「ちゃわんや15世 豊斎のblog」
茶陶、朝日焼の十五世、松林豊斎。
陶芸、お茶、日本の伝統的な美意識のほか、趣味のPCや携帯、そして祇園の遊び方。
 



太郎平小屋、薬師岳を望む

少し前のことでだが、10月20日から二日かけて太郎岳
から薬師岳へ登ることにした。

このルートはもう45年前になるかな、私が高校一年生の時、
初めての北アルプスに挑戦したルートだった。
それ以来、時折思い出し、
いつかは再挑戦してみたい、そんな思い出深き場所だった。

今回、新潟個展の挨拶まわり出張があり、その帰りに
富山に立ち寄り二日間の休みで太郎に挑戦することにした。

登山口は折立というキャンプ場 があるところ。
富山地鉄の有峰口あるいはは、富山駅からバスが出ているが 、
10月のはじめでバス終了していた。
シーズンは終わり、山は冬篭りに向かっていた。

山はメジャーなところで11月はじめ、マイナーなところだと
9月下旬で終ってしまう。
山小屋の営業も太郎平小屋以外、近辺はすでに終っていた。


しようがないから、駅前でレンタカーを借り、
折立で駐車しておくことにした。
富山駅から60km近くあり、バスで2時間半、車でも1時間45分かかった。

有峰湖、有峰ダム建設による人口湖、結構大きい。


朝少し寝坊し、6時半出発。
折立の登りは8時半になった。
山の感覚では、すごく遅い出発になった。

愛大山岳部遭難の十三重の塔の慰霊碑

登り始めてすぐに愛大山岳部遭難の十三重の塔の慰霊碑があった。
昭和38年に13名の遭難があった場所で、
僕は中学生だったが、連日の報道をよく覚えている。

碑文


途中三角点までがキツい樹林帯。
それ以降は見通しのきく草原と潅木帯で気持ちいい登り。

前回は11日間の雲ノ平、槍ヶ岳から上高地への縦走だった。
ザックは40kg近くあり、若いとはいえ初めての重装備で、
最初の三角点までが特にキツかった記憶がある。
そりゃ、テントだって、ザックもは帆布で、結構重い。

そういえば、当時一澤帆布店によくテントやザックを買いに行ったものだ。
ザックは当時、キスリングといったなぁ。
一澤さんは、テントなどの材質は変わって、
そのままなら、廃業されかねないのに、
うまくバッグに転進され、事業を成長されたものだと思う。
朝日焼でも、フィルタープレスという粘土を搾る機械の搾り布として使っている。

ともあれ三角点よりは、立山、剣岳がよく見えた。
前回の西穂と違って、今回は抜けるような晴天。感謝。感謝。

三角点より立山連峰、剣岳を望む


三角点までは、記憶より近かった感じだが、
それから太郎平小屋までは、イメージより遠かった。

太郎平小屋


太郎の小屋では、スタッフ4人に客二人。
すれ違ったのは、初日4人、二日目6人。
太郎平に着いたのは1時ごろだったので、
薬師や北ノ俣岳に登るにはちょっと遅すぎため、
近辺の散策で、当初の予定通り次の日に薬師は登ることにした。




ところが、出張の疲れもあったのか、
朝から風邪っぽくて、薬師は諦めることにした。
前回登っているし、当初からできればという程度の予定だったので、
太郎まで登ったことで満足。

太郎平からは槍ヶ岳の穂先が見えた






ともあれ無事下山できてよかった。



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