筑波山中腹の筑波山神杜に隣接する、板東三十三観音霊場第二十五番札所の筑波山大御堂のガマの油の創始者光誉上人のお寺、筑波山大御堂の鐘は明治5年(1872年)に壊され失われたが、平成13年(2001年)に、130年ぶりに復元された。
この年の12月7日、新築された鐘楼前で落慶法要が営まれ、大みそかから新年にかけての鐘の音は、NHKのテレビ中継に乗って全国に鳴り響いた。
筑波山大御堂は、千手観音菩薩を本尊として、延暦元年(782年)に建立されたと伝えられる。江戸時代は徳川家から江戸城鎮護の寺として手厚い保護を受け、和歌山県の高野山・金剛峰寺、長野市の善光寺と並んで「天下の三大御堂」ともいわれた。
明治初期の廃仏毀釈で堂塔などは打壊された際、本尊だけは信者によって運び出され難を逃れたが、釣り鐘は姿を消した。現在の本堂が完成した1961年以降も、寺から鐘の音が響くことはなかった。
釣り鐘復活のきっかけは平成8年、縁日(追難会)に訪れた信者の思いだった。「昔からご詠歌に『大御堂かねは筑波の峰にたて かたタ暮れに くにぞこひしき』と歌われているのに鐘がないのは寂しい」
信者の多くが同じ思いだった。だが資金がない。檀家も1軒もない。庵主は悩んだ末、信者らの声に押されように決意し、全国に寄進を呼びかけた。4千千万円が集まった。
京都の業者に発注した。鋳造が始まったのは平成12年9月。この年、京都・神護寺の鐘(国宝)が1100年の歴史の幕を下ろし、鐘楼から外されたのと同じ日だった。大御堂の釣鐘は、神護寺の鐘の生まれ変わりのように感じられる。
鐘は直径97センチ、高さ161センチ、重さ約1トンの青銅製。宇治・平等院の鐘(国宝)と同型だ。
今年もまた、21世紀の平和の鐘、心を安らげる鐘として、多くの人に伝わってほしい。
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