そよかぜ秘密基地 

開設時アラ4からアラ5になったおやじの趣味を中心とした『ブログ日記』でやす。不定期に更新。

紀州攻め1-1

2023-07-04 06:30:00 | 旅行
24日土曜日も休みだったが、旅行準備のため、1日使った。






6月25日(日)

4:00  自宅出発

      東名自動車道
      

      新東名自動車道
      

       

      ↑ 途中休憩で立ち寄った駿河湾沼津SAで駿河湾と沼津市街の町並みを撮影



      伊勢自動車道を
      

      乗り継ぎ



9:32  三重 津I.C

      まずは伊勢(三重県)



9:42  津市営お城東駐車場に到着

      一番槍は津城から攻略

      



      車で装備を整えて攻城開始

      今回も1眼レフカメラを一応持参したけど画像データが

      スマホのデータと分かれ、後の画像整理が大変なので

      スマホカメラのみでイケるところまで撮ることにした。

      カメラバックが重いしね

       

      現在はお城公園として市民の人に親しまれているみたい。撮影場所 右



      

      津城について藤堂高虎が築城した位の知識で、

      他に何も調べてこなかった・・・

      

      津城

      1568年の織田信長伊勢侵攻開始の翌年、信長の弟(四男)信包が入城。
      信包により改修(城郭拡張、石垣普請、堀整備)が進められ、1577年
      5重天守と小天守が落成された。
      その後、豊臣家臣の富田氏が入城し2代にわたって治めたが、1608年
      秀吉の死後、徳川家家臣として仕えていた藤堂高虎が、伊予今治より22
      万石(今治城周辺の2万石は飛地、伊賀10万石、伊勢の北部10万石)
      の加増移封を受け入城し大改修を施工、輪郭式城郭、城下町を整備した。
      明治維新まで、藤堂家の居城となった。古名・別名 安濃津城という。
      
      
      
      本丸(東・西之丸含む)を囲む内堀、更にその周りを二の丸他曲輪(輪郭式)を形成。

      その周囲を河川から引き入れた外堀が覆う。

      今、本丸の北東にいる模様 上図現在地



       

      ①



      

      ②丑寅櫓跡へ



      

      ③丑寅櫓跡



      

      ④模擬櫓



       

      ⑤丑寅櫓跡から本丸北側に残る内堀を



      
      

       ⑥丑寅櫓から戌亥櫓にかかる多門石垣
      
      

      ⑦戌亥櫓跡(本丸北西)



      

      ⑧西鉄門虎口跡

      



       

      ⑨西黒門跡                         ⑩土橋跡 奥が西の丸

      

      西の丸から戌亥櫓跡






      本丸中央には公園の噴水があった。画像ナシ

      

      入徳門

      第10代 藩主藤堂高兌(さわ)は、藩士やその師弟を教育するため有造館を創設。その講堂正門。

      明治4年の廃校後、移築され幼稚園、学校、図書館で使用された。昭和46年に現在地へ。老朽化

      のため、昭和61年から1年かけて解体修復された。西の丸にある。



       

      ↑ 西の丸から二の丸に架かる橋



      天守跡にも行こうか迷ったが 藤堂高虎が祀られている高山神社へ。






      高山神社は本丸の南西、内堀を埋め立て建てられたらしい。

      『たかやま』ではなく『こうざん』と読む。



      



      

      夏祭りの準備中のようで氏子さんたちが大勢集まっていた。

      社務所で続100名城スタンプをPON!!

      

      ちょっと離れて

      参拝して駐車場に



10:52 駐車場発 松坂城に向かう。(紀州攻め1-2へ)