horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

ジイサマの春は・・・

2002-03-30 22:18:00 | 日記
娘を嫁にやったさきは、我が家から十四、五粁離れた温泉町(八代市に編入されてるけれど)で自動車ならさほど苦にはならない距離らしい。
普段でも週末に孫二人(8歳と5歳のヤンチャ坊主)乗せてやって来るのだが、小学校が春休みに入ってからは、日帰りだったり泊りこみだったり、とにかく頻繁に襲来する。

彼らのお目当てはテレビゲームなのだ。特に上の子は膝に乗って遊ぶ頃からファミコンのドラクエになじんで、スーファミからプレステ、プレステ2と機器もソフトも年と共に進化、我が部屋はまさにゲームコーナーなのである。
オーナーたるジイサマもRPGはまんざらでもないわけで、孫をダシに自分が楽しんで来たとも言える。画面の漢字まじりのセリフを弁士よろしく読んできかせながら、幼児には
むつかしいトリックなど本気になって挑戦してきたものだ。
小生意気な小二の今はゲームのテクニックについてジイサマに講釈する程になったが、それでもなお傍に私が居ないと納まらない。ゲームボーイのポケモンやドラクエモンスターズと並行して、PS2でファイナル・ファンタジーのシリーズ等にのめりこんでいる。

弟の方はボーリングや自動車レースなどのゲームからやりだして、何とビリヤードもマスターした。わざと自球を台から弾き飛ばして見せて喜んでいる。もちろんゲームのお相手はジイサマなのだ。最近は兄貴の真似でゲームボーイもやれるようになった。
だから我が家に来てる間は二人とも殆どジイサマべったりで、結果的に母親たる娘に息抜きの時間を与えるのが私の役目みたいなものなのである。
新学期が始まるまでまだかなりの日数があるのですぞ。



なんじゃこりゃ

2002-03-24 12:00:00 | 日記
「なんじゃこりゃ」とは何じゃこりゃ?
実は大福餅の名前なのだ。宮崎市から帰省してくる息子が毎度手土産に買ってくる。
なりのでっかい大福というよりドーム型の饅頭タイプでたっぷりのアンコの中に大粒のイチゴが丸一つ、ここまでは普通「いちご大福」などと言うのがあるから驚かないが、何とそのほかにサイコロ型のチーズが一個はいっているのだ。
最初食べた時に甘い餡の中で塩のきいた洋風な味にグチャリとぶっつかって、思わず「なんじゃこりゃ!」。
和風の菓子の代表格ともいえる大福餅にチーズを入れるというとんでもない発想もさることながら、その感覚ずばりのネーミングにはびっくり。お上品とはお世辞にも言えないが。

お彼岸休日をずらして取って息子が帰って来ている。僕のPCの師匠でいろいろ面倒見てくれているが、早速昨夜、IEに不具合が生じて接続不能という事態が起こった。勿論老生だけだったらお手上げのところ、彼がいて助かった。
絶好のタイミング(?)・・・なんじゃこりゃ!

鶯の初音

2002-03-20 12:12:00 | 日記
今朝、目が覚めて(もう8時過ぎだが)まだ朦朧としている老いた脳は、夢のつづきかと受け取ったが、確かに「ホー ケキョ」とかぼそいけれどピッチの高い音色が聞きとれた。
いかにもたどたどしいという感じの鳴き声が間をおいて三回ばかり繰り返され、こっちがやっとこさとベッドをおりた時には止んでしまった。

周囲に稲や藺草の田圃も残る地方都市の住宅地。猫の額のような我が裏庭に樹齢四十年の山茶花が枝を一杯にひろげていて、赤い八重咲の花をたくさん開くのだが、この木に季節の野鳥が訪れてくる。鵯、目白などは常連だが鶯とは珍客なのだ。

向かいの家で籠に飼われてすり餌で育った鶯は
結構みごとな「谷渡り」も聞かせてくれたけれど今はいない。

ひさしぶりに「ホケキョ」を聞いて朝からいい気分になれた。

私の切り絵

2002-03-14 22:20:00 | 日記
ここからもリンクしている私の「Gallery」にだんだんとお客様が見えるようになって、先日ある方から「切り絵はどのようにして作るのか」というご質問のメールを頂いた。
そこで次のような返事を送ったのだが、この際ほかの皆さんにも知って頂いたらと思いつき、ご本人には無断で部分的に転載することにした。hさんご了解下さい。


私の切り絵は全くの我流、師も無く友も無く、自分一人の楽しみだけで作り始めたので、手法は試行錯誤の連続、題材の変遷につれて変わっております。最初期の郷土玩具(赤べこ、三春駒など)は色画用紙を形に切って貼りつけるだけのもの、次いで仏像(阿修羅、弥勒菩薩など)の黒一色の紙をカッターで切り抜いたモノクロのもの、続いてその白い部分に色を入れて、花や風景に発展したというわけです。

色付けの方法も工夫が要り、最初は色画用紙、ついで不透明水彩、そして最終的に辿りついたのが色染め和紙を使うという手法なのです。
 
現在の制作手順
   1.スケッチ、写真などの素材から切り絵原寸大の下絵を作る。
   2.下絵をトレースして黒いラシャ紙にチャコペーパーを使って転写。
   3.カッターで黒の輪郭線を残すように切り抜いて絵のモノクロ版を作る。
   4.夫々の色面に合う色染め和紙を裏から貼る(ぼかしを活かしたりして)
   5.必要ならば別に和紙を貼った厚紙の台紙を作り4.の画像を切り取って貼りつける。
   (黒い背景のままなら4.に厚紙で裏打ちをするだけ)
  
以上簡略な説明でお分かり頂けたかどうか、とにかく1.の段階が良くないと3.4.の細かくてくたびれる仕事も生きないのです。まあ小さな作品でも1週間から10日くらい、大作?になると半年がかりなんてのもありました。
  寄る年波(74歳)には勝てず、今は制作も途絶えておりますが。
  
Galleryは主な作品を纏めて生涯の総括というつもりで、PCをおぼえてから始めたmidiによる作曲も一緒にして、この世への置き土産にと作ったものです。

 
以上がその主文なのだが、一言付け加えておくと、このGalleryを(HPのcopyと共に)CD-Rに書き込んだのを身内や知人に送りつけている。作曲編曲集は音楽CDにもしたのでそれも一緒に。
文字通り手作りのCDで、僕のささやかな生涯の遺産?として残して行こうという魂胆。
で、もし貰ってやろうという奇特な方がおられたら喜んで進呈します。どうかお届け先をメールでお知らせ下さい。<送料ほか一切無料>
  


かるたの話

2002-03-04 16:55:00 | 日記
 今どきの若者たちは多分知らない人が大部分だと思うけれど、もう60年以上も前、小学校高学年から旧制中学前半に百人一首にのめりこんだ時期があった。
 愛だ恋だなど意味はよく分からぬままに、百首の歌を丸暗記して、取り札の下の句から読み札の上の句が直ぐ浮かぶ訓練を自らに課し「決まり字」の法則もほぼマスターした。

 その頃は大阪市の南部、阿倍野(当時はまだ住吉区)の北畠に住んでいて、隣の家に同年輩の男の子がいた。少し年上の姉さんが二人、さらに年上の独身の叔母さんというこの家族がかるたの愛好者で、お正月だけでなく、何か機会があれば「かるた会」が開かれた。
 この会に招かれて賑やかな(騒々しい?)雰囲気の中で、ヒーちゃん、サーちゃん、フーちゃん(久子、貞子、房子だったと思う)に交じってお得意札の争奪戦が展開されるわけだが、今にして思えばどうも勝負しに行くというよりは、年上の女の人と遊ぶことの方が狙い目だったみたい。取られては相手の喜ぶ顔を見、取っては相手の口惜しがる姿を見る。どっちへ転んでも楽しみはあるのである。勿論、強いとこ見せて男の子として認められたい思いもあったわけで。 

 実は季節外れにこんなこと書くのは、先日小学校時代の同級生(だから彼も74歳にしてPCに取り組んでる)から百人一首のゲームソフトのCD-Rを送ってきたので、力だめしにプレイして見たのがきっかけで、60年たてばさすがに記憶力と瞬発力の衰えは否めないがコンピューター相手に結構勝負にはなってオモロカッタのだ。