horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

2.28(金) 曇

2003-02-28 16:10:00 | 日記
早くも今日は金曜日、夕方までにこっちの仕事片付けとかないとPCは使えなくなる。
お定まりの孫のご入来なのだ。

そういえば昨日だったか一昨日だったか彼が電話してきた。
「おじいちゃん、テレビのコマーシャル見た?」
「こっちはテレビ見ないんだ。何のコマーシャル?」
「ファイナル ファンタジィ テン の ツー が出るんだって」(プレステ2用RPGソフト)
「ああ、知ってるよ。もうファミコンハウスに予約入れといた」
「いつ頃手にはいる?」
「3月13日が発売日だそうだよ」
「ふーん。聖小火の名声いまいくつ?」(onlinegame「天上碑」で自分で名づけたキャラの
レベルの話。先週帰っていく際にレベル上げの作業をジイサマに押しつけていった)
「85。3も上げたんだぞ」
「うん。ありがと。バイバイ」
子供の電話は用件以外は一切はいらない。大人だと挨拶だ世間話だと長くなるのだが。

さあて、ではこれはこの辺で切り上げにして、もうちょい孫孝行でもしておくか。




2.27(木) 晴

2003-02-27 19:42:00 | 日記

珍しく家内が自分から早起きして(といっても8時過ぎなのだ。昨夜午前2時「明日は9時に起して」と言って寝た。ふだんは11時くらいまで、ひどいときは正午過ぎまで眠っていることがある)「ふれあい茶話会」の世話に出かけていった。
この会はもともとボランティアで独居老人や七十過ぎた年寄たちの面倒みるものだったのが、市福祉課や福祉協とかも乗り出してきて、各町内4人程度の「ふれあい委員」が委嘱され家内はその代表にされてしまっているのだ。
去年の入院手術と術後の治療や養生でその役目からも離れてたが、今年にはいって復帰して月に一度の茶話会や独居老人の世話などに動いてはいるものの、今日も帰ってから「くたびれたー」とこぼしていた。まだ月に一度の通院で来週月曜が診察日(CTほかの検査も)息子が休暇とって来て車で送り帰りすることになっている。

こちらも今日は3時から近所の行きつけの医院で超音波検査を受ける日。
外へ出てみると雲ひとつない快晴なのだが日差しに力がなく、やや強い北風がまだ冷たい。
♪はるーは名のみーの 風のさむさやー♪ なのだ。震えるほどのものではないけれど。
だいぶ待たされて検査を受け、診断結果も聞かされたが、胆管、膵臓、腎臓の一部にちょっと
問題点はあるけれど前回の検査と全く変りはないから、また今度の検査まで様子を見ようということだった。これだけ年寄になればどこだってガタが来ているものなのさ。

帰り道、上空で鴉の空中戦、というよりは弱いのが強いのにおっかけられてるのを見た。
上昇反転や急旋回など、風も利用しての戦闘は往時のゼロ戦(思い出したくないけれど)さながら、見まわすと近くの電柱やアンテナのテッペンには野次馬・・じゃない野次鴉の姿もあった。

2.26(水) 曇時々雨

2003-02-26 19:45:00 | 日記

今朝は目覚めから調子がおかしかった。お天気同様気分も低気圧、こんな時はふつうドビッシィやショパンなどのピアノ曲か穏やかな弦楽合奏曲を聴き流してボーッとしてるのだが、今日はいっちょう逆療法でいくかと、確定申告の資料を取り出して電卓のキーを叩いた。

年金以外に所得はないし控除額の計算も去年と同様なので大した作業量ではないけれど、社会保険料の額が大幅に増えているのに気付いて、またまた頭痛がしてきた。
毎回天引きされる介護保険料と増加する一方の国民健康保険税、合せて年額30万近くというのは収入の少なさに較べてちょっと負担が重過ぎやしないかってんだ。

もっとも去年は家内が手術を受けて高額医療費の援助もあった。二人で病院通いしているので健康保険にはご厄介になってるわけだけれど、その都度の自己負担も馬鹿にはならない。介護保険だって、明日は我が身という立場にはあるのだが・・・とかくこの世は住みにくい。

今日も娘が出て来て、下の子の卒園(この春からはピカピカの一年生)記念のアルバムに使うからと、ジイサマが撮り続けている写真の中から二枚選んで持って帰った。

2.25(火) 晴

2003-02-25 14:17:00 | 日記

気がつけば(気がつかなくても二月は3日短いときまってんだよ)もう今週末は三月になるんだ。我が庭の枯れ色芝生にハコベなんぞがどんどんはびこり始めた。元気の無くなった老夫婦は草取りの仕事を思うだけでゲンナリする。去年なんか足首が沈むほどに延び放題だったから。

    ♪♪ もうすぐ は~るですねぇ~ ♪♪

もう今は昔のカワイコちゃん三人組が歌ってたっけ。そのあと「~~~~しませんか~」と続くのだが、すでに忘却の渕、ジイサマはほんとにしょうがないね。

娘が出てくるというので、税務署に寄って「確定申告」の用紙を貰ってきてくれとたのんだ。
源泉徴収額ゼロの年金暮しだから、別に申告する必要は無いわけだが、こっちを郵送しておけば市民税の説明(届出)会などという小うるさいのに出席しなくて済むわけ。

これもやがて春の到来を告げる私自身の定例行事なのだ。

2.24(月) 曇後晴

2003-02-24 19:40:00 | 日記
昨日のラグビー日本選手権決勝戦の興奮の余韻が今朝もまだ残っていた。
朝刊のスポーツ欄も念入りに読んだが、戦いの分析や記者の感想なども空虚に思える逆転劇は、サントリーびいきの老生ながらNECの執念には心打たれたのである。

栗原の欠場、伊藤の負傷など不利はあったとしても後半残り10分で9点のリードは明らかにサントリーの勝ちパターンだったし、テレビの前でこれで締め括りの三連覇かと楽観していた。
ところがである。その後2点差に迫られ、ラックから突破されて逆転、最後は敵陣深く攻めこみながら一瞬のこぼれ球を拾われて何と80mの独走を許した。追走したのは後半から交代出場のスキンヘッド(ひちむつかしい名前の外国人)一人だけ、ほかの選手は画面にも出なかった。

Cafeの足跡メッセージにいれた文言に反応があって、お若い女性のラグビーファンとミニメールの交換ができた。この方プロフのトップページにこの試合のスコアまで書いてあって、もとラガーマンのお祖父さん(83歳)とテレビの前でエキサイトしていたという。

これでラグビーのシーズンが終わったが、あとW杯の予選リーグがある。残念ながら我が国のレベルは外国チームと格段の差があって、楽しみにもならないのが寂しい。


2.23(日) 曇

2003-02-23 17:59:00 | 日記

昨夜寝ついたのは12時過ぎていたというのに、今朝はやはり8時には起きてきた孫、早速PCの前に貼りついて離れない。ただし連泊の条件に母親が出した「宿題は必ずやること」は守ってプリント2枚(算数の計算問題と国語の漢字練習)をちょいちょいとごく短時間で片付けてしまった。
今日の夕方にはサッカー部のお別れ会が保護者同席であるというので、4時頃お迎えが来て帰って行った。ジイサマに「キャラのレベル上げといて」と注文を残して。

日曜の恒例、囲碁の番組では趙治勲が前年度NHK杯優勝の張栩七段に白番コミがかりで勝ち。
そして待望のラグビー日本選手権決勝戦は三連覇のかかったサントリーに後半元気なく、勢いに乗ったNECが何と最初にして最後の優勝をとげた。来年度から社会人ラグビーが全国最強チームでのリーグ制となるので、この選手権大会は無くなる。

家内も娘の車に便乗して出て行ったので、いつもの如く一人PCに向かうジイサマである。

2.22(土) 雨

2003-02-23 01:15:00 | 日記
あぶない、あぶない。まだ今日の日付だがPCに書き込む時はずれ込むことになるだろう。
あやうく本日は初の欠番になるところだった。孫からやっとPC取り戻したところ。

朝は8時に起きてきて朝食もとらずに我がPCの前に座り込み、昨夜の続きからやりだして
深夜11時半まで殆ど独占しているのである。アニメの録画をTVで見ている時だけ、ジイサマに席を譲った。その間にこちらはBBSへの書き込みに返信するのが精一杯、たちまち再度取り上げられるのである。
4時頃、母親(我が娘)が弟も乗せてやって来て「一緒に帰ろうよ」と言っていたが、頑として拒否、今夜も泊りこんでいる。

OnlineのRPGで「エターナル カオス」というのをダウンロードして動画は出たもののうまくゲームとして働かなかったのが、先週末に師匠(息子)が来て我がPC(彼が組み立てた自作機)のセッティングを付け替えて行った結果、「お待たせしました」で働きだしたのだ。

これに食いついたのだからまさに寸秒を惜しんで遊んでいるが、まだ小三だから読めない漢字も随分と出たりするわけなのに、よっぽどの時でないと「ちょっと来て。これ何て読むの」とお声はかからない。しかもプレーヤー同志での会話など漢字転換も交えてシャカシャカやってのける。右手はマウスを握ったまま、左手の中指(どういう訳か人差指はピンと宙に向いている)一本でキーボードの「かな」を探してポンポン叩くのだがそれがかなりのスピードである。

今までやっていた「天上碑」と交互にとっかえひっかえで飽くことを知らない。
ジイサマは時折話し相手をしながらその後ろ姿を眺めているのである。

2.21(金) 晴

2003-02-21 13:27:00 | 日記
「づれづれぐさ」を「日乗」に乗り換えてやっと1週間がたった。スクロールしてみたら駄文が最初から並んでいる。月が変るまでは残しておくのかな、このページは。
そもそもはモチベーションの低下で雑文が書けなくなったので自らに課した強制労働なのだが
おそらく三日坊主に終わるだろうと思っていたら、今のところ持ちこたえている。

それとCafe巡りの足跡一言メッセージ、もとはと言えばBBSをつけてないMさんやBくんへの近況報告みたいなこともあったが、これも毎日のこととて少々くたびれて来た。定形や自由律の俳句で統一しようかと志したこともあったが無理だった。せめておきまりの挨拶はなしということで続けてみたい。

いよいよ老化が進んでお出で戴く方々への返信を書くのが精一杯、とても皆さんとこの掲示板にカキコに出るゆとりは無くなった。それでも御来訪下さる方が絶えないのは、特に画像展示室へ綺麗な写真や画像が次々に送られてくるのはまことに嬉しいことで、ほんとの話、老生の生きる支えになっているのである。ただただ感謝、感謝あるのみ。

今日は金曜日、五時過ぎには孫たちのご来駕があってPCを占領される。それまでにこの日乗と返信とCafe巡りとネット碁対局を済ましておかねばならぬ。明日、明後日はもっと大変。

2.20(木) 曇時々雨時々晴

2003-02-20 18:05:00 | 日記

朝日新聞の第1面に大岡信氏の「折々のうた」というコラムが連載されている。古くは万葉集から近くは平成14年刊行の句集にいたるまで、広範囲に短歌、俳句、川柳などを毎日一首(句)拾い上げて二百字程度の解説や論評を加えているのだが、その選択が多種多様、硬軟とりまぜて筆者の博識と薀蓄を披瀝しているのだ。
私も毎朝の習慣で目を通しているけれど、時には「うーん」時には「ふうん」、そして時には「「へぇ」てな感じである。別に切り抜きするでなし、メモとるわけでもないので、たいていは片っ端から忘れてしまう。健忘は老人の特権だから。

そんな中で我が身につまされて記憶に残ってる歌がある。申し訳けないが作者の名はおぼえてないし、細部はおぼろげで不正確なのだがまあこんなふうだった。

     年寄は体が痒くなるという 話を聞けば痒くてならぬ

前置きが長くなったが、わざわざ出て来た娘の車で今日も皮膚科の医院へ行って来た。
昨年末頃から湿疹のようなのができて「痒くてならぬ」ので診察受けて塗り薬と飲み薬を貰っているのだが、一向に治らない。お医者さま曰く「暖房器具をしまうまでは続くでしょう」
年寄は困ったもんだ。

2.19(水) 曇

2003-02-19 18:02:00 | 日記

二週間に一度の通院日である。通院といっても家から徒歩で5分とかからぬ近所の医院なのだが、いつもは面倒だから愛車(人動二輪)に乗って行く。所要時間約2分。
今日はあまり寒くもないし風も吹かないので珍しく歩いて行く気になった。

この医院の受付嬢、お天気次第で愛想が良かったり悪かったりするのだが、その容姿がアメリカ漫画のポパイに出てくるオリーブオイル嬢(この話わかる方は相当に古い人だよ)さながらに長身痩躯、やたらと長い手足をお持ちなのだ。まあご本人がこの文章読んだら気を悪くするだろうけれど、万に一つもその心配はあるまい。今日は「こんにちわー」とむこうから声がかかった。

本日先生不在で血圧と脈拍測るだけでおしまい、いつもの薬(何と7種類の錠剤)の処方箋と
「来週木曜日に肝臓の超音波検査をしますから」とメモを渡されて、隣の薬局で薬貰って帰る。

その途中、一面のうす曇りの空で太陽がまるで満月のようにぽっかり中空に浮かんでるのが見えた。眩しく光るでもなく、雲に隠れるでもないお日様を拝むのはきわめて珍しいチャンスじゃなかろうか。図体や距離は桁はずれに違うのに見かけの大きさが月と殆ど同じというのも不思議な話だ。西に沈むときの赤い夕日はうんとでっかく見えるぜ。なんてこと一人で思いながらぶらぶらと田圃の間の一本道を歩いてきた。