今日は、”初瀬製材所の歴史”を紹介したいと思います。
昭和7年(1932)
私の祖父初瀬長松が、”山長(やまちょう)”という屋号で、
大工の棟梁として、建設業をスタートします。
初瀬製材所が産声を上げた瞬間となります。
昭和23年(1948)
終戦後、資源が乏しい時代に、祖父が
「より多くの人々に、良質な木材の住宅を提供したい」
と言う想いから、製材業の事業も開始しました。
この時、会社の名前を”初瀬製材所”とします。
昭和58年(1983)
祖父が社長の座を退き、父が初瀬製材所の2代目の社長になります。
この時、初瀬製材所を法人として立上げ、”有限会社 初瀬製材所”になります。
いわきを中心に、南は、茨木県水戸市、北は双葉郡楢葉町まで、
数多くの新築工事、リフォーム工事などを手掛けてきました。
平成19年(2007)
3代目(予定)の自分が、ゼネコンでの8年間の修行を終え、
初瀬製材所に戻ってきました。
平成22年(2010)~
そして現在、2代目社長である父と力を合わせながら、
初瀬製材所、今日も頑張っています。
祖父が”山長”で出発してから、あと22年で、ちょうど100年目を迎えます。
これを一つの区切りと考え、創業100年目を目指したいと思います。
ちなみに、女の子ですが4代目(予定?)が、平成20年に生まれています。
これからも、がんばっていきますので、
応援宜しくお願いしまっす!
・・・太ったな、オレ・・。
昭和7年(1932)
私の祖父初瀬長松が、”山長(やまちょう)”という屋号で、
大工の棟梁として、建設業をスタートします。
初瀬製材所が産声を上げた瞬間となります。
昭和23年(1948)
終戦後、資源が乏しい時代に、祖父が
「より多くの人々に、良質な木材の住宅を提供したい」
と言う想いから、製材業の事業も開始しました。
この時、会社の名前を”初瀬製材所”とします。
昭和58年(1983)
祖父が社長の座を退き、父が初瀬製材所の2代目の社長になります。
この時、初瀬製材所を法人として立上げ、”有限会社 初瀬製材所”になります。
いわきを中心に、南は、茨木県水戸市、北は双葉郡楢葉町まで、
数多くの新築工事、リフォーム工事などを手掛けてきました。
平成19年(2007)
3代目(予定)の自分が、ゼネコンでの8年間の修行を終え、
初瀬製材所に戻ってきました。
平成22年(2010)~
そして現在、2代目社長である父と力を合わせながら、
初瀬製材所、今日も頑張っています。
祖父が”山長”で出発してから、あと22年で、ちょうど100年目を迎えます。
これを一つの区切りと考え、創業100年目を目指したいと思います。
ちなみに、女の子ですが4代目(予定?)が、平成20年に生まれています。
これからも、がんばっていきますので、
応援宜しくお願いしまっす!
・・・太ったな、オレ・・。
いわき市の住民代表として、
「ご苦労様です。こらからも地域密着型で、いわきのその近辺の住宅環境を良くなるように、よろしくおねがいします。」
100年を目指して頑張ってください!
嬉しいコメントありがとうございます。
祖父、父の築いてきたものを、
しっかり受け継ぎたいと思います。オス!
っていうか、もう脂のってる!?(笑)
私も人の事言える立場にありませんが・・・
100年目指してく( ̄△ ̄)ノガンバレェェェ!!
そして、コメントありがとうございます。
脂はかなり熟成されています・・、コッテリ!
22年後というのは、かなりの道のりですが、
1年、1年をがんばっていきたいと思います。
その時は、あじ平か、山田屋で打ち上げを
行いますので、是非、強制参加して下さい。
是非、グループ魂にきてもらい、
生コール&レスポンスを聞いてみたいです。
・・でもみんないい歳だよなぁ~。
いわきの木材でログハウスを作ることは経済面、技術面から可能でしょうか?
いわき市の木材でログハウスを作る事は
可能だと思います。
ただ、下記の問題点が考えられます。
均一な材料が採れない。
太く、長い材料がない。
(あっても、割高になってします)
そのような事が考えられます。