で画一的な対応すから、更なる技術的な進展(例えばAIの導入など)が必要だと思います。


友人代表の弔辞

2022-10-16 09:53:10 | 日記
安倍晋三氏の酷葬儀での友人代表として菅義偉氏の弔辞全文です。とても感動的な心のこもった弔辞でした。(某テレビ局の社員コメンテーターがいちゃもんをつけましたね。全くの事実無根でした)

 7月の8日でした。
 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、最後の一瞬、接することができました。
 あの運命の日から、80日がたってしまいました。
 あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
 季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
 天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
 口惜しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
 しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。
 20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
 総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これがあなたの口癖でした。
 次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。
 平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
 すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。
 信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
 私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
 最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。
 総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとと蘇ってまいります。
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
 一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。
 安倍総理。日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。
 国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした。
 衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
 ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。
 総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
 「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
 「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
 深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。



令和4年9月27日 前内閣総理大臣 菅義偉



安倍昭恵夫人の挨拶

2022-10-16 09:37:30 | 日記
昨日、山口県で安倍晋三氏の県民葬が営まれました。喪主である安倍昭恵夫人の挨拶全文を産経新聞より引用いたします。

 「本日は主人の県民葬、立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ、県議会関係者の皆様方には厚くお礼を申し上げます。細田(博之)衆院議長はじめ、国会議員の先生方には大変、お忙しい中、わざわざ下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。地元の議員の皆さま、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの方にご参列をいただき、また、台湾からも遠くたくさん、ご参列いただきました。主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます」

 「7月8日にこのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百か日を迎えました。信じられないような中で日々が過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、『あっ、本当にいなくなってしまったんだな』と寂しさが増してきているような日々でございます」

 「平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は膵臓(すいぞう)がんで志半ば、総理目前といわれながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。秘書をしていた主人は、おそらく誰よりも、その無念さを感じたことと思います。
 その後、父の遺志を継いで、政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて、毎日、毎日、多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の時代でもありました。主人はその中で、政治家になる決意をして、そして、『未来は不変のものではなく、われわれの努力によって作り上げていく』という信念のもと、『世界平和のために新しい秩序、この日本が中心になって作っていかなくてはならない』。そんなことを語っておりました。それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫していたのではないかなと思います」

 「主人を支えてくださったのは、本当にこの地元にいる皆様方でした。初めて選挙に出たときは志は高かったと思いますけれども、また、父の秘書をしていたとはいえ、政治家としては全くの未知数で、30代という人間としても、まだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。時に厳しい言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで、主人を大きな政治家に育てていただけたのだろうなと思っております。ことあるごとに主人は『自分が東京で安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだ』と口にしておりました」

 「特に2007年、第1次政権、病気のために辞任することになったときには『突然、総理を投げ出して無責任な男だ』と大変な批難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくして、この地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、『晋三さん、もう1回頑張りなさい』と励ましていただきました。主人にとりましては、本当にどんなにうれしかったろうかと思います」

 「そして、その後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。そのとき、主人は『再び地元の皆さんに政治家として、生命を吹き込んでいただいたんだ』というふうに言っておりました。そして、もう一度、政治家として頑張っていこうと決意を新たにしたのではないかなと思っています」

 「その後、2012年に負けるかもしれないという自民党総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、『負けてもいい。何度でもチャレンジする』と言って総裁選に出馬をいたしました。その後、7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりまして厚くお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました」

 「主人は山口県が本当に大好きで、この下関・長門が大好きでした。役職について、だんだん、帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年、お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。『コロナでなかなか帰れないけれども、コロナが落ち着いたらゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいね』と、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔参院議員)先生の選挙の応援で帰ってきたのが最後となってしまいました」

 「今回、遺骨という形で帰ってきたのは、本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方にお越しをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。一般献花においても、長い、長い列ができて長時間並んで、献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います」

 「増上寺でのごあいさつのときに、吉田松陰先生の『留魂録』を主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい人たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そして、大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいて、豊かな67年の人生であったと私は思っています」

 「主人が愛した、この山口県、私も本当に大好き。これからも先ほどの映像にも出ていましたけど、令和の地方のあり方、私もこの地域のために、これから何かしら活動していきたいなと思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願い申し上げます」

 「母は94歳になりました。家では、弔問に来られる方の対応をしておりますけれども、残念ながら、この県民葬に参列することはできませんでした。長年、お世話になりました皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えしてほしいと母からも言われました」

 「本当にこれが最後なのかなと思って、私はこの県民葬が終わると、気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当に、このように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりましてお礼をさせていただき、私、喪主のごあいさつとさせていただきます。本当に本日はありがとうございました」

最近の朝食

2022-10-16 09:25:03 | 日記
最近になって朝食の中身が変わりました。と言っても仕事のある日は朝早くに自宅を出ますので、コンビニおにぎり2個と野菜ジュースですが…
ふとしたことから朝バナナが体にいいと言う記事を見つけ、調べるとローカロリーで栄養満点であるとわかり、取り入れました。

写真はForbes JAPANより引用

今の朝食は仕事のある日がコンビニおにぎり1個とバナナ1本、野菜ジュース。仕事のない日はバナナ1本と野菜ジュースになっています。時にはサンドウィッチが入ります。