ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

高須芳次郎著『水戸學精神』第一 水戸學概説(六)水戶學の中正公明の態度と社會生活  

2022-08-20 | 茨城県南 歴史と風俗




(
六) 水學の中正公明の態度と社會生活  
〔神道と儲救との調和〕 
 

 茲に水戸學派の獨自の考へともいふべきは神道と儲救との調和を可能とし、國學一派の如く、儒教排撃を行はぬところにある。國學一派は、一切支那的な存在を不可とし、儒教のうちに、易世革命の考へを含むことを非難したぱかりでなく、兎角、こちたき理窟にこだはり、空文虚辞に流れることを罵つた。それは、勢ひ其處まで、鋒先を向けねばならぬ情勢に起つたからである。ところが、水戸學派は、儒教の考へを以て、日本精神と共通したところがあると解釈し、そこから、長所・美点を摂取して、理論の整備につとめた。時としては、會澤正志齋のやうに、儒教に拘泥し過ぎる傾向さへ示した。平たくいふと、支那的気臭から解放されぬ點が存したのである。

 が、文武一致といひ、忠孝不岐といひ、學問・事業共に共通的であるというあたりは中正・公明を旨とする日本精神の特質にぴたりと合してゐる。支那では、文を尚んで武を卑しみ、孝を先きとして、忠を後にすると云つたやうな缺陷がある。それは、中正・公明の旨を得てゐない為めだ。すべて、日本では、何ものかに偏ることを避け、綜合・調和を重んずる。文は武と調和して、はじめてその効果を發揚し、忠は孝と合して、そこに全い作用を示すのである。

〔學問の存在するところ、それを實地に生かす〕 
 文といふ以上、必ず武を予想し、忠と云ふ以上必ず孝を予想するのが、日本精神の一特色で、從つて學問の存在するところ、それを實地に生かして行くことを必然の歸結とする。卽ち學問を離れて、事業なく、事業を離れて、學問がないとし、この二つを連結する。かうして一切を調和の相において認識するところに、水戸學の獨得な考へ方が見える。

唯玆まで'考へた水戶學が、物心の調和について說くところがないのは、惟らないが、 以上の如く、一切を調和の姿として眺めるとするならば、たとひ、精神・物質の統合に觸れずとも、おのづから、この点をも予想してゐると見て差支へあるまい。


〔佛教を攻撃し、キリスト数を排す〕
 以上のほか、水戶學においては、佛教を攻撃し、キリスト数を排する上に相点の力を注いでゐる。それは、この二つの宗数が、本質において、非國家的なところが存するとする見解に基づく。國家よりも、佛陀若くはゴッドを一層大切なものとし、個人成佛を主としたり、或は各人の天國にゆくことを第一に說いたりすることは、水戶學派の大なる不滿と為すところである。それに小乗佛教に於ける方便説や、キリスト教に於ける非現實的な說法なども亦邪說として斥けた。

 そこには、尚ほ一応、反省し顧慮すべき點があるに關らす、水戶學派は、それだけの餘裕を持たなかった。が、日本の國民性に基調を置く學道を重要視し、これを以て、國教としようとする以上は、勢ひ佛教排撃となり、キリスト教非難となるのは、避け難いことであったらう。その主張は、全部妥當といひ難いけれども、一面において、確かに佛教・キリスト我の弱點を能く突いてゐることだけは認めざるを得ない。  

〔具體的な論述を為すと同時に、
  經世の上に積極的に働きかけた〕  

 要するに、水戶學の諸要素は、大體、以上の如くであるが、それらについて、抽象理論に墜せず、具體的な論述を為すと同時に、經世の上に積極的に働きかけてゐるところに一つの特色が見える。
 幽谷・東湖・正忐齋らはいづれも當時の諸問鹿について、意見を提示し、行き詰った局面を打開するにつとめた。彼等は、西洋の社會政策について、何ら知るところはないが、一切の改造を爲す上に獨自の政策を案出し、社會問題の解決にも實地に寄與した。言ひ換へると、純正日本主義の観點から、政治・經濟・社會教育などの改革を企圖したのである。

 東湖の『常陸帶』によると、彼の改革意見が、烈公に採用されて、水戶藩內の面目を一新した事功が能くわかる。これから考へても日本は、西洋のものなどにより指導される必要は少しもないと云ってよい。それ以上の思想が、東湖・ 幽谷の封事に示されでゐるのだ。茲に水戶學に於ける一つの强味がある。  

〔主要人物の多くは、實際の政務に參與〕  
 蓋し水戶學派の主要人物は、単なる文士•學者でなく、多くは、實際の政務に參與し、各自、相常の經綸を有したのである。從って、幽谷・東湖・正志齋らのみならす、他にも社會政策に力を注ぎ、或ば農政について特に研究した人々がある。

 割合に世に知られてをらぬが、岡井蓮亭の如きは、社會政策の上に卓見を有した一人で、その
『制産論』は一小篇ではあるが、現代の經世家に教ふるところが多い。運亭は、經濟界の進步につれて、貧富の懸隔が烈しくなりゆくことを憂へたが、それがために、富豪を圧迫するが如きことそ避け、富めるものも、貧しきものも共に樂しみ得べき社會政策を打建てようと試みたのである。蓮亭は、それに關して四策を提示し、富者には爵位を與へて、公共のために財産を快く散ぜしめ、貧者には金を無利子で貸與して、小作人らにも田畠を所有せしめるやう、立論してゐる。

〔日本精神に基づくところの社會政策〕
 從つて社會政策上、水戶學には、教へられるところが少くない。西洋直譯の社會政策によらずとも、日本精神に基づくところの社會政策が、古來、水戶學派の人々によつて、いろいろに案出せられてゐる。

小宮山楓軒の『農政座右』、長久保赤水の『年貢考』『禮記王制地理圖説』なども亦注目すべき書である。が、幽谷の『勧農或問』を以て、特に優れた見解に富む名著としなければならぬ。

 

幽谷は當時の農政を詳しく述べて、(一)侈惰の弊(二)兼併三弊(三)力役の弊(四)横歛の弊(五)煩擾の弊などを挙げ、どうして、以上の五弊を除くべきかにつき、一々具體案を提示してゐる。その他、彼の封事四篇の如きも、富國強兵の道を切實に論じて、正徳・利用・厚生の三事を髙調し、極めて時務に適切なところが多い。かうした點は、國學一派のうちに殆ど見ることが出來ぬが、水戶學において、随所に見出すことが出來る。それだけに現代人の心に痛切に響くものがある。
 
 更に今一つ、注目せねばならぬのは、水戸學派のうちに、西洋文明を採用するについて、日本精神を以て、それを統御し、日本を主、西洋を從とせねば、妥當でないとする鶴峰海西の説である。海西は、水戸藩に於ける西洋學の權威で、『究理新書』その他の著述がある。彼の『三才究理頌』は、西洋の理學について語り、その長所を日本に採用すべきことを、論じてゐると同時に、日本精神を以て、これを支配すべき主要点に触れている。

 彼は西洋學に熱中したけれども,それに心酔せず、盲従せず、「わが國家(日本)は名正しく、言順にして、君臣・父子の品・上下の分明かである」といひ、「道、我(日本)に存して、われ道(い)はず。尚ほ天言はずして百物成るが如くだ」と云って、何處迄も、日本精神を中枢として、西洋文明を統制すべきことを力說した。

 この點、東湖らも亦同じで、攘夷のために、西洋文明を拒否したのではなく、これを日本精神で支配しようとしたのである。

〔幕末の實際勢力と結びつき明治維新の場面を展開〕
 如上、水戶學の指導原理が、幕末の實際勢力と結びつくに及び、政局の上に、強い衝撃を與へ、尊皇攘夷の運動となったのである。それが拡大強化されることにより、幕府を打倒して、明治維新の場面を展開し來つた。  

 かうした意味を考へると、昭和維新に直面した今日、水戶學の再吟味を行ふことは、確かに意義がある。たとひ、その原理は、すぐ現在に役立たぬとしても、示唆を受けるところが少くない。
 (附記)水戸學の主要文般を網羅した『水戸學大系』全十卷は井田書店から出てゐる。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高須芳次郎著『水戸學精神』... | トップ | 〔技法〕第19代 永井兵助 ... »
最新の画像もっと見る

茨城県南 歴史と風俗」カテゴリの最新記事