horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

枯れ葦の

2004-01-21 21:06:00 | 日記
 「人間は考える葦である」 
17世紀フランスの数学物理学者で思想家でもあったパスカルのこの表現は、我が国でもかなり広く用いられているのだが、私が知ったのは旧制中学の物理の授業で「パスカルの原理」とやらが出てきた際の脱線話であった。彼の著書「パンセ」の中にこの言葉があるのだという。
はじめて聞いた時、いっぱしの文学少年気取りだった私はその言葉の含蓄ありげな響きにわけも無く感動して、そんなことまで知ってる物理の先生を見直したりしたものだ。

しかしですよ。今にして思うに「人間は考える○○である」の○○に別の名詞が入っても成り立ちそうな気がする。あなたなら何をいれますか? たとえば「考える豚」とかね。

それが「葦」でなければならぬ理由が、或いは「パンセ」の中に書かれているのかも
知れないが、残念ながら読んではいない。
おそらく無いと思う。このような警句のたぐいは感性から発するものだから。「豚」との差は品の良さで歴然なだけだ。

私なりに考えたのだが「葦」は(フランスではいざ知らず)古来、和歌や俳句の題材に多く扱われ、人の生活に密着した存在だった。現代では河川改修とやらで無風流なコンクリートが巾をきかせているが、広い河原に密生した葦原を風が渡る姿が四季を通じて見られたであろう。

人の一生を葦に関する季語で案ずれば、幼少期、青く尖った芽が育つ春の「葦の角」、ぐんぐん伸びる成長期に「葦青葉」夏の盛りに「葦茂る」、壮年期に開く「葦の花」そして秋、白い「葦の穂」が風になびき、やがて「葦の枯れ葉」となって、老年期には茶っぽい茎だけが冬の風にさらされ「枯れ葦」と化す。

昨日、大阪の小学校時代同級生だった老友の訃報が届いた。このcafeでも付き合った仲だったのに。ただ冥福を祈るばかり、明日は我が身かと。

     枯れ葦の日に日に折れて流れけり   闌更

あの頃は

2004-01-13 15:22:00 | 日記
あの頃は我々老夫婦もまだ若かった。今ではジイサンバアサンになったから一からげで老夫婦ですますけれど、実は七歳の年齢差があるのだ。
片やミニサイズのわらべ顔、こなたは額の広いおじさん面、長男を産み育てていた頃に家内が近所のおばさんから「後添えさんですか」と言われたというくらいな外観だったらしい。いくら何でもそりゃあ無いよね。
そもそものなれそめは・・・いらんこと言わんでよろしい。とにかく僕ら六人兄弟の末っ子の妹と同い年、弟が妹の同期生と結婚したから、何と昭和9年生れが身内に三人並んだってことなのだ。その方々が揃って古希を迎えた。

何で歳の話になるんだ? いきなり脱線するなよ。
あの頃とは娘の成人式の頃、つまり二十数年前のことをこの時期に思い出したから。
当時家内は和服に凝っていて、ご贔屓の呉服屋があった。女子大に在学中の娘の晴れ着を誂えるのに、その呉服屋のお得意様ご招待会で、はるばる京都まで娘同道で品定めに行ったもんだ。そこで娘が選んだ反物は、会場主任のおば様から「お嬢さん、お目がお高うおす」と褒められたと、これは家内の土産話。

仕立て上がった振袖を着飾った娘の前向き、横向き、それにコート姿の母親が付き添って出て行く後姿まで、ご自慢のカメラに収めてアルバム作った父親もまたかなりの親バカぶりだった。若かったねえ。

ご時世が移って家内の和服熱も去り、その呉服屋も店じまいしてしまった。
若者たちの行状がニュースになる昨今の成人式だが、老人はありし日の思い出をほのぼのと味わっているのである。




お年玉・落し玉

2004-01-08 14:48:00 | 日記
今年のお正月は、大晦日に帰って来た息子と二日午後から来た娘と孫二人とで賑やかだったが、三日には夫々の車で風の如く去って行った。潮が引いたあとの夜は寂寞そのもの。

孫たちには祖父母と伯父からお年玉のポチ袋が出た。上の子は四年生だから自分用のゲームソフトを買う資金という意識があって貰い貯めてるらしいが、下の子は一年生
何と「ぼく、いらない」という返事、代わりに母親が受け取った。普段から自分の欲しいものは無理いっても手にはいるものと思い込んでいるから、金銭の感覚はないらしい。そういうものかと認識を新たにした次第。

彼らが帰ったあと、ジイサマの体調がおかしくなった。微熱から高熱が出始めて風邪の症状、気分が悪くなり吐き気を催す。
5日の夕刻、ついに嘔吐が止まらず気が遠くなりそうな苦しさ、家内がタクシー呼んでかかりつけの医院へ連れ込んだ。まだ吐き気がおさまらずトイレに行って、洗面台の鏡に映る己の顔面蒼白、ぼさぼさの銀髪はまさに幽霊。我ながらぞっとした。
営業時間後の点滴治療を受け、家内の電話で車を飛ばして来た娘が医院へ迎えに来た頃は、症状も治まり熱も下がって一人で歩けるようになっていた。

実は孫たち二人とも同じような嘔吐下痢症を去年の暮にやっており、母親もうつされて吐き気に苦しんだのだという。

お年玉のお返しに、とんだ落し玉を頂戴したジイサマなのである。