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草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

大動脈瘤大手術記念日

2022-01-18 19:18:01 | 心臓血管外科手術

12年前、63才の今日弓部大動脈瘤の

人工血管置換術を受けました。

 

大動脈瘤の症状は無いと言われますが私には

58才から症状が出始めました。

その時は既に手遅れ状態だったようです。

 

喉のアデノイドに違和感があり、声が

割れ始めていました。

 

掛りつけ医にお願いして大学病院に行きました。

レントゲンを撮ればすぐ判明したでしょうに、

MRIの撮影をされ、こともあろうに脳の撮影(!?)

 

結局病名不明で終わり。

声は嗄声となり、喉に痛みも生まれました。

毎年の健康診査で血管の病気で用検査と

ありました。

 

掛りつけ医は何年も前からこの影はありました

から大丈夫ですよ!

と言いながらもCT予約でバスによる撮影を

何枚か撮られました。

 

日赤か心臓病院のどちらかを紹介すると

言われ、心臓病院を依頼しました。

掛りつけ医は呼吸器かもしれないと紹介状に

書いたため、心臓病院で門前払いを受けました。

 

私は市の医師が血管の病気と言ったので

取り敢えず診ていただきたいと食い下がりました。

 

その日のうちに手遅れ状態の弓部大動脈瘤と

判明し、手術を勧められ、検査後入院の運びと

なりました。

 

が、待っている間に破裂する可能性が高いと

言われました。

まあ、それも良いか…な私。

 

年末12月30日に声が全く出なくなりました。

病院に行く気のない私が頑固に病院行きを拒否。

家族の懇願に自分がその家族の立場だったらと

仕方なく正月料理の準備を始めていたのに

数の子の用意だけして病院に行き、そのまま

入院しました。

 

一度退院して手術前に再入院し、12年前の今日

10時間に及ぶ、人工心肺、体温25度に下げ

人工血管置換術を受けました。

 

動脈瘤は複数個ありましたがその時は弓部のみの

手術でした。

血管のつまりがひどく、冠動脈の2本のバイパス手術

予定だったのですが、血管が細すぎることと

血管の劣化がひどいことで右冠動脈1本だけの手術を

ついでに受けました。

 

この右冠動脈のバイパス血管は早期に詰まって消えて

しまい、その後はいかんともしがたいと右冠動脈の

無い状態のまま現在も過ごしています。

 

既に20回以上の入院を繰り返していますので

なるべく異常がありながら病院には行かないように

しています。検査予約は入れられるので外科検診

だけ半年に一度行っています。

 

循環器は放置しています。

12年にもなりますと全てがどうでも良くなって

しまいます。

 

この厭らしい肉体を脱ぎ捨てて楽になれたら

どんなに良いでしょう。

自分の預貯金からの医療費、交通費を支払います。

これ以上生きて何をすることがあると言うのでしょう。

もうお金無くなったし。。。

 

もう疲れます。

 


術後検査順調

2020-08-25 21:03:40 | 心臓血管外科手術

今日は先週の術後の総検査の結果診断と術痕内診を

受けてきました。

 

コロナ感染拡大で病院入り口は物々しい警戒です。

まあ、先週と同じです。入院患者の面会は全面禁止

になっていました。(家族も同様)

 

今日の受診は手術執刀医(ゴッドハンド)でした

ので予約でしたが2時間待ちとなり、食事を先に

なさってはと勧められましたが、そんな気にも

なれず場所移動して待ちました。

 

どうですかと訊かれるので、予め用意していた

メモを読み上げました。もう脳がかなりイカレて

いるので順序立てて話すことができません。苦笑

 

経過は順調で腹部の痛みも術痕の痛みもまったく

ありませんでした。

 

足に向かう動脈に中等度の狭窄があり、その為

血流が悪く左足踝(くるぶし)の痺れが過度で

びっこを引くこともあると伝えましたが、その

手術をするとまた薬が増えますよ。良いの?

 

今のところすぐ詰まってしまう心配はないよう

なので治療は先延ばしになりました。

 

先生が仰るには100mが痺れによって歩けなく

なったら治療しましょうというお話でした。

 

私は100mも歩いたことはありません。

歩けません。

歩けないのは痺れの為でなく、息が上がって体

を屈折しないではいられず、5~10mが精いっぱい

です。

 

まあ、感覚が無くなれば早めに受診します。

足の壊死で切断は死よりも怖いですものね。

 

ということで外科的には順調。

循環器内科に関することは何もお返事ありません

でした。血圧上昇も洞ブロックの心電図波形も

お見せしましたが今日はそのことには触れられ

ませんでした。

 

7秒の拍動停止でも頭がフワ~~~でも何もおっ

しゃいませんでした。(洞ブロック症状)

 

循環器内科に行くとペースメーカーと言われて

いるので近寄りたくないので丁度良いかもしれ

ません。

 

一つだけ気になるのは、薬手帳でクロピドグレル

75㎎を中止したけのに、掛かりつけ内科が半錠

処方しているのでこれは駄目だと仰いました。

 

退院時、半錠頂きましたと申し上げると、それ以上

は何も仰いませんでした。

 

ということはクロピドグレル(旧プラビックス)

はもう必要ないということでしょう。

 

副作用として尿酸値が上昇します。8.2まで上昇

していましたが、半錠になって一挙に6まで下がり

ました。つまり薬の副作用です。

 

クロピドグレルの副作用は強烈でした。次回は

半年後検診なのでそのときクロピドグレル中止の

可否をもう一度伺ってみようと思います。

 

動脈の狭窄もあるのでこの薬を完全に中止する

ことでまた冠動脈の狭窄が進むこともあると思

われるので熟考していただければと思います。

 

暑さも加わり非常に疲れましたが、とりあえず、

外科的には順調だったので良かったです。

 


チアノーゼ

2020-07-26 15:51:53 | 心臓血管外科手術

今朝起きてもチアノーゼ部分は一向に改善されないまま。

 

考えてみると、薬を半錠に減らしただけが問題でなく、

嚢状瘤に血液が送られないよう1本細い血管を塞栓した

ことが大きく影響しているのではないかと思われます。

 

爪だけでなく、犬でいうところの肉球部分まで広がっ

てゆくチアノーゼが不気味です。画像アップロード

 

だから血流の助けにしようと朝から4時間ぶっつづけで

家事にいそしみました。全室掃除して、夕飯の料理を

早めに作りました。

 

全然駄目です。この足、そのうち壊死して切断?

明日、病院に電話してみよう。

 

 

当県にもコロナが蔓延し始めました。過日と昨日

クラスターが出ました。当県で一日の感染者が2

桁に達したのは初めてです。

 

そんな折、私の大事な姉は、コロナの学習もせず、

家にこもるのが辛いのか?市の施設でジムを止めた

と思うと、今度はヘルストロンに座っています。

 

「距離を開けているから大丈夫よ」

椅子は布で覆ってありますが、指が触れ、その指が

顔に触れて感染します。

 

この感染力が非常に長い。こんな椅子に座って

ソーシャルディスタンスもあったものではありません。

 

国はお金が無くなったので補償もできず「緊急事態宣言」

は行わないそうです。

しかも総理大臣はどこで何をしているのか?

国会議員が国会拒否してどうする?という話でしょうか?

 

まあ国民の皆さんは諦めて自分の身は自分で守る策を

講じていらっしゃるようです。

 

「姉上さま、お家で私のように家事を頑張ってください」

ほんと、心配だったらありゃしません。

 

 

 今日の血圧

 08:00 152/84 

 17:46 152/90

 


帰宅後の予後

2020-07-23 17:05:49 | 心臓血管外科手術

退院したその日に庭を一周してみました。

わずか8日でこんなに雑草の成長が

でも、今日は止めておきましょう。

 

外は今年一番の猛暑です。庭には蚊がうようよ。

 

病院で学んだ食についてワタミのお弁当には

酢物もがありません。

モヤシ、ニラ、アオジソのナムル。

いつも半分以上残していたお弁当でしたが、

これを足すことによって口腔内があっさりし

食が進みました。

 

その後も1品か、2品の酢の物料理でお弁当は

毎日完食できます。

 

さて、体の方は熱が平熱近くになって、庭仕事

に精を出しています。雑草抜きだけでなく、

伸び放題の木の葉や枝にハサミを入れます。

 

最初の日でしたか、ミョウガ13個を収穫しました。

百均で買っていた虫よけネットは全く無能力で

青じそはバッタの赤ちゃんのご飯になっています。

 

バジルはまだ使用する機会がありませんが、そのうち。

夏なので早々と花が咲いてしまうかもしれません。

 

最初4個なった柚子の実がとうとう1個だけになって

しまいました。今年初めてついた実です。どうぞ、

大きく、黄色に実りますように。

 

 

洞不全の徐脈がなくなってほんの少し前向きに

なれたかな? 花を植えたくなりました。

猛暑なので何も植える気はありませんが、心が

前向きになれるのはありがたいです。

 

今日は久しぶりに徐脈が出ました。

うそ!?

薬は中止になったのに出るはずないでしょ???

 

他に左足の痺れが強くなり、ひざ下より浮腫みが

ひどくなりつつあります。

 

 


退院までの日

2020-07-23 16:41:08 | 心臓血管外科手術

【入院日誌・18、19、20日】

 

土日は何となくリラックスムードな病棟?

見舞客が若干増える程度でしょうか?

相変わらず、検温や血圧測定、心電図は

最初から延々装着しています。入浴の時

だけ取り外します。

 

カルベジロールを中止したので脈拍が

80代90代まで跳ね上がり動悸で体が揺れます。

気にしないように過ごします。

 

発熱は相変わらずですが、もう治療も必要

あるとも思えないし、予定20日に退院許可

をいただきました。

 

この入院時、そんなに来なくて良いと言って

いるのに、夫は毎日高額なタクシーを使って

見まいに来てくれます。

 

まもなく80の坂を上り詰めようという年齢です。

家でゆっくり休んで欲しいし、タクシー代が

勿体ないし、タクシーってコロナの感染が怖い

です。

 

私は別に寂しさはありませんし、看護師さんや

お医者さまとの会話で家で引きこもっているより

十分幸せなひとときを過ごさせていただきましたのよ。

 

20日、午前中退院いたしました。

良かった、良かった

 

 


7月17日

2020-07-23 16:05:18 | 心臓血管外科手術

何しろ早く就寝するので当然早くに目覚めます。

まずは1:30だとか、2:30が一番めの目覚めです。

4:00ごろ外を見ると早散歩をする人もいますし、

車も流れていたり驚きます。

 

5:00には人通りは更に多くなります。

世の中の人は早いですね。感心しました。

 

さて、病院内の廊下はというと皆さんリハビリ

散歩をなさっています。術後の方ばかりで、

バストバンドも目立ちますが、なさってない方

も術後の苦しさというのがあるのでしょう。

 

ぞろっ、ぞろっと重く引きずるように歩かれます。

こんな表現をすると叱られますが、まるでゾンビ

の散歩を彷彿とします。当然私もその中の一人です。

 

午前中数回歩いていました。右足が圧迫止血の

後遺症というのでしょうか、中々上がりません。

リハビリ散歩を続けることできっと良くなると

思われます。

 

朝食が来てやっぱり下痢が怖くておかゆとお味噌汁

しか口に入れられません。

 

その前日栄養士さんが何が食べられ、何がアレルギー

であるかを再確認に来てくださいました。

17日の朝までおかゆしか食べない私。

 

執刀主治医が部屋にいらっしゃいいました。

「何故食事を摂らないの?」

「下痢が止まらない恐怖で食べられません」

「下痢でも食事を摂らないと駄目だ!」

しぶしぶ小さな声で「はい」。

 

で、私は食事どころでない大変な疑問、恐怖を抱えて

いました。それは薬です。

 

これまでのプラビックス75mg(クロピドグレル錠)も、

バイアスピリンもありません。カルベジロール錠10㎎

2錠は洞不全の不整脈を起こすので中止になっています。

 

これまで循環器内科で冠動脈のあちこちにステントグ

ラフト4本が留置されています。ステント留置の都度

プラビックス75mgプラスバイアスピリンを半年服用

し続けなければならないということが脳内に刷り込ま

れています。

 

バイアスピリンが無い上にプラビックスまで

ステントグラフとの個所の内外がすぐプラークで

詰ってしまうのではないかという恐怖で先生に何故

それらを服用しなくて良いのか?詰め寄りました。

 

「内科の先生が決めた薬だからこれで良いのよ」と

仰います。「こうこうこういう事情で納得いきません」

と食らいつきます。

 

要は、血液さらさらの薬を飲むことによって今回の

ステントが血流の圧でズレる可能性があり、瘤に

血液が送られ破裂する可能性を否定できないそうです。

それで薬は一旦停止となるのだそうです。

 

「理解、納得できました」

 

でも、午前中に、クロビドグレルの半錠が渡され

ました。やっぱり少量は構わないんだ!?

 

 

その後の夕飯には1400キロカロリーの栄養食が出ました。

相談の上、正露丸を服用しながらいただきました。

栄養士さんは私のために噛む必要のないくらい柔らかく

煮込んだ料理を作ってくださっていました。

 

何かありがたくてじわっと涙ぐみました。

一生懸命患者のために調理を考えてくださっている

のですよね。感謝です。

 

正露丸は2日に亘って7錠飲んで食事は一粒残さず

いただきました。わが家の料理よりはるかに量が多い

のですが、これで痩せていくから不思議です。

 

食事というのは量というより、質が最も大事なのだと

改めて考えさせられました。

 

本日も発熱は続きましたが、リハビリは午前中に

理学療法士さんの指導でゾンビ通りを歩きました。

 

 


7月16日

2020-07-22 22:26:43 | 心臓血管外科手術

【7月16日・朝】

 

夜勤の看護師さんが止血を確認して点滴も外し、

尿カテも外していただきました。

両腕にあった点滴の針も全部抜けました。

 

術衣も脱ぎ、普段のパジャマに着替えました。

T字帯(褌)は血に染まっていました。

着替えも済ませ、洗顔、歯磨きも終えました。

 

すっきり爽やかな気分。

ゴッドハンドのY医師が朝一番に「どう?」と

部屋まで来てくださいました。

 

全てのチューブが抜け、洗顔も終え、服も着替え

嬉しくて「元気です!」

「明日帰る?」

私真っ青。「明日は心細すぎます」

 

前回の手術のときも30日入院を12日間で帰され、

結局薬の副作用で肝臓を傷め、1週間の入院を

余儀なくされた記憶が蘇ります。

 

先生はからかって遊んだだけ見たいでした。

私は本気で怖かったです。

 

 

で、下痢です。

こ、こんな時まで下痢するかしら?

絶食してるのに、悪い物など一切口にして

いないのに、どれだけ腸が弱いのでしょう。

 

都合3回の下痢で心が折れてしまいました。

下痢が怖くて朝、昼、夕とお粥だけ頂きました。

メニュー表には1200キロカロリーから、1400に

食事量が上がっているようでした。

体力をつけるためでしょうが、下痢が怖くて

思うように食べられません。

 

この日も夫は見舞いに来てくれます。

本当は家族の見舞いも今はコロナ禍なので

午後2時何ですが、特にとがめられないので

平気で朝早くに来ます。

 

でも、私は発熱以外に予後の症状は楽でした。

毎日来なくて良いからと念を押しました。

 

人体にまた大きな金属を留置したので拒否反応

を起こして39℃くらいの熱が出て、リハビリが

受けられなくなりました。

 

寒いは、暑いは大変です。

この日初めてのシャワーが余計寒気を呼びました。

 

 


手術の日

2020-07-22 21:37:22 | 心臓血管外科手術

【7月15日・手術の日】

 

14日の9時から絶食、水分は15日の手術が午後

からなので、15日朝8時まで水分補給のみ許可。

13:30予定が13:40まで伸び、さらに数分後れて

呼ばれ、車いすで手術室まで案内されました。

 

手術室まで延々、左に、右に、そして何枚かの

ドアが開けられ、何だか異次元の世界に落ちて

行くような錯覚を覚えました。

 

中央にベッドがあり、上に無影灯が見えた。

自力でベッドに昇り術衣を来て仰臥しました。

左上には私の拍動波形が見えます。しっかり

見ていると、やはり脈拍は等間隔ではありません。

 

寒い々々と訴えると布団を被せてくださり、

温風を送ってくださいます。♬

そして酸素マスクに覆われましたがまだ

心電図波形が見えます。

 

点滴に麻酔薬が注入され静かに眠りました。

 

この間に、術衣を剥がされ、きっとT字帯も

剥がされ、尿道カテーテルを挿入され、鼠径部に

小さな孔を開け、ステント導入のカテーテルが

入って行ったのでしょうね。

 

眠っている間に夢を見たような気がしました。

「〇〇さん、手術終わりましたよ」と看護師

さんの声掛けです。

(え?もう終わり?何か夢を見ていた気がする)

 

で、目覚めた部屋は既にICUでした。

寒くて寒くてガタガタ震えていました。温風を

布団の中に入れてくださいますが、それでも

寒い。

 

手術室は器械を温めないよう、特に寒くして

あるので仕方ありません。

で、病室に帰れるかも?と思う矢先、医師が

呼ばれて出血があり、止血の作業です。

 

医師は指でカテーテル挿入口を圧迫止血して

います。延々。寒いです。

出血で寒いのではありません。部屋が寒いの

です。しかし、先生の指は人肌なので止血部位

だけ温かい。

 

長く感じられましたがようやく止血され、

もう一度テーピングをやり直して病室に戻る

ことが出来そうです。何故か、ICUでは自分の

部屋のベッドに寝ていました。

 

部屋に帰りたい、帰りたい、そんな思いしか

なくて、長い、長い通路や、ドアを開け、天井

を見続けてようやく自分の部屋に戻れました。

 

脚の曲げ伸ばしは夜9時まで禁止です。出血が

なければもう少し早く自由を開放されたのです。

まあ、11年も血液さらさらの薬を飲み続けたから

出血しやすいのでしょうね。

 

寝返り打ちたくなったらナースコールしてね。

寝返り打たなくても大丈夫。モモが居た頃に

寝返りが打てない狭さで一緒に布団に寝ていた

のでそれほど苦痛には感じませんでした。

 

長く思えましたがようやく夜9時、止血を確認後

脚を折り曲げる許可をいただきました。

少しの自由をいただきましたが、点滴や尿カテは

そのままですからベッドから起き上がれません。

 

眠れと言われても、眠剤も飲めませんし、昨日、

一昨日とたっぷり睡眠をとりすぎているので、

全然眠れません。

 

その夜の担当看護師さんがベテランさんで、優し

くて、精神的にずいぶん心丈夫でした。それでも

一人の時間が長く、匂いが不快ですし、ほとんど

眠れませんでした。

 

看護師さんに訴えると2時ごろ眠ってましたよ。

あ、そうですか。(私、いい加減)

 

何時ごろだか忘れましたが水分も摂取してよく

なっていました。少しずつ、少しずつ。

 

この日夫は朝早くからICUまで付き合ってくれ

疲れたと思います(感謝)。

 


無事戻りました

2020-07-21 19:26:39 | 心臓血管外科手術

心配おかけしました。

13日入院、15日手術、成功し、無事戻って

まいりました。

 

 

また新たな狭窄が見つかりましたが、今回は見送り

またの機会にステントグラフト留置になるでしょう。

 

図のように腹部大動脈瘤にはまだ1.5cmの余裕があ

りましたが、今回一緒にステントを入れました。

 

今回のステントグラフトは15cmと長く大きな物に

なりました。

 

そして図のように弓部にも人工血管が入っておりま

すし、冠動脈には少し細いステントグラフトが4本

入っております。

 

この絵をしげしげ見て思うには、自分の体は本当に

サイボーグと思ってしまいました。

この血管の修復作業は寿命をまっとうするまで続く

と思われます。

 

変わりました。

 

この薬の外にクロピドグレル錠75㎎が半錠

加わります。

 

ステント入れたらバイアスピリンというい

つものステント術の脳への刷り込みがあり、

何故今回は、抗凝固薬がほぼ減ってしまったのか?

納得できない私は医師に訊ねました。

 

今回のステントは15cmですし、定着するまでは

血液サラサラにすると位置がずれてそこから出血

が始まり、動脈瘤破裂の恐れが出るそうです。

 

納得しました。

 

ということでこれまでの薬と異なり、朝5錠だけ

服用すれば午後からの薬は不要となりました。

 

更に、カルベジロールという薬は脈拍を遅くする

薬なので一切禁止となりました。

脈は正常値以上に早くなり、最初は動悸が激しく

体が揺れましたが、今は70代に落ち着きました。

 

洞不全の不整脈はきれいに無くなりました。

この2年、医者に気づかれず、気づいても治療

されないまま意識を失って、悔やまれます。

 

オムロン心電図が無ければ未だそのままだった

かもしれません。自分の体は自分で守るという

習慣も必要だと思いました。

 

この手術の副作用としては長い金属という異物

が入ったため、発熱が1週間近くありました。

今日は久しぶりに平熱に戻りました。

 

冥途は遠くなりましたが、目まいも消え、破裂

の心配がなくなったのは感謝に耐えません。

医療スタッフの温かく、優しさに感謝と敬意を

感じながら病院を後にしました。

 


手術行ってきます

2020-07-12 21:28:52 | 心臓血管外科手術

手術のため入院してきます。

しばらくお休みします。

戻ってこられるかな?

 

嚢状瘤の手術は難しいのだそうです。

今の体で戻ってこれると良いですけれど!?

 

いつもご笑覧くださる皆さま、コロナ、雨

お気をつけてお過ごしください。

またこちらでお目にかかれますように。