horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

けたばたき

2002-04-26 16:37:00 | 日記
変てこりんなタイトル、「なんじゃこりゃ」とお思いでしょう。おわかりですか?

 はい、そうですね。回文(たとえばシンブンシ)に成り損ねの地名、逆から読んで下さい。
 大阪市南部、アベノ橋から住吉公園までの南海電鉄上町線のチンチン電車(六十数年前と同然今もコトコト走ってるのを四年前に古希記念の旧婚旅行で確認)で「やゃちがんてしがひ」と「つまめひ」の間にある停留所です。つまり、東天下茶屋、北畠、姫松と並んでいます。

 こんな言葉遊びが好きだった小学校高学年の頃、世は日中戦争(当時の呼び名で支那事変)に突入していて、愛国行進曲とか戦意高揚の歌が流されていたが「見よ東海の空明けて・・・」という歌詞を「見よトウチャンの禿げ頭・・・」なんぞといろいろ替え唄で歌っていました。

 この北畠、近くにスミチュウ(府立住吉中学校)やダイコウ(旧制大阪高校)がある住宅地でしたが、付近はまだ空き地が方々にあって、そのヒロッパ(ヒロバではない、ましてハラッパなんて言わない)で野球をやりました。軟式テニスのゴムボールを丸太ん棒でひっぱたく、野手は勿論素手、人数が少ないから大抵は二塁抜きの三角ベース、ゴロが飛んだら草に引っかかって止まってしまう、文字通りの草野球なのです。

 西の空に夕焼けが薄れかける頃、ヒロッパの上空に大型とんぼの群れが夕食にやってきます。
ラッポー、ベニ、オングルマ、そしてギー(二両連結)など今にして思えば独特の呼び名でしたが、それを捕まえる道具が面白い。ブリといって40cmくらいの木綿糸の両端に紙で包んだ石粒を括り付けたもの、二つ折りにして真中を持ち上空へ抛り上げるのです。うまくトンボが虫と思って近づけば、糸が羽にからんでバタバタしながら落ちてくる。「ガチャ、ガチャ、ガチャ・・」と歓声を上げながら駆けつけて絡んだ糸を外すのですが、命中率はかなり低かったようです。
ブリの石粒の大きさ、重さ、糸の長さなど道具の工夫と共に、投げ上げるコントロールとタイミング、子供同士の面子をかけた競い合いでした。

 年老いて記憶のファイルがますます消えていくこの頃、大阪での少年時代のことが断片的ながらおりにふれて浮き上がって来るのです。

こんくらーべ

2002-04-08 20:46:00 | 日記
春休みが終わりました。
孫たちの日常も元にもどったので、ジイサマの日常も彼らから解放されて、自分の時間が取り返せたというところ。心おきなくPCの前に座り続けて肩を凝らせております。

ところがです。
春たけなわの日光に照らされて輝いている南向きのテラスの波板の隅に、新たなお邪魔虫がご入来なのです。
孫と同じく二人連れ、うろちょろ飛び回るのもご同様、実はアシナガ蜂のつがいが巣作りの場所を求めて飛んで来たのであります。

最初の中は気がつかずにいたら、あっというまに巣の原型がぶら下がっていました。高枝切り鋏の先でつつき落し、蜂にはフマキラーなんぞ吹っかけて追い返しました。
これで安心と油断してると、次の日にはまたまたやって来て、ちょっと離れた場所でせっせと
仕事を始めたじゃありませんか。
まあ、あちら様としても子孫を残す本能がさせる勤勉な働き、こちらの都合で邪魔するのも悪いけれど、洗濯物干場になっていて愚妻がキャアキャア言うもんだから、巣の根っこが見える度にコサギ落として(これ標準語?)蜂を追っ払うわけです。
殺生はしたくないから来るたびに撃退するだけだが、あちらも簡単には諦めず狙いの場所を目指してくる。まさにこれ、こんくらべ なのであります。

いつ終わるかはあちら様次第、別にお気に入りの場所を見つけてくれることを祈るばかり。

ちなみに浅学(?)をヒケラかすと、CONCLAVE は枢機卿団による教皇選挙会議のことであります。