江戸の町、技芸が有れば失業など無かった 吾妻橋の開通で隅田川の両岸の行き来が出来るようなった。 浅草は物見遊山の人でにぎわった。 永井兵助も浅草で、口八丁・手八丁で啖呵売よろしくガマ口上の腕を磨いた。 江戸では働く気さえあれば失業することはなかった。新治郡の兵助、江戸へ寺の雑用をして . . . 本文を読む
高須芳次郎著『水戸學精神』
第六 藤田幽谷の人物と思想 (九) 幽谷の對外策 〔対外硬の考え〕 その後、幽谷は、外交國難排除について、始終、心思をつくし、その對策に關し、率直に建言しようとした。が、當局では、平地に波瀾を起すやうに考へ、一向、幽谷の爲さんとするところに共鳴しない。かうして、幽谷はその對外硬の精神を實現することが出來なかった。 唯せめてものこととして、聊か幽谷自ら慰むるところがあ . . . 本文を読む