
小田城址の俯瞰図
「小田城址」発掘調査
小田城は、鎌倉時代から戦国時代に常陸国南部に勢力を張った小田氏の居城跡である。
つくば市は、平成御9年度から史跡の内容を確認する部分調査(確認調査)を、同16年度から整備対象とした本丸跡とその周辺の曲輪跡で面的な本発掘調査を行った。
本丸の概要
(1)本丸跡の遺構面
調査により、盛士整地など改修の様子から6面にまとめられる遺構面(当時の地面、ないしその残り)を確認した。上層から第1面・第2面・・・・としている。
遺構面保護のため,第2面以下の調査はごく一部だけに留めた。およその年代は次の通りである。
(2)中世遺構面の変遷
① 鎌倉時代(第5面)
盛士整地が行われる以前の遺構面である。
南士塁跡の下層から石列や石敷きが発見された。
また、本丸跡の西側にある曲輪Vでは、同じ頃のかわらけがまとまって出士した。
この時期、小田氏がすでに居館を構えていたかは不明であるが、一般的な集落とは異なる様相である。
② 鎌倉・南北朝・室町時代(第4面)
広く黄色士を盛って整地されている。
上幅4m前後の堀が、南北約145m、東西約130mの範囲を方形に巡っている。
曲輪内部は整地のみの部分と小石が敷かれた部分に大きく分けられ、石敷部の範囲は曲輪内の東から南にかけて、3分の1程度と推測される。
このような堀が方形に囲み南に石が敷かれる形態は、以後の小田城本丸の原形となった。
本格的な士塁はなく、出入口は未確認である。
防御性が重視されていないことからは、「館」と呼ぶ方がふさわしい。
第4面
③室町・戦国時代(第3面、2面)
第3面には、基底幅6~10mの本格的な士塁が初めて造られ、士塁や堀により防御に適した「城」へと変化している。
第2面以降も、士塁は内側へ、堀は外側へ拡幅されたほか、障子堀や曲輪隅の櫓台が造られるなど、さらに防御性が強化されている。
虎口(城郭の出入口)は東・北の2カ所で、ともに木橋が架けられた。
第2面では、曲輪内部の北西に大規模な盛士整地がなされ、溝で区画された。
その内部は多くの建物が集中する区域となっている。この建物域では焼士や炭、焼けた壁士など、大きな火災の痕跡が顕著であり、小田城を舞台とした戦乱との関連が注目される。
南の石敷部は盛士により範囲が狭くなっている。
この時期までに、石敷部東西には有力氏族の城館でのみ確認されている園池が構築された。
本丸での建物域や園池の配置には絵画に描かれた足利将軍邸との共通性も認められ、名門小田氏の居城としての華やかさが強く感じられる。
第2面
④戦国時代末(第1面)
小田城最後の時代の遺構面で、下層面に比べて多くのことがわかっている。
第2面との大きな違いは東池を埋め、西池も縮小した一方で、南西虎口を新設し、その外側を防御する「馬出」を設置し、より戦闘に対応した変化が見られる。
第1面
堀・土塁
堀は幅約20~30m、深さ約4~5mの障子堀である。
障子堀は、堀底に障壁(畝)を配したもので、敵を防ぐ工夫と考えられている。
また、堀と士塁・櫓台の間には、幅1m前後の狭い平坦面(犬走り)が巡ることも確認できた。
士塁は基底幅が10~15mである。高さは不明であるが南東櫓台の脇では約3m残っている。四隅は櫓台状に堀側へ張り出しているが、北西と南西は幅が狭く櫓台ではなかったと推察されている。
虎口・橋
南西虎口が新設され、虎口が3ヶ所となった。
調査では、南西虎口で3.2m四方の規模になる門とその内側につながる石垣が、北虎口で小石を敷いた舗装が、東虎口で1辺50cmほどの大きな門の礎石が、それぞれ見つかっている。
新設された南西虎口には木橋が架けられた。北虎口の橋は木橋から士橋へと変わり、東虎口の橋は士橋状の張り出しと木橋を組み合わせたものとなった。
北士橋や東木橋の張り出しでは裾に石積みがなされており、南西虎口の石垣とあわせて石の多用がこの時代の特徴といえる。
東虎口と橋の変遷
曲輪内部
士塁の内側には南北約115m、東西約100mの平坦面が広がる。
北西部の建物域は大溝で南北約75m、東西約70mに区画され、大溝内側の東辺には塀もしくは柵が、南辺には士塁があった。
建物域は周囲より約30cm高くなっている。
建物域の内部は、南側では溝による区画が大きく柱穴や礎石が集中しているが、北側では区画が小さくく焼けた壁士や炭化米が散布し、状況が異なっている。
このことは、南が主殿などの大型建物が位置した表(非日常)の空間で、北が倉庫や台所などの裏(日常)の空間であると考えられる。
南の石敷部では、東池は無くなり、西池は狭くなって残っている。また、通路は東虎口から側溝をもって建物域へ向かうものが確認されたほか、北虎口から大溝に沿って南へ行くものの存在も推測される。
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【参照資料】
つくば市教育委員会「国指定史跡 小田城跡」平成22年2月