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“みいはあ” の紫陽花ブログ

ミーハーで移り気な“みいはあ”の様々な嗜好の変遷模様です。
いつでも そばに Music♪

田原俊彦/LIFE IS A CARNIVAL (2025年)

踊るパワースポット! KING OF IDOL。そこはいつでもカーニバル♪

ずうとるび 今村良樹

2006年05月12日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

今回は 清水 圭 の次に好きになった人の予定でしたが、変更になりました。
消えかけていた記憶が蘇ったもので・・・
フィンガー5 晃三浦友和 の間に、好きになっていた芸能人がいました
アキラくんから友和さんだと、急に男性の好みが大人になった感がありましたが、私自身もこれで納得!

8人目は ずうとるび 今村良樹

突然、思い出しました。
子どもの頃、部屋の壁に貼っていたポスター ずうとるび~

ずうとるび の名前の由来が、ビートルズだということはご存知ですよね。
あの長寿番組 「 笑点 」の出身。
“ ちっびこ大喜利コーナー ” での共演がもとで、グループを結成したそうです。
最初のメンバーは 山田隆夫、新井康弘、江藤博利、今村良樹 の4人。
後にリーダーの山田隆夫が脱退して、池田善彦 が加入しました。(インターネット調べ)
私は新メンバーの存在は忘れていましたが・・・

記憶の糸を辿っていくと・・・私が小学校高学年の頃のようです。
実は、最初は明るく目立っていた江藤くんのファンでした。
ところが・・・ある日ポスターをずっと眺めていたら、気付いたのです。
良樹の方が男前だということに ここでも面食いの本領発揮
それから、良樹のファンに。

ずうとるびは不思議なアイドルグループでしたね。
歌って踊ってお笑い? をして、演奏もしていました。
今で言うと、TOKIOみたいな存在? あッ、TOKIOは踊れないか・・(失礼!)
ヒット曲もあって、大晦日の紅白歌合戦にも出場。

ずうとるびの思い出は・・・
当時、土曜日ぐらいの夕方にしていたテレビ番組 「 笑って笑って60分 」
番組進行は ジェリー藤尾 夫妻。
ずうとるびがメインで歌やコントなどがあって、確か 伊東四朗小松政夫 も出演していました。
面白かったなあ。 毎週楽しみにしていました。
現在の 「 SMAP×SMAP 」 みたいな番組だったかな?
NHKの歌番組 「 レッツゴーヤング 」 にも出演していたのは、インターネットで調べていて思い出しました。
確かに出ていた! 観ていました
良樹のファンと言いながら、左利きだったことしか覚えていません

なぜか所々飛んでしまっている、ずうとるびの記憶です。。


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清水 圭

2006年05月07日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

7人目は・・ 清水 圭 です
ジャニーズ系アイドルの次は、またもやお笑い界の人
私が既に20代の社会人の頃です。

当時の清水 圭は、大学の後輩 和泉 修 とのお笑いコンビ 圭・修 として、関西で活動中。
若い女の子に人気がありました。
清水 圭を知ったのは 「 素敵!圭修ファイブ 」というテレビ番組。
関西エリアの話になってしまいますが・・・
平日の夕方5時からの公開生放送で、圭・修が司会をしていました。
一般のOLであれば、テレビを観るのは難しい時間帯。
私の勤務はシフト制の職種だったので、週に何回か観ることができました。
当時は、女子高生など若い女性をターゲットにした公開生番組が、夕刻に競っていました。
東京進出する直前のダウンタウンが司会の 「 4時ですよ~だ 」
山田雅人森脇健児 が司会をしていた 「 ざまあKANKAN 」など
どの番組も客席から女の子の黄色い声が飛んでいて、それぞれ人気がありました。

私の周りでは 「 ざまあKANKAN 」が一番人気?でした。
何回も観覧に行った人もいましたね(笑)
そんな中、私が密かに好きだったのが 「 素敵!圭修ファイブ 」
番組を偶然見て面白かったから。
それと・・・
清水 圭が、私のよく知っている人に似ている気がしたから??
私の勝手な思い込みです。
似ていると意識をした瞬間から、清水 圭を好きになっていました。
そうです。島田紳助のファンになった時と同じ。
何処が良いとも解っていないままに、一気にボルテージが
この不思議なパターン・・・私の短所に通じている気がするなあ。
熱しやすく冷めやすい、凝り性で飽き性という部分。
但し、マイブームが去った後も決して嫌いになったりはしません。
ひょっこり思い出して懐かしんだり、復活することもあります。

写真は、圭・修のシングルカセット 「 ただモンDay-Night! 」のジャケット。
コンサート会場で買いました。 コンサート??
はい、紳助の時は中学生で行けなかったけど、この時はもう社会人。
しっかりコンサートに行きました。
圭・修の歌なんて全然知らないのに、大好きな清水 圭に会いたくて・・。
この時も独りです。
紳助の時と同様、清水 圭のファンであることを公言していなかったもので。。
私って見栄っ張りみたいです??
お笑いの人を好きになった時には、恥ずかしくて言えません
番組内の告知でコンサートがあることを知って、チケットをGET!
会場は神戸の有名なホール。 凄い人気があるんだ~??
そう思い込んでいました。
当日、会場に行ってビックリ。
一階席の前5列目ぐらいまでしかお客さんがいな~い
あとは横断幕で応援するファンが二階席にちらほら・・
座席指定のはずだけど、観客が少ないので皆前列に移動したのだったのかな?
確か、私は1列目は恥ずかしくて2列目に・・・
殆どが高校生や中学生ぐらいのキャピキャピした女の子たちばかりの中に、
20代半ばの私・・・きっと一人浮いていたに間違いない!
私の視線はもちろんずっと圭に
それなのに、なぜか修とばかり目が合って困りました。(気のせい?)
コンサート後に写真のカセットテープを買って、握手会に参加。
私が後にも先にも芸能人と握手をしたのは、圭・修だけです。(貴重な体験!)

その後、番組も終わりコンビを解消し、圭は単独でタレント活動。
奥様は 香坂みゆき で、ツーカーのナイスカップルです。

ところで、私は清水 圭のどこが好きだったのかなあ。
やっぱりキッカケだけでなく、島田紳助と清水 圭には共通点がある気が・・・
どうでしょう? そう思うのは私だけ??


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田原俊彦

2006年05月01日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

6人目は 田原俊彦 

高校生の頃です。
島田紳助 の次に好きになった人は・・・ ジャニーズ系アイドル トシちゃん

テレビドラマ 「 3年B組金八先生 」 の生徒役で、芸能界デビュー。
同じく生徒役だった 近藤真彦、野村義男 と共に たのきんトリオ と呼ばれていました。
中学3年生のドラマだったので、当初は年齢詐称のようになっていたトシちゃん。
実はマッチやヨッちゃんよりも4歳も年上でした。
さて、ヨッちゃんは置いておいて・・・(失礼 今では立派なギタリスト!)

当時の女の子は、マッチ派とトシちゃん派に分かれていました。
マッチも男らしくて良かったのだけど、私にはやんちゃ過ぎて子どもっぽく思えて
少し大人のトシちゃんを好きになりました。。

レコードデビューは、レイフ・ギャレットのカバー曲 “ 哀愁でいと ” 
私の好きな曲は “ 悲しみ2ヤング ” と “ 誘惑スレスレ ”
その頃は声高らかに笑う可愛いトシちゃんよりも、少し愁いを帯びたシリアスなトシちゃんの方が好きでした。
だから、“ ハッとして!Good ” や “ ブギ浮ぎ I LOVE YOU ” などは好きではなかったなあ。
“ NINJIN娘 ” の時も困りました!?

小学生の時に私と同じ三浦友和のファンだった友達と、またもや好みが一致。
一緒にコンサートに行きました。
歌いながら軽やかに踊るトシちゃん カッコ良かったなあ。
もちろん歌は二の次です! はい・・
誰もがご承知のように歌唱力はありませんから・・(笑)
熱狂的なファンであっても、重々承知していました。
そんな私はトシちゃんが 「 日本歌謡大賞 」の大賞を受賞した時、嬉しいというよりも恥ずかしかった~。
なんか、他の歌手の方々に申し訳なくて (本当にトシちゃんのファン??)

写真はトシちゃんの「 EVE only 」 というアルバムジャケット。
私が唯一持っているトシちゃんのレコードです。 それも、友達からの誕生日プレゼント。
トシちゃんのレコードに関しては、決して買わずにレンタル専門。
熱烈なファンだったと言うのに (本当に??) 
理由はお分かりですね? シビアなファンです。 (トシちゃん、ごめんなさ~い

テレビの公開録画の収録でも、トシちゃんに会えました。
当時、平日のお昼に横山やすし・西川きよしの司会で15分間の歌番組がありました。
月~金の5本分を1日で収録していて、観覧はハガキでの応募。
通常は複数の歌手が出演していたのですが、その週はトシちゃんだけがゲスト。
友達はハズレで当選したのは私だけ・・・独りで行きました。
公開録画の収録に参加するのは初めてのこと。 張り切ってカメラを持参。
コンサートと違って撮影OKなのかと思っていたら、駄目でショックだったなあ。
でも、コンサートのように何曲も歌が聴けて嬉しかった~。

トシちゃんは、俳優としても魅力がありました。
テレビドラマの 「 教師びんびん物語 」 良かったなあ。最高
歌よりも、芝居の道に進む方が良いと思ったりもしました。
歌に芝居に活躍していたのに、結婚後の発言に誤解が生じてしまったトシちゃん。
ビッグマウスが過ぎたようです。
同じB型として解ります。 失言にはよーく気をつけなくては


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島田紳助

2006年04月29日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

5人目は・・ 島田紳助 です

なんと 世良公則 に続いての登場。
紳助を好きになったのも中学生の時です。
ちょうど80年代のMANZAIブームの頃。
4月1日亡くなられた 松本竜介 との漫才コンビ 紳助・竜介 として活躍中でした。
他にはツービート、ザ・ぼんち、B&B、太平サブロー・シローなどがいました。
当時、紳助・竜介はつなぎの衣裳を着たツッパリ漫才。
最初はあまり好きではなかった。。
私はどちらかと言えば明るく楽しいネタの方が好みです。
だから、漫才としてはB&Bやザ・ぼんちが好きでした。 それなのに・・・

当時、私はクラスの男の子に片思い中。
ある日、友達がその男の子のことを「 ○○は紳助に似ている! 」と言ったのです。
もちろん面食いの私が好きになった彼は、全然紳助よりもカッコいいですよー(笑)
関西弁で話す雰囲気が似ていたのかな?
そうです。友達のたった一言が紳助を好きになるキッカケ
その日から、自分の好きな彼に似ていると言われた紳助を意識し始めて、いつのまにかファンになっていました。

恋って・・・
どうでもよかった人を意識した時から始まっているのです??   by “ みいはあ ”


写真は 紳助バンド のライヴアルバムのジャケット(裏)です。
“ 大人になる前に歌いたかった ” がコンセプト。
バンド構成は、紳助がヴォーカルで竜介がパーカッション。
ギターが村上ショージ、ベースがMr.オクレなど他にも紳助の仲間が5名。
紳助の歌は決して上手くなくて、今考えると何で買ったのかなと不思議。
やっぱり本気で好きだったのかなあ。
「 ライヴに行きた~い! 」の勢いで買ったようです。。
やっぱり本当に好きだったみたい??

紳助が書いた本も持っていました。
表紙の紳助の写真が大きかったから、本屋で買うのが恥ずかしくて、母に頼んで買ってきてもらいました。(わがままな娘です。)

映画も観に行っていました。井筒和幸監督の「 ガキ帝国 」
本来、私が苦手な不良少年たちのストーリー。
乱闘シーンが多い映画だったかな・・・
紳助のファンであることを友達に内緒にしていたので、独りで映画館に行きました。
独りで行くのは初めて。
しかも、観客は一見怖そうなお兄さんばかり。(気のせい?)
中に入ってすぐ、足がすくんでしまった
結局、一番後ろのドア付近で立ち見。怖くてビクビクしながら・・・
それでも、紳助を大きなスクリーンで見れる喜びの方が大きかったかなあ。

ここでもう一度、確認
私は面食いです!
紳助の顔が好きだった訳ではありませんから(キッパリ)
私は知的な人物にも惹かれます。
口は悪くても、本当は思いやりのある人・・
話し上手な人も魅力的。
紳助はものの例えが凄く上手くて、話がわかりやすい。
だから、本気で好きになったのでした。。


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世良公則  part 2

2006年04月22日 | 芸能人etc.

つづき・・・

私の世良さん熱は1992年再び上昇

初めて、世良さんのライヴに行ったのです。
憧れていた世良さんに10年越しでやっと会えました。 嬉しかった~
夢みたいで、ホールの同じ空間に居る事が信じられなかった・・・
私の目は間違いなく だったと思うなあ。
世良さんが弾く、心に響くギターの音。
年齢を重ねてパワフルなだけでなく、時に優しく時には力強いエネルギッシュな歌声。
またもや KOパンチ
この日、新たに世良さんのファンに
そして、現在に至っています。

2年程前には、缶コーヒーのCMで 宇崎竜童、岩城滉一 との共演がありました。
それを切っ掛けに結成された GENTLE3 というアコースティック・ユニットのライヴも実現。
トップの写真はそのCFステッカーの世良さんです。(えりこびっちさんに感謝!)
近年は単独でのアコースティック・ライヴや GUILD9 というバンド編成、様々なミュージシャンとのセッションなど、色々な形態のライヴをされています。
それぞれ異なる 世良公則 の魅力を堪能できます。


“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)
3人目の 三浦友和 の次が 世良公則
二枚目俳優から熱きロックシンガーへ、好きな芸能人が一転しました。
ここからが、不思議な “ みいはあ ”の男性の好みの変遷模様でもあります。
次回の人物に驚かないでくださいね


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世良公則  part 1

2006年04月21日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

4人目は 世良公則 です

中学生の頃にファンになりました。
ファン暦に10年程のブランクがありますが、現在進行形
今でも大好きなロックミュージシャンです。
世良公則&ツイスト(後にツイスト)のヴォーカルとして、
1977年 “ あんたのバラード ” で衝撃的なデビューでした。
パワフルな歌唱と、派手なアクションで大注目。
実はこの時、私はまだこの曲や世良さんの良さがわからなかった
世良さんの黒のコスチュームが好きでなかったし、
熱唱のあまり少し顔を歪めて歌うのも気になって・・・
しかし、2曲目の “ 宿無し ” で、とうとうノックアウトされました。
カッコいい~!すてき~!!
そして、名曲 “ 銃爪(ひきがね) ” で・・・シビレた~!カッコよすぎ~!!

写真は、ファーストアルバム「 世良公則&ツイスト 」のジャケットです。
凄く気に入っていて、まるでポスターの如く部屋の壁に貼り付けて眺めていました

中学生の私は、土日も部活動がありました。
コンサートには行けないので、専らブラウン管の中の世良さんを観るのとレコードを聴くだけの日々。。
悲しかったなあ
その後ツイストは解散し、世良さんはソロ活動。テレビドラマや映画にも出演。
私は世良さんの出演する番組を見逃すまいと、毎朝、新聞のテレビ欄をチェックするのが日課でした。
当時、ジャズピアニストの 世良 譲 さんも活躍されていました。
「 世良 」の名前を見つけて、一瞬喜んではがっかりするということがあったり、
「 世 」という一文字にさえ敏感に反応して、目を留めると全然違うということも・・・
「 世界○○ 」とか「 世界の○○○○ 」など、「 世 」が付く番組のタイトルって多いのです。
(知っていました~?)
もちろん現在も新聞を見ていると、私の目には「 世 」という文字がどんどん飛び込んできます。

その後、私の世良さん熱は一旦落ち着きますが・・・  つづく


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新庄剛志

2006年04月19日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

今回は予定を変更して、特別編 です

好きなプロ野球選手 
北海道日本ハムファイターズ 新庄剛志

昨夜(4月18日)東京ドームでのオリックス戦の試合後、突然の引退宣言!
ビックリしたなあ~
2本塁打、5打点の活躍 をしたその日に、今季限りの引退を表明。
年齢的にはそろそろ有り得なくもないと思っていたけれど、あまりにも唐突過ぎ
シーズン途中 しかも試合後のヒーローインタビューのお立ち台でするなんて
私が真っ先に脳裏に浮かんだのは「 ちゃんと球団側に報告しているのかな? 」
日本ハム入団記者会見の席で、まだ決まってもいないのに、勝手に背番号を発表した前例があるから
今日の新聞によると・・・やっぱり報告していな~い!(笑)
さすが SHINJO

今季限りの引退はとても残念なんだけど、私が最も気になることは・・・
新庄くんの引退後の動向です。 どうするのかなあ? 
プロ野球解説者をするキャラではないし・・?!
タレント活動もありそうで無いと思うなあ・・??
ファッションモデル? えーっ??
わからないなあ~~ 青写真が見えない~
これまでも色々世間を驚かせてきた SHINJO 
また私たちが、あッと驚くようなことがあるのかなあ・・

最後のシーズンとなるプレーは勿論、シーズン終了後も新庄くんから目が離せな~い。。



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三浦友和

2006年04月16日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

3人目は 三浦友和 です

小学校高学年の頃です。
思春期を迎えて、正統派の二枚目俳優を好きになりました。
当時、現在の読売ジャイアンツ監督 原 辰徳 も高校野球での活躍で一世を風靡していて、アイドル的な存在でした。
同じ正統派のイメージということで、クラスの女の子の間では好きな人が 原 辰徳 と 三浦友和とに分かれていたのを思い出します。

友和さんを好きになったキッカケは・・・山口百恵 のファンだったから。。
百恵ちゃんのテレビドラマや映画の相手役として、友和さんを知ったように思います。
そうです! “ 百恵&友和 ”といえば現在はご夫婦ですが、当時はゴールデンコンビと呼ばれていました。
共演する機会が多くてチョコレートのCMにも出演していました。

友和さんとの最初の出会いは、テレビドラマ「 赤い疑惑 」、 映画は共演3作目の「 絶唱 」だったかな。
ドラマ「 赤い衝撃 」も観ました。映画は前作に「 伊豆の踊り子 」「 潮騒 」がありましたが、私自身は「 絶唱 」からで、最終作品「 古都 」までを映画館で観ました。
もちろん百恵ちゃん、友和さん単独でも好きなのだけど、その頃は “ 百恵&友和 ” のコンビがたまらなく好きだったなあ。
普通だったら、男優のファンになったら相手役の女優に嫉妬をするのかも知れないけれど、このお二人だけは特別でした。 当時を知る人なら解りますよね。
いつの間にか「 好きな芸能人は? 」と聞かれたら、「 百恵 友和 」と答えるようになっていたぐらい
確か 篠原ともえ の本名が友恵で、ご両親のどちらかが “ 百恵&友和 ”のファンだったから命名されたみたいな話を聞いたことがあります。(間違っていたら、ごめんなさい。)
それぐらい世の中に浸透していたコンビというよりも、まさしくお似合いのカップル
お二人が恋人宣言、結婚されたときもどちらのファンも大歓迎の祝福でした。

写真は「 三浦友和と仲間たち 」というアルバム(LPレコード)ジャケットです。
当時、友和さんは役者仲間とバンドを組んでいて、同タイトルのラジオ番組がありました。
友和さんはヴォーカル&ギター。
バンドのオリジナル曲や、番組内でリスナーの詩にメンバーが曲を付けた作品などが入っています。
友和さんが歌っていたことを知らない人も多いと思いますが、百恵ちゃんとの共演映画「 ふりむけば愛 」の中でも歌っていて、シングルレコードも発売されています。
オリジナルアルバムも出していて、『 夜のヒットスタジオ 』に出演したことも。
ラジオ番組では、ゲストで来た百恵ちゃんとの貴重なデュエットも聴けました。
しっかりカセットテープに録音しておいたのに、今はもう手元にありません なぜ?!

爽やかでたくましくて、包容力を感じる友和さんが好きでした。
現在は、百恵ちゃんの旦那様として静かに応援しています。
百恵ちゃんが、いつまでも幸せでいられますように



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フィンガー5 晃

2006年04月14日 | 芸能人etc.

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編)

2人目は フィンガー5 くん です

小学校低学年の頃かな。
アキラくん(玉元 晃)が、本当の最初に好きになった芸能人(歌手)です。
沖縄出身の当時10代の兄妹グループのヴォーカル。
大きなトンボめがね(サングラス)を掛けていました。
ヘアスタイルはワンレングス!?
今考えると私の好みではないのだけど、まだ子どもなので年齢の近いの男の子に目を奪われたようです。
少年のハイトーンボイスでかなりの歌唱力。
そこも魅力的だったのかなあ・・・?
と冷静な分析をしていますが、当時は相当お熱でした。
家で父親のサングラスを掛けてみては「 大好きなアキラと同じだ~。結婚したい! 」なんて思っていました。 単純な発想です。

初めて自分の意志で手に入れたレコード(シングル)も、やはりフィンガー5。
私が買ったのは “ 学園天国 ”。 後に、小泉今日子がカバーした曲です。
“ 学園天国 ” の前の曲 “ 恋のダイヤル6700 ” の方がヒットしたと思うのだけど、それは友達が持っていたからかなあ。
“ 恋のアメリカン・フットボール ” も好きでした。
末っ子で唯一の女の子の妙子ちゃんが歌うフレーズ・・・
どちらもどちらも大好きよ~ 私の心は決められない~
当時好きな男の子がたくさん居たので「 わかる!わかる!! 」
子どもながら妙に頷きながら聴いていました(笑)
ちなみに、現在カラオケで歌うフィンガー5の曲は、デビュー曲の “ 個人授業 ”
無理をして高いキーで、首に青筋を立てながら歌っています


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初めまして! “ みいはあ ” です。

2006年04月13日 | 芸能人etc.

好きなものの対象って、どんどん変わっていきませんか?
その時々で好きになった色々なキッカケや理由。
その背景や思い出など、幼少の頃から現在までを語ります。
最初のテーマは・・・「今までに好きになった芸能人」です。

“ みいはあ ” の好きな芸能人(男性編) の始まり始まり~。

オープニングを飾るのは ナント 橋 幸夫 です

えっ? いえいえ私は確かに結構な年齢ですが、そこまでは行っていません!(何処まで?)
実は、橋 幸夫は私が本気で好きになった芸能人ではなく、初めて意識をした芸能人です。

それはまだ幼い頃。
テレビで元祖 “ 御三家 ”( 橋 幸夫、舟木一夫、西郷輝彦 )を見ていて、
「私はこの三人の中では橋 幸夫かな?」 などと生意気に思った記憶がありました。
幼稚園児ぐらいで、既に男性を選択する眼が培われていたようです。
但し、この時の理由は・・・
橋 幸夫のヘアースタイルが、私の父親と同じ七三で真面目そうだったから!?
ただそれだけ・・可愛いものです。 その頃の私は、男性は父しか知らなくて・・・(当たり前か?)

そう言えば、小学生の頃に一度だけ橋 幸夫のコンサートに行きました。
確か、ヘアケア商品の懸賞か何かだったような・・・
平日の昼間に学校を休んで、母親と一緒に行ったっけ。
母も特別ファンだった訳ではないけれど、ゲストに当時、橋 幸夫のものまねをよくされていた 角川 博 が来られていて、単純な“ みいはあ ”母娘はなんか得した気分になったのを憶えています。

遠い記憶です。
初回は少し地味だったかしら。。。




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