浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

因果の道理からは逃れる事はない

2024-02-25 20:14:00 | お知らせ
御朱印をいくら集めても、お守りやお札を買っても、病気になる時はなるし、死ぬ時は死ぬのです。私も神社仏閣にお参りするのは好きですから、御朱印を集めたり、お守りを買ったりするのを否定は致しません。辛いときには、何かに、すがりたくなるものであります。しかし、それは趣味という位に思っておいた方が良いと思います。仏教は、因果の道理を絶対に守る宗教です。何事にも、原因があり、結果があるのです。それに対して、御朱印やお守りは、因果の道理とは関係ありません。自業自得という言葉がある通り、自分の行いは自分でその結果を受けていくのであります。それに御朱印やお守りは関係ないのであります。悪い行いをすれば、悪い結果がもたらされるのは当たり前なことです。生きていれば、病気になるのも当たり前であります。私も病気にはなりたくありません。しかし、私にははっきりとはわからないけれども、何か病気になる原因があったのであります。お守りを買えば、それが帳消しになる事は無いのであります。また、亡き方は、迷ったり私たちに祟りをもたらしたりは、絶対にありません。もし、そのような心配をされるのであれば、それはあなたの心が、迷っているのであります。
仏教では、人生の中で、今が1番良いと考えるのであります。皆さんも、今が1番幸せだと思って生きてください。それが1番の幸せではないでしょうか。過去を振り返って、あの時は幸せだったと思ったり、もう少し我慢すれば幸せになれると思うより、今、生きている事は、幸せなことなんだと思うほうが、よっぽど幸せだと思います。なぜなら、生きているのは、今しかないからです。生きていると言う事は、当たり前では無いからであります。たとえ、今、ご病気であっても辛い境遇にあっても、今が1番有難いのであります、明日生きている保証は無いからであります。皆さんの大切な方も、いつの間にかいなくなってしまうのです。だけど、南無阿弥陀となって、いつも戻って来てくれているのです。私の口に、南無阿弥陀仏と出てくださるお言葉は、仏様のお言葉であります。私が称えているのではなく、仏様が私の口を通じて、称させていただいているのです。そのお心は、あなたのことを、いつも見守っていますよ。あなたのそばを離れる事はありませんよと言う意味であります。仏様の真実なるお言葉は、いつも私のところに至り届いてくださっています。南無阿弥陀仏は、仏様のお言葉と聞かせていただくものであります。南無阿弥陀仏は、助けてくださいと言う意味で称える方もたくさんいらっしゃいますが、南無阿弥陀仏を、助けてくださいと称える方は、まだ助かってない方です。



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