暫くの間、ねこブログだってことを忘れて頂きたい展開となっております。前回に引き続き、娘の流浪旅第3部でございます。当初3部で終了のつもりでおりましたが、現在の見通しですと5部まで書かせて頂くことになりそうです。このシリーズ、私の老後の楽しみです!どうかお付き合いくださいませ
※おそらく過去最長の記事となってしまいました。申し訳ございません
え?海の画像は見飽きた?ですよねー。でもね、これが最後です。今回の旅で最後に出てくる海、こちら兵庫県の須磨海水浴場でございます。
前日、高知のNさんの妹さんに、お土産にと頂いたぶどうを、ロックアイスで冷やしながら、そして海を眺めながら食べる!なかなかのアイデアです。
千葉の海と違ってキレイですね~。透き通ってます。
な、な、何ですか~?これは。亀?違う?くらげじゃないですよね?足がもじょもじょってあるみたいですけど・・・。ま、いっかー
三十路半ばの、若干肌の張りを失った水着姿も、これが最後です。自撮りしながら、なんで難しい顔をしてるの~?と思ったら・・・。
なるほどね~。盗撮野郎ですね。そんな奴は、こっちが盗撮してやるわ!と、いつも強気に、盗撮しているその姿を盗撮するウチのお嬢さん。盗撮返しや~!今回はこうして晒されちゃいましたね~
わぁ!夜には大阪に入ったんですね。
まぁそうですよね~。
大阪と言えば道頓堀。お約束の場所でパチリ
途中、気に入った洋服を見つけたようです。買ったのかな?画像を送ってくれるのはいいのですが、説明な~し!なので、推察するしかありませんよ。いかにも娘が好きそうなデザインです
腹ごしらえはやっぱりそうですか。
これはホントに美味しそう
お腹を満たした後は・・・これは娘のお決まりコース。
お!大阪の~
クラブがあるビルを~
闊歩するねこさん。やっとねこ出てきた~
今回は大阪ですからね、金沢と違って、DJもいるよね、きっと。
暗くて写りが悪いですが、人だらけ。しかも大半が外人さん。ま、あなたもフェリー乗り場でそう思われちゃったからね。
お仲間っちゃーお仲間ですね
え?外人さんばっかじゃつまんないからハシゴ~?
そう言えば、昔(10年以上前)六本木や渋谷のクラブに連れて行ってくれたよね~。場違い感半端なかったけど、あれは楽しかった。
若い人たちが、飲んだり踊ったり、楽しそうにしているのを見るのって、こっちまで楽しくなっちゃいますよね。この日娘が弾けたのかそうでなかったのかは分かりません。帰ってきたらお土産話を聞かせて貰わなくっちゃね。
さて翌朝は腹ごしらえのためでしょうか、京都の錦市場をナビに入れたようです。
おぉ~!懐かしいですー。なぁんてね。京都には7年間住んでいましたが、娘が1歳半、息子が生まれたばかりという状況での転勤で、私にとっては子育て大戦争とも言える時期でしたから、実は錦市場には数回しか行ったことがありません。
アーケードの天井が、こんなカラフルだったってことも、全く気付きませんでしたよ。
うんうん、こんな風に売ってた売ってた~。そこは変わってないんだね~。
卵焼き好きのあなたが選びそうなお弁当ですや~ん。これは美味しかったに違いない!
錦天満宮なんて、存在すら知りませんでしたよ。買い物だけして、とっとと帰っちゃってましたからね
あぁ~、京都らしい和のテイストのピアス~。苺大福とかー。これも買ったの?写真撮っただけ?
第3部、観光部分はここまでです。ここからは、娘が京都時代を懐かしみつつ訪れた思い出の地の話です。1歳半から5年半は西京区の桂。その後7歳から1年半を右京区の嵐山で暮らしました。
皆様には興味の無い話かもしれません。お嫌でなかったら、お付き合いくださいませ ナビに入れたのは、小学1年生から2年生の終わりまで通った小学校。京都市立嵐山小学校ですね。
お!途中京都タワーの近くを通ったってことね。
懐かしい校門前で。
うっすらとしか無かった記憶が、甦ってきたそうですよ。
実は桂に住んでいた時に、第一夫の不貞が発覚したのでした。「好きな人が出来たから別れてくれ」と言われましたが、私には到底別れる決心など出来なかった。
好きでしたしね、彼のこと。子どもたちの大切な父親だとも思っていましたし。嵐山に引っ越したのは、何とか環境を変えて、もう一度一からやり直せないか・・・という私の悪あがきでした。
でも結局、彼は浮気ではなく、本気だったんですね。今思えば上手くいく筈もありません。それを知っている娘は「京都はねー、最初どうしようかな・・・って思ったの。きっとままは辛い思い出しかないだろうし。でも嵐山のことは覚えてたから、やっぱりちょっと行ってみたくなっちゃって・・・ね」「いいのいいのー。全然気にしないで―。そんなの昔ばなしだよぉ」
あぁ、中央奥に見えるのが、再生をはかろうとして暮らしたあのマンション・・・。胸がキュッとなりました。あ、でもほんの少しよ~。
そうそう、この川で捕まえた亀を、息子が大事に育ててました。アニメのおぼっちゃまくんの真似をして、亀に紐を掛けて、乗ってお散歩しようとして、歩かない亀に癇癪起こしてましたねぇ。
ここで暮らし始めて、半年くらい経った頃、第一夫は家を出て行きました。会社の社宅扱いだったので、離婚すればすぐにここを出て行かなければならず、便宜上籍を抜かなかったっていうのが本当のところかな。でも私はまだ諦めてなかったかも。
上の写真の左手、うっそうと茂った木は、嵐山小学校の木なんですよ。家から近っ!学校近っ!
娘はきっと、この場所が私にとって一番辛かった場所だということを知らない筈です。まぁここ見ちゃうとバレちゃいますけど。でもこうして改めて何年も経って、ちょっとキュッとはしましたけどね、全然大丈夫です。それだけ今が幸せだということでしょうね。
嵐山に別れを告げて、次の目的地をナビに設定し、車を走らせていたら、信号待ちでとある交差点に止まったんだそうです。「牛ケ瀬交差点」牛ケ瀬?あれ?桂に住んでた頃、行ってた公園?と気づいて、車を道路脇に止め、ナビで検索すると、やはり近くに牛ケ瀬公園がある。
来てみたものの、何も思い出せない。でもここは嵐山に住む前に住んでいた、桂のマンションの近くに違いないと思い、また調べたのだと。
小学1年生の時、数か月間通った川岡東小学校も、その場に立って目の当たりにしても、全く思い出せなかったそうです。
でも、住んでいたマンションはちゃんと思い出せたようでした。
マンションを思い出すと、そう言えば記憶にあるいつも遊んでいた公園は、牛ケ瀬公園ではなく、大般若公園だったということも。
大般若公園の前に立つと、幼い頃の記憶が、次々と溢れ出てきたそうです。
巨大滑り台だと思っていた、あの記憶の中の滑り台は、こんなに小さかったのか・・・。
小学1年生の時、この滑り台を、うつ伏せ逆向きに滑ろうとしたら、弟が頭をパン!と叩いた拍子に顎を打ち付け、傷口が大きく開いて流血し病院に連れて行かれたこと・・・。
とにかくやんちゃな息子で、私も手を焼いたものでした。一番仲の良かった娘のお友達、やまぐちようこちゃんとでもしましょうかね、仮名で。ようこちゃんが弟くんと一緒に遊びに来た時も、買ったばかりの二段ベッドが嬉しくて、ようこちゃんのことを弾みで押してしまい、骨折させた・・・ということもありました。
そんな色んなことを思い出しながら、この滑り台は、たくさんたくさん写真を撮って帰ろうと。そして一旦帰りかけたけれど、この大きさを知るためには、人が一緒に写ってなかったら、分からないんじゃ?と思ったのだそう。
公園ですからね、お子さん連れのお母さんたちがいたそうです。ベンチに座ってお喋りしている3組の。あの方たちに写真を撮って頂けないかお願いしてみよう・・・と意を決して近寄って行ったのだと。
「実は私、27~8年前にこの近くに住んでいて、川岡東小学校に行っていたんですね。その後引っ越して、それ以来初めてここを訪れたんですが、どうしても滑り台に乗っている写真が欲しくて。シャッターを切って頂けないでしょうか?」「分かりました、良いですよ~」という会話の後の写真です。
写真を撮って貰った後、お礼を言って帰ろうとしたら「川岡東小学校だったんですよね?昭和何年生まれですか?」と聞かれ「57年です」と答えたら「えーーー、そうなんですか?やまぐちようこって知りませんよね?」と。
え?え?え?何?どういうこと?「し、し、知ってますー。っていうか、ようこちゃんのことしか覚えてません」と言いながら、何故今ようこちゃんの名前が出てきたのか、これは夢なのか・・・と身体が震え、涙が出てきたと言っていました。
「私、やまぐちようこの弟の嫁なんです」
こんなことってあるの?唯一覚えていた、一番仲の良かったようこちゃんの弟くんのお嫁さんと、来る筈の無かった公園で、この日この時間に会えるなんて、奇跡としか思えませんでした。娘はもう涙で目が真っ赤になってますね。
さっきまで見ず知らずの、カメラのシャッターを押して貰うことをお願いしただけの彼女と、lineの交換をして別れたそうです。
その日の夜、弟くんのお嫁さんとこんなやり取りを。
そして後日。ようこちゃんから直接連絡が入りました。あの頃のようこちゃんにそっくりな、とっても可愛いお嬢さんの写真と共に。
この旅で、娘は忘れられない思い出を、たくさん作ってきたと思います。でもまさか、幼い日の思い出を蘇らせてくれる奇跡に出会うなんて、思ってもみなかったことでしょう。
ですが旅はまだ続きます。次回こそがクライマックス!?
ここまでご覧くださったということは、最後までお付き合いくださった奇特なお方・・・。本当にありがとうございました
※おそらく過去最長の記事となってしまいました。申し訳ございません
え?海の画像は見飽きた?ですよねー。でもね、これが最後です。今回の旅で最後に出てくる海、こちら兵庫県の須磨海水浴場でございます。
前日、高知のNさんの妹さんに、お土産にと頂いたぶどうを、ロックアイスで冷やしながら、そして海を眺めながら食べる!なかなかのアイデアです。
千葉の海と違ってキレイですね~。透き通ってます。
な、な、何ですか~?これは。亀?違う?くらげじゃないですよね?足がもじょもじょってあるみたいですけど・・・。ま、いっかー
三十路半ばの、若干肌の張りを失った水着姿も、これが最後です。自撮りしながら、なんで難しい顔をしてるの~?と思ったら・・・。
なるほどね~。盗撮野郎ですね。そんな奴は、こっちが盗撮してやるわ!と、いつも強気に、盗撮しているその姿を盗撮するウチのお嬢さん。盗撮返しや~!今回はこうして晒されちゃいましたね~
わぁ!夜には大阪に入ったんですね。
まぁそうですよね~。
大阪と言えば道頓堀。お約束の場所でパチリ
途中、気に入った洋服を見つけたようです。買ったのかな?画像を送ってくれるのはいいのですが、説明な~し!なので、推察するしかありませんよ。いかにも娘が好きそうなデザインです
腹ごしらえはやっぱりそうですか。
これはホントに美味しそう
お腹を満たした後は・・・これは娘のお決まりコース。
お!大阪の~
クラブがあるビルを~
闊歩するねこさん。やっとねこ出てきた~
今回は大阪ですからね、金沢と違って、DJもいるよね、きっと。
暗くて写りが悪いですが、人だらけ。しかも大半が外人さん。ま、あなたもフェリー乗り場でそう思われちゃったからね。
お仲間っちゃーお仲間ですね
え?外人さんばっかじゃつまんないからハシゴ~?
そう言えば、昔(10年以上前)六本木や渋谷のクラブに連れて行ってくれたよね~。場違い感半端なかったけど、あれは楽しかった。
若い人たちが、飲んだり踊ったり、楽しそうにしているのを見るのって、こっちまで楽しくなっちゃいますよね。この日娘が弾けたのかそうでなかったのかは分かりません。帰ってきたらお土産話を聞かせて貰わなくっちゃね。
さて翌朝は腹ごしらえのためでしょうか、京都の錦市場をナビに入れたようです。
おぉ~!懐かしいですー。なぁんてね。京都には7年間住んでいましたが、娘が1歳半、息子が生まれたばかりという状況での転勤で、私にとっては子育て大戦争とも言える時期でしたから、実は錦市場には数回しか行ったことがありません。
アーケードの天井が、こんなカラフルだったってことも、全く気付きませんでしたよ。
うんうん、こんな風に売ってた売ってた~。そこは変わってないんだね~。
卵焼き好きのあなたが選びそうなお弁当ですや~ん。これは美味しかったに違いない!
錦天満宮なんて、存在すら知りませんでしたよ。買い物だけして、とっとと帰っちゃってましたからね
あぁ~、京都らしい和のテイストのピアス~。苺大福とかー。これも買ったの?写真撮っただけ?
第3部、観光部分はここまでです。ここからは、娘が京都時代を懐かしみつつ訪れた思い出の地の話です。1歳半から5年半は西京区の桂。その後7歳から1年半を右京区の嵐山で暮らしました。
皆様には興味の無い話かもしれません。お嫌でなかったら、お付き合いくださいませ ナビに入れたのは、小学1年生から2年生の終わりまで通った小学校。京都市立嵐山小学校ですね。
お!途中京都タワーの近くを通ったってことね。
懐かしい校門前で。
うっすらとしか無かった記憶が、甦ってきたそうですよ。
実は桂に住んでいた時に、第一夫の不貞が発覚したのでした。「好きな人が出来たから別れてくれ」と言われましたが、私には到底別れる決心など出来なかった。
好きでしたしね、彼のこと。子どもたちの大切な父親だとも思っていましたし。嵐山に引っ越したのは、何とか環境を変えて、もう一度一からやり直せないか・・・という私の悪あがきでした。
でも結局、彼は浮気ではなく、本気だったんですね。今思えば上手くいく筈もありません。それを知っている娘は「京都はねー、最初どうしようかな・・・って思ったの。きっとままは辛い思い出しかないだろうし。でも嵐山のことは覚えてたから、やっぱりちょっと行ってみたくなっちゃって・・・ね」「いいのいいのー。全然気にしないで―。そんなの昔ばなしだよぉ」
あぁ、中央奥に見えるのが、再生をはかろうとして暮らしたあのマンション・・・。胸がキュッとなりました。あ、でもほんの少しよ~。
そうそう、この川で捕まえた亀を、息子が大事に育ててました。アニメのおぼっちゃまくんの真似をして、亀に紐を掛けて、乗ってお散歩しようとして、歩かない亀に癇癪起こしてましたねぇ。
ここで暮らし始めて、半年くらい経った頃、第一夫は家を出て行きました。会社の社宅扱いだったので、離婚すればすぐにここを出て行かなければならず、便宜上籍を抜かなかったっていうのが本当のところかな。でも私はまだ諦めてなかったかも。
上の写真の左手、うっそうと茂った木は、嵐山小学校の木なんですよ。家から近っ!学校近っ!
娘はきっと、この場所が私にとって一番辛かった場所だということを知らない筈です。まぁここ見ちゃうとバレちゃいますけど。でもこうして改めて何年も経って、ちょっとキュッとはしましたけどね、全然大丈夫です。それだけ今が幸せだということでしょうね。
嵐山に別れを告げて、次の目的地をナビに設定し、車を走らせていたら、信号待ちでとある交差点に止まったんだそうです。「牛ケ瀬交差点」牛ケ瀬?あれ?桂に住んでた頃、行ってた公園?と気づいて、車を道路脇に止め、ナビで検索すると、やはり近くに牛ケ瀬公園がある。
来てみたものの、何も思い出せない。でもここは嵐山に住む前に住んでいた、桂のマンションの近くに違いないと思い、また調べたのだと。
小学1年生の時、数か月間通った川岡東小学校も、その場に立って目の当たりにしても、全く思い出せなかったそうです。
でも、住んでいたマンションはちゃんと思い出せたようでした。
マンションを思い出すと、そう言えば記憶にあるいつも遊んでいた公園は、牛ケ瀬公園ではなく、大般若公園だったということも。
大般若公園の前に立つと、幼い頃の記憶が、次々と溢れ出てきたそうです。
巨大滑り台だと思っていた、あの記憶の中の滑り台は、こんなに小さかったのか・・・。
小学1年生の時、この滑り台を、うつ伏せ逆向きに滑ろうとしたら、弟が頭をパン!と叩いた拍子に顎を打ち付け、傷口が大きく開いて流血し病院に連れて行かれたこと・・・。
とにかくやんちゃな息子で、私も手を焼いたものでした。一番仲の良かった娘のお友達、やまぐちようこちゃんとでもしましょうかね、仮名で。ようこちゃんが弟くんと一緒に遊びに来た時も、買ったばかりの二段ベッドが嬉しくて、ようこちゃんのことを弾みで押してしまい、骨折させた・・・ということもありました。
そんな色んなことを思い出しながら、この滑り台は、たくさんたくさん写真を撮って帰ろうと。そして一旦帰りかけたけれど、この大きさを知るためには、人が一緒に写ってなかったら、分からないんじゃ?と思ったのだそう。
公園ですからね、お子さん連れのお母さんたちがいたそうです。ベンチに座ってお喋りしている3組の。あの方たちに写真を撮って頂けないかお願いしてみよう・・・と意を決して近寄って行ったのだと。
「実は私、27~8年前にこの近くに住んでいて、川岡東小学校に行っていたんですね。その後引っ越して、それ以来初めてここを訪れたんですが、どうしても滑り台に乗っている写真が欲しくて。シャッターを切って頂けないでしょうか?」「分かりました、良いですよ~」という会話の後の写真です。
写真を撮って貰った後、お礼を言って帰ろうとしたら「川岡東小学校だったんですよね?昭和何年生まれですか?」と聞かれ「57年です」と答えたら「えーーー、そうなんですか?やまぐちようこって知りませんよね?」と。
え?え?え?何?どういうこと?「し、し、知ってますー。っていうか、ようこちゃんのことしか覚えてません」と言いながら、何故今ようこちゃんの名前が出てきたのか、これは夢なのか・・・と身体が震え、涙が出てきたと言っていました。
「私、やまぐちようこの弟の嫁なんです」
こんなことってあるの?唯一覚えていた、一番仲の良かったようこちゃんの弟くんのお嫁さんと、来る筈の無かった公園で、この日この時間に会えるなんて、奇跡としか思えませんでした。娘はもう涙で目が真っ赤になってますね。
さっきまで見ず知らずの、カメラのシャッターを押して貰うことをお願いしただけの彼女と、lineの交換をして別れたそうです。
その日の夜、弟くんのお嫁さんとこんなやり取りを。
そして後日。ようこちゃんから直接連絡が入りました。あの頃のようこちゃんにそっくりな、とっても可愛いお嬢さんの写真と共に。
この旅で、娘は忘れられない思い出を、たくさん作ってきたと思います。でもまさか、幼い日の思い出を蘇らせてくれる奇跡に出会うなんて、思ってもみなかったことでしょう。
ですが旅はまだ続きます。次回こそがクライマックス!?
ここまでご覧くださったということは、最後までお付き合いくださった奇特なお方・・・。本当にありがとうございました
ポチ、ありがとうございました~