草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

棄てられていた右冠動脈

2022-06-06 15:18:58 | 循環器内科

今日は過日の造影CTの検査結果が下される日。

そぼ降る雨の中、タクシーで通院。

 

7時35分に出発したというのに1時間かかって遅刻。

道路は混んでいて必ず信号に引っかかりました。

8時予約でしたが何とか診察には間に合いました。

 

いつもの左冠状動脈に変化はなく治療を要しません。

ところが大手術以来、右冠動脈のバイパス血管は

早期に詰まったまま放置され、一番ひどかった血管の

狭窄も放置されたまま。

12年半という歳月は本当に苦しいものでした。

 

ところが担当が変わった新しい医師はカテーテルの

ランキング1位の医師だそうで大丈夫!と担当助手に

言われて私はにっこり。

 

あそこまで劣化した血管を救おうなんて

チャレンジャー先生です。

誰一人、右冠動脈を触ろうなんて先生はいなかった。

 

今回はまずカテーテル検査から始めるそうです。

パソコンの画面に映し出された血管は真っ白の

コレステロールだか、脂肪がびっしり覆っていました。

血管が白色???という状態でした。

 

まあ、右冠動脈はほとんど機能していなかったから

長期間苦しいままは当然ですね。

一生治ることはないと諦めてはいたのですが、

苦しいまま生きるのは辛いです。

 

ちょっと動くだけで息があがり、息切れし、動悸、

最近は徐脈より頻脈が気になりますがまあ

行き絶え絶えに生きております。

 

ずっとお世話になった主治医から離れることに

なりました。これも人生の巡り合わせでしょうか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瞑想

2022-06-05 16:22:22 | 国際裁判

Chihiro Sato-Schuh様よりシェアさせていただいております。

 

サイモン・パークスさんがコネクティング・コンシャスニスのメンバーに呼びかけている世界同時瞑想が、6月5日(日本では6月6日午前6時)にあります。
今、一番大きな問題になっているのが、洗脳されたまま目覚めない状態の人が多いということです。多くの人が目覚めていくことで、世界が転換していくプロセスをスピードアップすることができます。
これは、ホワイトハットの活動を助けるためのものだということです。先日、フュルミヒ弁護士チームの大陪審のレポートで、集団催眠状態を作り出す大衆形成という現象のことを書いたんですが、まさにそれが世界をDS支配から解放する最も大きな障害になっているということなんだと思います。このような集団瞑想は、前回は2015年に行われただけだそうです。
参加できる人は、ぜひ参加してください。世界中に何万人とかいるメンバーが同時に瞑想するので、かなりパワフルなエネルギーのフィールドができるのを感じられるんじゃないかと思います。
 
***
6月5日 (日)アメリカ東部 午後5時 イギリス午後10時
一人でもグループででもできます。
 
人類全体をイメージしてください。大勢の人がいる姿としてイメージできるんじゃないかと思います。
 
この人々の頭から肩まで黒くて濃い雲あるいは霧のようなものがかぶさっているのをイメージしてください。
この雲が立方体の形をしているようにイメージしてください。
 
そしたらこの雲が、角砂糖をコーヒーや紅茶に入れたときみたいに溶けていくのをイメージしてください。
 
これは悪魔的な要素であり、吹き飛ばしてもまた元に戻ってしまうことがあるので、溶かすようにしてください。
 
この黒い雲が溶けていくとき、源から明るい白い光がやってきて、人類が覚醒するのをイメージしてください。
 
この黒い雲が溶けていくことで、人類の本当の姿が現れてくるのをイメージしてください。この黒い雲とは、無知なのだということを忘れないでください。あなたは無知を溶かして、人類を解放するのです。
 
多くの瞑想では、何分もかけているし、5分で何ができるのかと思うかもしれないですが、これは5分だけで行ってください。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際裁判調査委員会での話

2022-06-05 16:02:40 | 国際裁判

Chihiro Sato-Schuh様よりシェアさせていただいております

【悪魔の誘惑】
 
6月3日に行われたフュルミヒ弁護士たちの調査委員会で、ローマ・カトリックのカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が、「地下の教会 deep church」について語っていた。
 
この2年半ほどで、多くの国の政府は国民の意志でなど動いてはおらず、表からは見えない闇の勢力に乗っ取られ、操られていることがはっきりしてしまった。その操っている闇の人々のことを私たちはディープ・ステート(地下の政府)と呼んでいるわけなのだけれど、これと同じものがカトリック教会にもあると、ヴィガノ大司教はいうのだ。
 
「地下の政府」も「地下の教会」もつまりは同じものだ。どちらもお金の流れから根っこをたどっていけば、同じ名前に行き着く。世界中のメディアや政党に資金を出しているのはいくつかの同じ財団であり、それを操っているのは、さらに少数の国際的な資産運用会社だ。
 
つまるところ、ごく少数のグローバル金融エリートたちがディープ・ステートもディープ・チャーチも操っていることになる。
 
ヴィガノ大司教は、アメリカのセオドア・マキャリック枢機卿の神学校の生徒たちに対する性的虐待行為を法王が放置していたことを批判する公開状を出して有名になったのだけれど、そのおかげで主流メディアなどからは陰謀論者扱いされることになってしまった。
 
アメリカにかぎらず世界中で、神学校の男の子たちが性的虐待を受ける事件は続出しており、マキャリック枢機卿の件も告発があって知られていたのにもかかわらず、法王は何の処分もしようとしなかったというのだ。
 
それについてヴィガノ大司教は2018年に公開状を出して批判した。
聖職者による神学生の性的虐待は、昔からよくあったようなことではある。しかし問題なのは、それを当時の法王ヨハネ・パウロ2世がもみ消していたということなのだ。
 
その後ベネディクト16世が法王になり、マキャリック枢機卿を退任させることになる。ところがそのベネディクト16世は、2013年に異例にも生きているうちに自分から法王を座を降りた。
 
そのあとに法王の座に就いたフランシスコは、「地下の教会」のマリオネットにすぎず、ディープステートのマリオネットであるジョー・バイデンとまったく同じだと、ヴィガノ大司教は言う。
 
「地下の教会」は200年も前からカトリック教会に入り込んできていて、徐々に腐敗させていったのだそうだ。お金や誘惑や脅しなどありとあらゆる手を使って、腐敗に誘い込まれるが、一度それに手を出してしまったら、脅しが利く人間になってしまう。スキャンダルを表に出すと脅されたら、何でも言われた通りに従うようになってしまう。
 
そうやって一度道を踏み外して、キリストの精神から離れてしまったら、他の人にも教義を守るようには言えなくなる。そうやって聖職者たちの頽廃が進んでいき、キリストの教えはあまり現実的ではない、描かれた理想であるかのように扱われるようになってしまったのだという。
 
そして、カトリックの教義は単に理論的なものとしてだけ語られて、それが日常の生活の中で守られなくても当たり前であり、欲望や誘惑に負けるのも許されるというような考えが広まってしまったのだとヴィガノ大司教は言っていた。
 
そうした状況の中で、20年から30年の間に、まともな聖職者はどんどん外と追いやられていき、腐敗した人物に教会のすべての主要なポストが占められるようになってしまったという。
 
ヴィガノ大司教は、権威の人間が倫理的に行動することにしか、この状態から脱出する道はない、という。つまり、キリスト教の原点に戻って、イエス・キリストとの魂のつながりを取り戻すことが唯一の道だというのだ。
 
フランス革命の前までは、権力は信仰と深いつながりを持っていて、権力は神のものだから、一心に人々のために献身するべきだという意識があったのだとヴィガノ大司教は言っていた。
 
このことは、大衆心理の専門家のデスメット教授が、5月19日の大陪審7日目の証言で、フランス革命もまた大衆心理操作によって作り出された集団狂気で引き起こされたと言っていたことと符号する。
 
フランス革命では、フランス王家が人民の共通の敵として残虐極まる攻撃の対象になったわけだけれど、それも実はフランスの民衆の意志であったというよりは、意図的に作り出された虚構の物語によって煽られていたにすぎなかったということになる。
 
王家や貴族についてあることないことが語られて、王侯貴族たちを皆殺しにするべきだというところまで掻き立てられてしまったのだ。
 
この2年ほどで、筋の通らないような馬鹿げたホラー話でも、しかるべき煽られ方をしたら、多くの人々はすっかり信じ込んでしまって疑わなくなるということを見てきたから、そんなこともあり得る話だと今は思える。
 
共通の敵が目の前にいるから、皆で戦わなければならないという話を信じさせることができれば、人々は言われるままに集団でありとある残虐なことをしてしまうのだ。
 
そして、まさにその原理を使って、政権を交代させるということがこの200年間、世界中で何度も行われてきたのだ。してみれば、民主主義というものも、実のところは大衆操作によってどうにでもすることができる国家の形として導入されたようなものだったのかもしれない。
 
フランス革命のときに、大衆を操って王政を崩壊させることに成功したあとで、もはや神の力とつながった権力というものはなくなり、国家は容易に腐敗させてしまえるようなものになってしまったとも言えるわけだ。
 
私たちは、つねに権威の人間を信頼するように言われてきた。親や教師、神父、医師、法律家、学者といった人たちをだ。だから、権威の人間を腐敗させ、操れるようにしてしまったら、人々を集団で支配できてしまうのだと、ヴィガノ大司教は言っていた。
 
だから、人々が権威の人間を信頼できるように、権威の人々が倫理的な価値を取り戻すしかないのだと。
 
しかし、今のような事態になって、私たちはもはや権威の人を盲目的に信頼してはいられなくなった。生き延びていくためにも、一人一人がスピリチュアルな力と魂のつながりを持つことが、必要になってきたのだ。
 
フランス革命で王政の時代が終わってからの200年、私たちはまさにこのプロセスを進んできたと言えるのかもしれない。200年前から、あらゆる権威は腐敗にさらされ、信頼することができなくなっていったのだ。
 
権威を鵜呑みにしていたら、大衆心理操作に取り込まれて、何もかも犠牲にして戦わされるようなはめになる。ありとある革命や二回にもわたる世界大戦で、人類はこの200年間、ありとある残虐、ありとある破壊を経験してきた。そしてそのほとんどが、こうした大衆操作によって、引き起こされていたことだったのだ。
 
まったくヴィガノ大司教の言う通りだと思う、とインタビューが終わったあとで、フュルミヒ弁護士は言っていた。
 
最終的にはスピリチュアルな力によるしかないというのは、まったく同じ意見だと。そう言ったときのフュルミヒ弁護士の顔が、妙に明るくすっきりしているのに、私は驚いた。インタビューをしていたフィッシャー弁護士も、やはり同じ顔つきになっていた。
 
これは神の愛の力を感じた顔だ、と私は思った。フィッシャー弁護士は大叔父がカトリックの神父で、ナチスドイツを批判して強制収容所に入れられ、そこで亡くなっているので、キリスト教には特別な思い入れがある。
 
それに対してフュルミヒ弁護士は、形式通りにしないといけないのが嫌いで、キリスト教会は脱退してしまったくらいだ。だけど二人とも、何か大きな神の力に触れたようなすっきりと明るい顔をしていた。神の赦しの力だ。すべてを赦す神の果てしない愛の力に触れたのだ、とその顔を見て、私は思った。
 
ヴィガノ大司教の発言によって、カトリック教会のおぞましい犯罪が表に出てきたのだけれど、キリストの精神に立ち戻っていくことが唯一の救いだということを彼が語ったとき、こんな悪魔的な犯罪すらも、無条件の愛である神は赦すことができるのだということを感じたのだ。
 
カトリック教会内部の悪魔的な行為については、いろいろな恐ろしい話が取りざたされてきたけれど、ヴィガノ大司教がまっすぐに核心をとらえてそれを表に出したとき、そんなことさえも神の大きな見地からしたら、いくらでもやり直しができるような間違いにすぎないのだと思えた。その大きな愛を感じた。
 
実際、間違っていたことを認めさえすれば、人間はいつでもやり直すことができる。新しい人生を歩む気になれば、その力を神はいつでも与えてくれるのだ。神がすべての罪を赦すというのは、つまるところそのことに他ならないのだということを、そのとき私は理解した。
 
この数十年、あるいはこの200年ほど、キリスト教会は悪魔の誘惑を受け、堕落を経験してきたのだと言える。しかしそのおかげで、宗教的権威に頼るのをやめ、自分でキリストの精神や神、スピリチュアルな根源の力に自分でつながろうとしてきたのであれば、それにも大きな意味があったのじゃないかと思う。
 
200年前、宗教も王侯貴族も、本当の意味での権威というものが消えてなくなり、腐敗に侵食されて、どんな権威も頼ることができなくなった。ある特権階級が、権力を授かる代わりに人々に対して責任を取り、自分を犠牲にして生きるというのが、200年前まではあった権威の形だったわけなのだけれど、私たちはそこへ戻っていくわけではないのだと思う。
 
そうではなく、私たちは一人一人が宇宙の根源の力につながって、自分自身に対して責任を持って生きていくようになるのだ。それこそは本当の意味でのピラミッド型の支配構造の終焉なのだけれど、実のところ、そのプロセスはすでに200年前から始まっていたことだったのだ。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お薬受診

2022-06-03 22:47:53 | 掛りつけ内科

5月からでしたか?

医療方針が変わり、受診しないと投薬されない。

だから苦しいけれど自転車で掛りつけ内科医に

行きました。

 

もう20年通っている医院、受付さんが

「苦しいですか」

「はい」

今日の来院の目的を話しました。

 

看護師さんがやってきて問診を受け、

このまま医師に伝達してお薬だしますね。

ほっ。

 

「しんどければご主人に薬を取りに来てもらって良いですよ」

「はい、ありがとうございます」

あっと言う間にお薬をいただいて帰宅しました。

 

薬はまだ少しあったのですが、入院加療と

なる可能性も高いのでお薬をいただきました。

 

でも? 造影CTの結果「異常ありません」

と言って帰されたら、私どうすれば良いだろう?

その時は心療内科?

終わりが良いな。ぼそっ。

 

昨日のこと。

とっくに日没していた空はまだ明るい。

糸のような三日月が黄味を帯びて美しい。

 

あ、茜色の飛行雲、粒のような機体は

金色に煌めきながら進んでいる。

 

高度高く飛んでいるので太陽の光を

まだ浴びていたようだ。

美しい。

 

今日も午後9時ごろ月を見た。

橙色の月が屋根と屋根の間に見えた。

うっとりと満足した。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際裁判7日目

2022-06-02 14:51:04 | 国際裁判

Satoさまよりシェアさせていただきました。

【メディアの犯罪】
 
フュルミヒ弁護士たちの大陪審の7日目が、5月19日に行われた。この日のテーマは、「心理学とプロパガンダ」ということで、大衆心理操作についての証言があった。
 
大陪審は2月に6回にわたって行われ、世界中のさまざまな専門家たちが証言した。その後しばらく時間をおいてから、結論の弁論と評決が行われるという話だったのだけれど、2ヶ月半ほど経って、評決の前に補足の証言が行われることになったのだ。
 
これまでの証言で、このパンデミックは、グローバル金融エリートたちによって計画的に演出されたものだったということがはっきりした。きわめて感染力の強い致命的な感染症が発生したという話が世界中のメディアで伝えられたのだけれど、これが実はまったく実態のないもので、偽陽性を大量に作り出す検査法によって感染症例が捏造され、過剰な治療によって重症化の例や死亡例が作り出されていたことがわかったのだ。
 
その目的は、感染対策を口実にして人々の行動を制限し、経済的な自立性を破壊することで、全体主義的な管理社会を導入することであり、また感染を予防するとされる薬剤を注射させることにより、人口を削減し、人々の免疫力を低下させて支配しやすい状態にするためだったことも、これまでの証言で浮かび上がってきた。
 
これは計画的なジェノサイドというべきもので、明らかに人道に対する罪であるという弁護士たちの当初の主張は、これまでの証言で明確に裏づけられたと言えると思う。
 
ところで、世界中の多くの人々は、恐ろしいウィルスから身を守るためにすべてを犠牲にしなければならないという作り出された物語をすっかり信じていて、現実にはそれとは逆のことが起こっているのにもかかわらず、気がつこうとしていないという事実がある。
 
実際には、感染症そのものよりも、感染予防のための対策による被害の方が甚大になっていて、感染予防のためにと注射している薬剤による死者が続出しているのにもかかわらず、多くの人はそれを認識できないかのようなのだ。
 
これについて、ベルギーの心理学者マティアス・デスメット教授は、これは大衆形成(mass formation)という現象で、これまでの歴史でも何度も起こったことなのだと語っていた。
 
大衆形成というのは、意図的に作り出される集団狂気の状態で、あるイデオロギーの物語を多くの人が信じてしまい、現実が認識できなくなる現象をいうのだそうだ。十字軍や魔女狩り、フランス革命などもそうした大衆形成による現象で、大衆形成に巻き込まれた人々は、語られる物語から距離が取れなくなり、現実がわからなくなってしまう。
 
そして、イデオロギーの理想のためにはすべてを犠牲にするような行動を取り、敵とされる対象に対して、極端な不寛容さを示すのだという。
 
集団狂気は自然発生的に起こることもあり、16世紀にストラスブールで起きた舞踏病のような例もある。ある一人の女性が街中で踊り出したのをきっかけに、多くの人々が踊り狂い始め、倒れて死ぬ人が次々と現れたのに、人々は何週間も踊り続けたのだそうだ。このように自然発生的に起こる場合は、大衆形成ではなく集団ヒステリーといっているそうだ。
 
これに対して、大衆形成は意図的に作られるものをいう。ロシア革命のときには、共産主義のエリートたちが、プロパガンダを広めることで、大衆形成を作り出し、大衆運動へと発展させた。
 
ドイツのナチも、同様に大衆形成で作り出された。マスメディアの発達により、この100年くらいは、少数のエリートだけで大勢の人々を操作することが可能になった。
 
このような集団狂気の状態は、絶えず虚構の物語を語っていないと持続しないのだけれど、この30年ほどは、マスメディアによってこれが可能になり、大衆形成が長続きするようになったのだとデスメット教授は言っていた。
 
人々が社会的に孤立しているほど、メディアが語る物語に取り込まれやすくなるので、個々人が孤立していることが、大衆形成ができるには必要な条件なのだという。
 
家庭が核家族したことで、人々はより孤立するようになった。スターリンなどもそうだけれど、全体主義者たちは、ほとんど直感的に人々を孤立させるように仕向けるのだとデスメット教授は言っていた。孤立していた方が、人は支配しやすくなるからなのだと。
 
孤立していると、人は現実から離れてしまい、人生には意味がないという感覚にとらわれやすくなる。それにより漠たる不安を感じ、フラストレーションを抱えるようになる。
 
この状態だと、ある種の敵を想定する虚構の物語が語られたとき、自分が抱える得体の知れない不安にはけ口が与えられたような形になり、たとえ筋が通っていなくても、その物語を信じてしまうのだという。
 
このようにして、十字軍のときにはトルコ人が悪者にされ、フランス革命ではアンシャン・レジームが共通の敵にされた。
 
集団で同じ敵に攻撃性を向けることで、人々は再び集団とのつながりを感じることができる。けれども、これはともに攻撃性を向けることでだけできるつながりなので、個々人の間の関わりは薄い。なので、個々人はより孤独になっていくという悪循環がある。
 
一つの物語では、永遠に集団を駆り立てることはできないので、次々と新しい物語が必要になる。新しい恐怖の素を与えることにより、集団を操作し続けることができる。
 
2年間ウィルスの恐怖の物語で大衆を操ってきたのが、ウクライナの戦争が始まってロシアの脅威の物語に変わったのは、まさにそうした例なのだとデスメット教授は言っていた。
 
催眠術師は、ある一点に相手の意識を引きつけることで、その人にとって外の世界が存在しないかのような心理状態を作り出すのだけれど、このようなやり方で、外科手術をしても痛みを感じない状態にすることも可能なのだそうだ。リエージュの大学では、こうした手術がいつも行われているという。
 
それと同じ原理で、大衆形成を作ろうと思ったら、ある一点に人の意識のすべてを向けさせるのだそうだ。それがつまり、恐ろしいウィルスであり、ロシアだということになる。
 
大衆形成の状態が続くと、与えられた物語以外のことが一切信じられなくなってしまい、しまいには他の現実を示そうとする人間を殺さなければならないように感じるところまで行ってしまうという。そうしたことは、ナチのときにもスターリンの時代にも、何度もあったことなのだと。
 
大衆形成で洗脳されてしまった人を目覚めさせることはほとんどできないと、デスメット教授は言っていた。非常にうまく話をもっていけば、あるいは目覚めさせることもできるけれど、ほとんど不可能だと。
 
だから、相手が真実に目覚めることは期待しない方がいいけれど、ただ異なる見解を発信する人がいると、洗脳プロセスを妨げることになるため、洗脳がさらに深くなっていくのを防ぐことができる。
 
だから私たちは、たとえ取り込まれた人たちが目覚めなくても、発信し続けるべきなのだと、デスメット教授は言っていた。他の見解を発信する人がいなくなったとたんに、全体主義への流れは歯止めが効かなくなってしまうのだから、と。
 
ニューヨーク大学のメディア専門家のマーク・ミラー教授は、「世界のすべてのメディアが加担していなかったら、パンデミックは起こらなかった」と言っていた。90%のメディアが、ウィルスの恐怖についての同じ物語を報道していたのだという。これにより、世界中の人々に同じ物語を信じさせ、同じ行動に駆り立てることに成功してしまったわけなのだ。
 
政府の支配力が強くなり過ぎないためにこそ、メディアの自由は重要だ。メディアには真実を伝える責任があるし、政府の見解に偏り過ぎないように、さまざまな見解を伝える必要がある。
 
これまではいわゆる左派のメディアが、政府に批判的な見解を伝える役割を担っていたけれど、ここ数年は、左派メディアも同じ路線の物語しか伝えないようになった。そのため、オルタナティブな見解を求めるために、ネットなどの別なメディアを探さなければならなくなっている。
 
昔は新聞社は、新聞を売って採算が取れたから、独自の路線でやっていくことができたのだけれど、今は購読料だけでは経営することができず、宣伝収入に頼らなければならなくなっている。
 
昔は、メディアは読者に対して忠実であればよかったわけなのだけれど、今は読者よりも広告主に左右されるようなことになっている。数年前からゲイツ財団が世界中のメディアに融資していて、メディアはゲイツ財団のお金がなければ経営していけない状態になっている。そのため世界中の90%のメディアがパンデミックについてまったく同じ物語を語るというような事態が起こったのだ。
 
テレビや新聞などは、かつてのようにジャーナリストたちに独自に調査させるようなことは経営上できなくなっており、ニュースエージェントから送られてくる情報をそのまま報道するようなことになっている。
 
独自に調査して真実を伝えるべきだというようなことは、もうジャーナリズムの学校でも教えていないし、そうした仕事にはお金が出ないので、あえてやろうという人はほとんどいなくなっているのだそうだ。
 
ある物語を浸透させるために、異なる見解の相手と議論するのではなく、相手のことをただ悪く言い続けるのだとミラー教授は言っていた。第一次世界大戦のとき、イギリスが最初にしたことは、大西洋に船を出してドイツとアメリカの間をつないでいた通信ケーブルを切断することだったのだそうだ。
 
その上で、ドイツ人が残虐行為を行ったという物語をあることないこと語り始めた。これによって、ドイツに対する敵対意識を駆り立てたというのだけれど、まさに同じことを今、ロシアに対してやっているわけだ。
 
大きな嘘の方が簡単に相手を騙すことができる、ということがある。すぐに嘘だとわかるようなことだと、それは嘘ではないですかと言うのは相手に恥をかかせることになってしまうから、嘘を指摘することが難しくなってしまうからなのだとミラー教授は言っていた。
 
ウィルスの恐怖にしても、感染予防の薬剤のことにしても、あまりにひどいあまりに見え透いた嘘がまかり通ってしまったのは、まさにそれ故なのだろう。
 
死亡記事にしても、この頃は「予想外に死亡した」と書かれるケースが激増しているけれど、予想外の死というのは、かつては自殺かあるいはドラッグのやり過ぎと決まっていた。死因がまったく書いていないことも多い。死因が書かれないなどということは、かつてはよほどの高齢者が老衰で亡くなったようなときだけだった。感染予防の注射のせいで亡くなったということを書かないのだ。
 
元プロ野球選手のハンク・アレンは、注射を打って17日後に亡くなったのだけれど、これは黒人たちは医療機関を信用していなくて、多くは注射を打とうとしなかったため、何とか彼らに注射を打たせるために、有名人に打たせて宣伝しようとしたからだったのだそうだ。
 
亡くなった17日前に注射を打っていたけれど、検死解剖の結果、注射とは無関係だったことが判明したと報道されていた。
 
それについてロバート・ケネディ・ジュニアが調べたところ、検死などまったく行われていなかったことが判明した。それでメディアに抗議したけれど、メディアは報道を訂正しもしないし、何の返答もしなかったそうだ。
 
万事がそういった具合で、あとで嘘が暴露しても、訂正もしなければ、嘘だったことを認めもしない、とミラー教授は言っていた。
 
この日は最後に、PCR検査についてウルリケ・ケメラー教授から補足の証言があった。武漢では、PCRで陽性とされた人をウィルス培養検査したところ、無症状だった人は全員陰性だった。
 
症状のあった人のうち57%はインフルエンザにも感染していたことがわかった。死亡者はほとんどが高齢者で、すでに重い病気があった人たちで、このような人たちが末期にいくつものウィルスやバクテリアに感染して肺炎になるのは、これまでも当たり前にあったことで、何ら特別なことではない、とケメラー教授は言っていた。
 
つまり、無症状でも人に感染させる危険があるというのはまったく根拠のないことで、無症状の人たちをスクリーニング検査するのは、人をパニックに陥れる以外の何の意味もないことだと言える、と。
 
大陪審はこのあと2週間ほどしてまた行われ、結論と評決がある予定だそうだ。この大陪審は、このパンデミックの大犯罪の全体像をコンパクトに示すことで、それぞれが自分で判断し、しかるべく対処することができるようにすることを目的として開催されたのだけれど、ここまで来て、非常に深い世界の闇が表に出てきた感がある。
 
実際、これまで100年以上もの間、こうした闇は表面から隠されて、私たちは騙され続けてきたわけなのだ。それが今、そのすべてをこうして見て取ることができる。
 
今もメディアは嘘を報道し続けていて、それに取り込まれる人たちがいて、一体こうした事態がいつまで続くのかわからないのだけれど、虚構による狂気は永遠に続くものではない。
 
自然環境にも私たち人間の身体にも、自然治癒力というものがあるように、作られた狂気はいずれ分解されて、バランスが取り戻されていくのが宇宙の法則なのだと思う。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする