天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

Never again!

2021-07-07 22:35:30 | 日記

 東京都の感染者が920人にリバウンドした。英国では1日当たりで2万人を超える状況でも、重傷者・死者が減っていることから、これまで16カ月間にわたりコロナ対策で実施してきた行動規制を19日から解除するという。これに比べれば政府官邸筋が指摘するように日本の感染状況は「さざ波」程度のものであり、過大視するのはみっともないということになる。科学的な見地から判断し、世界の情報にも通暁している政府が安全安心を保証するのだからの、国民は慌てず騒がず安心して言うことを聞いているのが、精神的には楽なようである。
 ドラマを見る習慣がほとんど無いのに、久しぶりに『ひねくれ女のボッチ飯』を録画した理由は主演女優の名前にある。少ない読書歴の中でベストが『日本書紀』(もちろん校注付き読み下し本)であるけれど、その中で一番脳裏に刺さった人物が飯豊天皇だからである。メインストーリーでは22代清寧天皇の後、23代顕宗、24代仁賢と続くけれど、その間に少し飯豊皇女が朝廷政治を営んだと記している。何故そんなややこしいことになったのかは、病弱の清寧天皇に子がなく、後継者を探していたところ、また従兄弟に当たる仁賢、顕宗の兄弟が播磨の国に潜んでいるのが見付かったものの、次の皇位に就くことを互いに譲り合って決まらなかったためである。そうこうしているうちに清寧天皇が在位4年で夭折し、空位が生じたので急遽、妹(叔母との説もあり)に当たる飯豊皇女が朝政を執り行った。正式に飯豊天皇の称号を与える古代史書もあり、今も奈良県葛城市には飯豊天皇陵が残っている。だけれど、そんな入り組んだ歴史に興味があるわけではなく、飯豊天皇の人となりに感銘を受けたのである。
 日本書記はいきなり、彼女が清寧4年(西暦484年)7月に葛城市の宮殿で処女を失った(与夫初交=まぐはひしたまふ)と書きだしている。その感想として側近の者に、「ちょっとばかり女の道を知った。別にどうってことはなかった。もうこれ以上男と交わりたいとは思わない」と言い放ったという。それだけ記して、あとは顕宗、仁賢の皇位継承の話に移っている。この唐突感が凄くて、飯豊さんへの空想、憧れが宙を舞ってしまった。日本書紀なんて、大半が系図、続柄の話なのに、こんな枢要な方に対して、17代履中天皇の子だか孫だかはっきりさせないし、処女喪失の相手については、注として「夫有りと曰へること、未だ詳ならず」と、しっかり調べた形跡もない事が許せない。
 ボッチ飯の展開が大して面白くなければ、こちらの研究を再開しようかと思っている。






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