horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

同い年だった            

2004-08-04 09:56:00 | 日記

同い年だったOさんが先に逝ってしまった。
ついに直接お会いする機会は無かったけれど、パソコンの画面を通してのお付き合いは、まこと肝胆相照らす仲とも言うべき間柄だった。
だのに僅か三年に満たぬ短期間で終止符が打たれようとは。
さらでだに侘しい老残の身に、無常の風が容赦もなく吹き抜けていく。 

二〇〇一年八月末、このCAFEに加入して自分のウェブサイトを持った際、七十三歳(当時)の老齢を看板に「シルバーエイジも元気」とタイトルつけたサークルを立ち上げた。
その折「入るなら絶対これしかないと思った」といちはやくメンバーに加わってくれたのがOさん、まさに運命の出会いなのだった。
そのサークルには同年配の方が七名参加していただき「ふれあい広場」でいろいろとおしゃべりしたのだが、Oさんはその明朗闊達な性格から積極的にコメントを寄せて下さり、サークル活動をリードしてもらった。
しかし私の体調不良もあってこのサークルは三ヶ月足らずの短命で幕を下ろした。

その後もOさんとはEメールでの交際が続いていたのだが、或る日突然「四季」28号が郵送されてきた。「自分が編集している同人誌だ。読んで感想を知らせて欲しい」ということだった。
見るからに手作りの味あふれる体裁、夫々に個性のある文章が並ぶ内容、これほどの冊子を四年間も続けて十数号纏め上げているOさんの努力に敬意を表して、ささやかな読後感を送ったのがことの始まり、29号も外野席からだったが、同人の皆さんに拙作「切り絵」を紹介されたりして、30号からはお仲間に入れていただく仕儀となった。

ところがOさんの体調に異変が起き、「ぶっ倒れる」という物騒なタイトルの文が31号に出て、編集もN氏にバトンタッチされた。その頃のメールのやりとりで病状は一過性のようだったけれど,やはり歳はあらそえぬものらしい。どちらも弱って来ていたのだ。
私が書いた山頭火の話がきっかけで、その後三号ばかり続けて「山頭火もどき」の句がずらりと並んだ。「もどきじゃなくて本人は大真面目なんだが、みんなは大笑いだった」という返事のメールも来た。その後も阪神タイガースやお孫さんの自慢話などが出て、こちらも安心していたのだが、今思うとメールも途絶えがちであった。

そして38号から寄稿がなくなった。気がかりだったのでメールしたら概要次のような返事が来て愕然とした。(私信だけれど、これが最後のメールになったし許して貰えるだろう)

 昨年夏頃から少し体調不良で、ゴルフをしていても疲れが早くて、どうも調子にのれず、暫くはお休みをすることにしていました。
今年のお正月に気分転換に東京の子供がハワイへ行くのに便乗して行こうと言うことになったのですが、ハワイなんかに行きたくねぇよと意地を張っていました。
とうとう二月六日ハワイへ行くことになりました。
 ところがあんまり体調がよくない上に食欲殆ど0が重なって、ユナイテッド航空の機内食のまずいことまずいこと。それで完全に食欲を失ってなんにも食えなくなりました。
 結局、十一日の飛行機で車椅子でご帰還。休養に行ったつもりが逆結果。ダウンと言うことになりました。
 帰国してから先ずかかっていた肺炎の修理に入院。いろいろ検査の結果、なんやら肝臓がおかしいでぇ、というわけで三月三日W医大で検査を受けました。
その結果、なんと肝臓癌や、という宣言を受けました。十二日にもう一度精密に検査をして結果どう処置するかが決定します。
もともと、酒類が全く飲めず肝臓が弱いとは思っていましたが、とうとう癌だということになりました。
 でも今まで、体調不良でも原因が分からずモヤモヤしてるだけで、なんか頭の中もすっきりしませんでしたが、癌だと決まればかえってすっきりしました。
 またいろいろ書けると思います。来月号からはすっきり再登場しますからご安心の程を。
いろいろなご心配は要りません。必ず復帰しますから。

その後の経過についてはN氏から詳しいお電話も頂戴していた。
退院してご自宅で療養されていたそうだが、ついに再登場は果たせなかった。
痛恨の極、唯々ご冥福を祈るのみ。私が後を追うのもそう先のことではあるまい。