天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

求愛

2019-09-27 13:14:56 | 日記
 サツマイモが店で目につくようになった。ぐっと引っこ抜いた根の主力級に付随した、ちびちゃいのが10個以上袋詰めされたのが手頃な値で売っていたので買うた。焼くとか、蒸かすとか、手の込んだ面倒臭いのは嫌なので、湯掻いた。ざるで湯切りして置いといたら、湿気が蒸発して、べちゃべちゃしないでそれなりにほくほくして、特有の甘みが醸し出されて美味かった。朝、珈琲の充てに、食パンの代わりに、昼分も先食いして3個も頂いた。インスタントラーメン、うどんと並んでこれからの朝、昼の主食になりそうやな。
 リョコウバト passenger pigeon は今や絶滅した米国産の渡り鳥と辞書にあり、シンシナティ動物園(米オハイオ州)で飼育されていた最後の一羽が1914年に死んで、種が滅びた。『もうすぐいなくなります 絶滅の生物学』(池田清彦著、新潮社)によると、盛時の18世紀には北米大陸東岸に50億羽も居たのが、食用と羽毛布団用に乱獲され、わずか100年の間に激減し、気が付いたら全滅していたという。自分の生まれた巣に帰る習性があり、冬場はフロリダやメキシコなどで過ごして、暖かくなると主要営巣地の五大湖周辺に戻ってくるところを、カスミ網で待ち構え、一網打尽したらしい。近くに缶詰工場、布団工場を構えて、トヨタのかんばん方式より効率的に、ベルトコンベアも不要で在庫リスクなしにし続けたため、原料が途絶えた。
 同著によると、アメリカバイソンも19世紀半ばから食用と皮革用に徹底的に狩猟され、19世紀初頭に7500万頭くらいいたのが、同世紀終盤には200-1000頭くらいに減ったという。タン(舌)が美味しいのが不幸だった。大陸横断鉄道が出来ると、列車から狙撃する狩猟ツアーが流行ったというから、銃社会にも年季が入っている。こりゃいかんとイエローストーン国立公園を保護区にして殺戮を抑えたため、今では3万頭くらいいて、たまに入園者を撥ね飛ばしたりする記事を見ることができる。
 話のネタ満載の同本の中でも、日本の特別天然記念物アホウドリが哀しい。リョコウバト同様、生まれ育った巣に帰ってくる性質がある。羽毛を目的とした乱獲などで激減したため、伊豆鳥島や小笠原諸島で保護、繁殖活動を行っている。鳥島に営巣を促進するため、アホウドリの実物大模型(デコイ)をいっぱい作って呼び寄せた。異色のオスが1羽いて、デコイの一つに好意を寄せ、気を惹くように求愛ダンスを踊り出す珍事が起きた。靡くはずがないので、島での滞在期間が過ぎると、諦めて帰っていく。しかし、余程べた惚れだったのか、次の年もそのデコイの前に来て求愛し、それが9年も続いた。デコイ発案の研究家も気の毒がり、とうとうそれを撤去すると、目が覚めたようにランクを落とし、生きたメスを探して生涯の伴侶を得たという悲恋話が残っている。
 絶滅という死別も悲しいけれど、生き別れも心底辛い。盆から1カ月余り預かった猫の病気が治って他の飼い猫への感染の恐れがなくなったので、飼い主の娘一家がそのまま連れ帰った。預かった当初は耳の後ろを引っ掻いて傷を付けたり、後頭部に禿が出来たり、相当ストレスを溜めていたけれど、「お腹の虫よ飛んでいけー」とか、背中を大事に大事に撫でてやっているうちに、すごく懐いてきた。こちらが就寝の時には布団に遊びに来たり、大相撲TV観戦中には膝に乗ってきたり、情が沸きに沸くようになった。もうワシが飼い主になってもええかなと思い始めた頃、いきなり召し上げられたショックは破壊的だった。酒が全然うまくない。何をするにも虚ろである。砂トイレとか、買い込んだ餌のおやつとか、食器が、寂しさを新たにする。何事も詰まらない。何もする気が起きない。何もしないでいると、胸に焼きごてを突き刺されたような熱さと痛みが走る。サツマイモを食べ過ぎた時の胸のつかえより、遥かに苦しい。

もうすぐに ゐなくなるとは 聞きつれど
まことに消ゆと 切なかりけり