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浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

友引に葬式はダメですか?

2023-05-15 13:46:34 | 法話

今朝も雨が降っておりましたが、お昼ごろから曇りになりました。今週は、平日でも、連日、ご法事のご依頼があります。カレンダーには、友引 仏滅 大安などいろいろと書いてあります。ちなみに、浄土真宗本願寺派公式手帳には、一切、書いておりません。この前、病院に定期検査の予約をお願いに行ったのですが、私の職業が、住職ですと申し上げると、それなら、友引が都合が良いのですね?と看護師さんの方から提案をして下さいまして、「えっ?なんでわかるんですか」と思わずこちらから聞いてしまいました。たぶん、同じ、住職をしている患者さんから、友引にして欲しいとリクエストがあったのかな?と想像しました。友引は、火葬場がお休みなのです。友引の日のゴルフ場は、お坊さんのグループばかりと聞いたことがあります。ところが、人口が多い地域の火葬場は、友引でも、稼働されています。亡くなる方が多いため、お休みしていられないのです。しかし、友引でも稼働されているとはいえ、普段より、希望する方は少ないのです。なぜなら、友を引く(つまり、周りの誰かを一緒に連れていく)という恐れがあるからです。そんなバカバカしい話、そんなの迷信だよと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、とても、この思いは根強いです。私が住む厚木市は、それほど、混んでいない火葬場なので友引はお休みです。私は、普段、医者に行くなどは別にして、なるべくプライベートの予定を入れません。葬儀は、いつ、ご依頼を受けるかわからないからです。この日は、予定があるから、ご葬儀の依頼はこないで欲しいと思っていると、ご依頼を受けるもので、この日は、何も予定がないから大丈夫だと思っていると、何もご依頼がないのです。今は、長男が、副住職として勤めてくれていますから、以前に比べ予定を入れることが出来るようになり、助かっていますが、父が引退し、私一人で勤めていた時は、予定は入れず、友人からのお誘いも断っていました、ご葬儀が入れば、友人との約束は断るしかなく、断るのが面倒だし、相手にも申し訳ないので、だんだん、予定を入れるのをやめてしまいました。しかし、友引だけは、絶対、葬儀が入らないのです。ところが、近年、友引でも火葬場が稼働しているので、絶対、友引は葬儀の依頼がこないということはなくなりました。でも、それも、一年に一度あるかないか程度です。以前、葬儀社の方にお聞きしましたら、浄土真宗の方には、友引でも大丈夫ですよ、友引なら火葬の良い時間がとれますよ、一週間以上待たなくても、すぐにでも、火葬が可能ですと、おすすめするそうです。それでも、避ける方が多いようですが。浄土真宗に詳しい方なら、ご存じでしょうが、浄土真宗は、日の良し悪しを、気にしてはいけないことになっています。ですから、浄土真宗の盛んな地域では、友引でも火葬場が稼働しているのは当たり前だそうです。友引に葬儀をしても、友を引くなんて、迷信だと思いながら、やはり、気になるものです。万が一、続けて葬儀などということも、ありえますから、そんなとき、親戚から、友引に葬式をしたからだなんて、心無いクレームが入ったら、心が痛むことでしょう。ですから、やはり、友引は避けようということになるのは、とても分かります。このような、カレンダーに日の良し悪しが書いてあるのは、仏教にはまったく関係のないことだと、私は教わりましたが、はっきりとした理由は忘れました。興味のある方は、ネットで調べると由来がわかると思います。他にも仏滅に結婚式は避け、おめでたいことは、大安にするものだが常識になっておりますが、私は、仏滅に結婚式をするのは良いと思います、式場によっては、割引があるとか聞いたことがありますし。以前にも書きましたが、浄土真宗では、迷信や占いに頼らない、お守りやお札に頼らない、頼るべきは阿弥陀如来だけです。日に良し悪しは、自らの行いによって決まります。私は、もともと、気にするタイプの人間なので、もし、浄土真宗の教えに出会ってなければ、どうなっていたかというのが想像出来ます、いちいち、何をやるにも、カレンダーを見て日の良し悪し、方角、占い、迷信などを調べて、物事を決めていたと思います。たぶん、とても、窮屈な人生になってしまうように思います。朝起きて、占いをたまたま見たら、今日は最悪な日などと出ていたら、今日の出かける予定はキャンセルするかもしれません。また、浄土真宗は、運命も否定します。もし、運命を認めると、努力しても無駄になります、すべて、しかれた鉄道のレールのように、人生が向かう方向が決められているのであれば、努力しても無駄です。運命などという考えは捨てて下さい。このお話は、法話会などで、何度か定期的にするのですが、その時は、参加者の方、頷いておられるのですが、法話会の後、法事の日取りを決める際、「仏滅は避けた方が良いですか?」と質問されたりします。先ほど、頷いていたのにです。でも、気持ちはわかります。もし、自分では納得していても、他の参列者に、何かクレームを言われないか?とか、常識がないなどと思われると思うと、無難な日にする方が良いとなるのでしょうね。でも、浄土真宗の考えは、覚えておいてください。必ず、人生に役立つと私は思います。たとえば、家を買う際、方角などを気にしていたら、良い物件を逃すかもしれません。もし、これを、インターネットで検索しはじめたら、もうおしまいです。何が正しくて何が間違っているか、訳が分からなくなり、ますます、思い悩み、もう、この家は売れてしまいましたなんて、ことになりかねませんよ。仏壇置く場所、方角なども、よくご質問されますが、皆さんがお参りしやすい場所が、よい方角であり、よい場所ですよ。とお答えします。私たちには、いつも、阿弥陀如来が側にいて下さって、「気にするな、大丈夫」と背中を押して下さっています。人生は、選択の連続、ますます迷い多き人生にならないためにも、浄土真宗の教えをお聞きください。


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西本願寺は拝観料ありません

2023-05-14 20:53:56 | 法話

今日の午前中は、曇り空のお寺、午後からは、本降りの雨でした。それでも、今日は、母の日なので、お墓参りに来られる方が多かったです。最近、健康食品の無料サンプル一か月分を申し込みました。頼んだ理由は、健康に良いというよりも、無料だからです。その後は、何度も、継続の案内電話があり、お断りしました。家族からも、何度も電話があり、困るんだけどと言われてしまいました。私、無料という言葉に弱いのです。スマートフォンのアプリも、ほとんどが無料で使えますが、中には、有料もあります、これも、最初の三か月は無料などとなっており、つい、有料でも、最初は無料だからいいやと、申し込んでしまいます。他にも、世の中に、無料があふれています。相談料無料、見積もり無料。法徳寺も、相談料無料です、でも、相談の後、電話などは致しません、こちらも、大変ですし、皆さんも嫌でしょうから。

先日、京都に親鸞聖人御誕生850年の法要にお参りをしたことは、ブログにも書きましたが、京都の有名な観光神社仏閣は、拝観料が必要です。しかし、西本願寺には、拝観料がなく無料なのです。今回のような特別な法要には、お布施として、お一人5000円お包致しましたが、普段、お参りするのに、拝観料はありません。それには、理由がございます。観光寺院ではなく、阿弥陀如来の救いを聞かせて頂くための寺院だからです。昔は、念仏の道場という言い方をしておりました。ですから、浄土真宗のお寺が、山奥にあることは、あまりなく、街中にあるのが普通です。それは、寺院は、修行の場ではないからです。門信徒さまが、阿弥陀如来の救いを聞かせて頂くための寺院だからです。あの世界最大級の木造建築のお堂は、なぜ、あるのか?あれだけの大きさでないと、お参りの方が、多すぎて、入りきれないのです。今回の法要も何か月にもわたってお勤めするのは、全国からのお参りの方に対応が出来ないからです。西本願寺の前にある、龍谷ミュージアムで、以前、昔の法要の映像が流れているのを観たことがありますが、とんでもない人が京都駅にあふれ、西本願寺にお参りするための臨時列車が出ていました。西本願寺の境内にも人があふれ、お堂に入れないような状態でした。今は、人数調整をして、予約制にして、混乱がないようにされているのですが、あの映像は、本当に、凄い状態でした。なぜ、西本願寺にお参りするのでしょうか?それは、今生で、阿弥陀如来に出会い、救われたことに対して親鸞聖人へお礼をするためです。阿弥陀如来の救いに、出会えていない方にとっては、西本願寺も、京都の有名な観光寺院の一つにしか思えないかもしれませんが、そうではないのです。西本願寺は、二つ大きなお堂が並んでおり、右側が、阿弥陀堂、一般寺院の本堂にあたり、阿弥陀如来がご本尊です。左側が御影堂(ごえいどう)で親鸞聖人のお木造がご本尊です。なぜ、親鸞聖人がご本尊なのか?親鸞聖人は、阿弥陀如来の救いを、私に伝えるために、この世に誕生してくださった方なのです。親鸞聖人がいらっしゃらなければ、私は、阿弥陀如来に出会うことは、絶対に出来なかったことでしょう。私は、親鸞聖人を阿弥陀如来と同じお方であると頂き、お参りさせて頂きます。

阿弥陀如来の救いを、頂くのに、お金は必要ありません。しかし、救いに出会うことは、難しいのです、何度も生死を繰り返し、それでも、出会うことは難しいと親鸞聖人はお示し下さいます。阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏という言葉となった仏様です、既に、私に届いているのですが、私は、前世まで、拒絶してきたのです。前世でも、阿弥陀如来は、私に届いていたのですが、教えを聴こうとしてこなかったのです。しかし、この世では、お寺に生まれるという、ご縁を頂きました。しかも、数多くある寺院の中で、浄土真宗の寺院に生まれるという、これ以上の阿弥陀如来に出会うチャンスはありません。阿弥陀如来のお導き、親鸞聖人のおかげです。もしかしたら、また、迷いの世界をさまようところでした。


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末法の時代

2023-05-13 15:12:32 | 法話

今週末は、雨の予報、私も境内の農作業が出来ず、法事の合間に、ブログを書いております。先ほど、法徳寺の近くに出来た、アウトレットモールが、テレビで紹介されておりました。今日は、午後から、更に、混雑するかもしれません。しばらくは、混雑するでしょうが、お客様は、飽きっぽいのです、刺激がなくなると、行かなくなってしまいます。お店を立ち上げるのも難しいですが、それを、持続するのはもっと難しいと思います。お寺も、これから、更に、持続するのが大変な時代になると言われています。今のところ、亡くなる方は、右肩上がりです。私のお寺のある厚木市より東側にある、近い火葬場は、相模原斎場、大和斎場ですが、稼働率が凄いです。都合の良い時間を予約したければ、一週間待たされるのは当たり前です。しかし、それも、後、数十年先には、だんだん、暇になるはずです。火葬場が足らなければ、新しく、建設すれば良いことなのですが、そんな簡単には行きません。火葬場は、必要な施設ですが、迷惑施設なのです。よく、火葬場建設反対、葬儀斎場建設反対、霊園建設反対の看板を目にします。そうなると、人が住んでいない山奥か、なるべく、外観をおしゃれし、火葬場は、今、煙突が無いのが当たり前です。住宅街の霊園さんですと、お線香を焚けない場所もあるそうです。お寺も迷惑施設に入ります。マンションを売る際、近くに、お墓がありますと聞くと、それじゃ、他を探しますという方がいらっしゃると思います。私は、お寺に生まれ、住んでおりますから、迷惑施設だとは思いたくないのですが、実際は、そのようです。法徳寺は、500年続いているのですが、よく、廃寺にならずに、続けてこれたものだと思います、歴代の住職が頑張って下さったお蔭です。私、昔、先生から、「おまえ、頑張るのはいいが、阿弥陀如来様の邪魔はするなよ」と言われたのを覚えています。住職が頑張って、ご門徒さまに、阿弥陀如来を救いを伝えようとするのは良いのですが、それが、間違っていては、邪魔をしているだけです。阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏となって、既に、私に届いています。私の救われる証拠は、口に、南無阿弥陀仏と出て下さることです。その救いをお伝えするだけです。

この前、新聞に、宗教法人ネット売買横行「歴史あるお寺お譲りします 一億2000万円」という記事が出ておりました。私も試しに検索してみると、宗教法人が、ネット上で売りに出されていました、私が見たのは3億円でした。今は、末法(まっぽう)の時代です。お釈迦様が亡くなった後、500年は、正法の時代、正しい教えがあり、正しく修行し、救われる時代です。次が、像法の時代1000年、教えと修行するものはいるが、正しく救われない時代。その後が、末法(まっぽう)の時代1万年、教えだけが残り、修行する者はいない、そして、救いがない時代です。その後、1万後は、法滅です、教えも消滅するのです。親鸞聖人がご在世の時代は、既に、末法の時代に入ったのです。しかし、その中で、阿弥陀如来の救いだけが、唯一、救われる道と説かれました。それは、私に代わって、阿弥陀如来が修行をし、その功徳を、南無阿弥陀仏という言葉の仏様となり、私にお与え下さるからです。救いに対し、私の力を必要としません、むしろ、私が手出しをすると、邪魔をするだけです。私に出来ることは、阿弥陀如来にお任せをするだけです。


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諸行無常を考えてみる

2023-05-11 20:52:59 | 法話

皆様、こんばんわ!

先ほど、無事に帰ってまいりました、最近は、地震が多く、心配しております。日本は、地震大国ですから、いつ、どこで、地震があっても不思議ではないようです。しかも、予測が難しいのですから、困ったものです。昨晩、私、地震の前に、ふと目が覚めて、何だか、地震がきそうな気がすると思ったら、本当に、地震がきてびっくりしたのですが、あれは、夢だったのか?先ほど、夕ご飯に、娘にその話をしたら、私もそうだったのと話してました、親子だからでしょうか。私、予測出来たのだろうか?

私たちの、いのちも予測が出来ません。明日生きているという保証はどこにもありません。お寺は、毎日、ご法事のご予約を頂きます。気が早い方は、来年の予約を頂くことも珍しくありません。「それでは、ご住職、宜しくお願いします!」「はい、承知致しました」と当然、有難くお受けするわけですが、心の中で、「お互いに無事に生きていればね」とつぶやいてみます。それは、お互い生きている保証はどこにもないからです。事実、法事のご依頼を頂いたご本人が、法事の前に、亡くなったということもあります。それは、嫌な話ではなく事実なだけです、これが、諸行無常です、世の中のすべてのものは、移り変わるのです。

阿弥陀如来は、お浄土に私たちをお救い下さるという法話をしても、それは、遠い未来の話として、聞いている方がほとんどです。そして、法話をしている私自身も同じです。しかし、それは、遠い未来の話ではなく、今の話です。明日も生きていたら、それは、とても、有難い幸せなことです。毎日を、そう思いながら生きている方は、幸せな人生です。毎日の積み重ねが人生ですから、どのように思うか、感じるかで人生だいぶ変わってきます。「ああすればよかった、こうすればよかった」「いつか、あれをしよう、これをしよう」毎日、そう思って生きていると、必ず、後悔します。「いつか」は、ありません。生きているのは、「今」だけです。


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南無阿弥陀仏は、仏様そのもの

2023-04-24 10:22:38 | 法話

皆様 おはようございます!!

最近は、だいぶ、減りましたが、時々、こんな電話があります。「 〇〇株式会社と申します。先日、ご住職あてに、パンフレットをお送りしたのですが、ご覧になって頂きましたか?」 興味のないダイレクトメールは、封をあけずに、破棄してしまいます。 一か月ためておくと、凄い数になります。 私たちは、毎日、阿弥陀如来様からダイレクトメールを受け取っているのですが、ほとんどの方は、封も開けずに捨てているのです。 きっと、私も、お寺に生まれなかったら、阿弥陀如来様のメールを受け取っても、興味がないと、封も開けずに、捨てていたと思います。そのダイレクトメールこそ、南無阿弥陀仏です。この言葉こそ仏様そのものです。それが、浄土真宗の大看板です。阿弥陀様が、私をお救い下さると思って安心しております。というのは、間違いではありませんが、正しくは、南無阿弥陀仏が、私に届いているから、私の口に出て下さるのです。南無阿弥陀仏の本当の意味を、聞かせて頂き、救われるのです。意味を分からずに、称えていても意味はありません。

世の中の変化は、著しいです、十数年前まで、お墓が足らなくなる!ってマスコミも騒いでいました。ですから、皆さん、少々遠くても、まだ、誰も亡くなっていなくても、土地だけでも買っておこうという方が多かったのです、ところが、ここ数年どうなったかといいますと、「お墓が足らないではなく、お墓はいらない」になってしまいました。 新聞の折り込みチラシには、樹木葬という名のお墓がブームです。チラシを見ると、当初のように、木の下に埋葬するというようなイメージだったのが、だいぶ、変わってきました。それも、いつか、ブームが去ります。既に、供給過剰になり、以前より、だいぶ、お安くなりました。探している方にとっては、良いことですが、決して、樹木葬=値段が安いわけではありません。是非、法徳寺の永代供養墓とも比べてみてください(セールスしておきます)。

今更、書くまでもありませんが、コロナ過で、葬儀も家族葬が主流になりました、数百人が参列する葬儀なんて、もう無いかもしれません。時々、葬儀社の方から紹介された葬儀で、「49日もついでにやってもらえせんか?」と言われることもあります。私は、そういう要望に、拒否しないことにしていまして、「はい、大丈夫です」とお受けすることにしています。 法徳寺は、いつでも、葬儀を受けてくれる、無理を聞いてくれる、嫌と言わない、お布施も安い。コンビニさんのように、出来るだけ、皆さんの要望に応える便利なお寺で良いと思っています。この前、テレビである病院が紹介されていました。その院長先生の言葉は、「この病院は、24時間、患者さんを受け入れる病院です、患者さんを断らない、助ける病院です。」と言われていたのには、ビックリしました。

これからも、一つだけ、永遠に変わらないことがあるのです、 それは、私たちに、この世に、たった一人で生まれてきて、いつか、たった一人に死んでいかねばならない。私は、何のために、この世に生まれ、死んでどこへ行くのかという問題です。これこそ、生きているうちに解決しなければならない大問題です。その大問題は、南無阿弥陀仏が、既に解決をして下さっているのです。南無阿弥陀仏は、仏様そのものです。「あなたが心配している大問題は、解決済みですよ」と、毎日、毎日、私にメールを下さっています。


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