第14回東京フィルメックス
毎年、アジア中から、選りすぐりの映画を紹介する
東京フィルメックス映画祭。
今年も開幕しました。
*** 東京フィルメックス・沿革より ***
まだ世界には発見されることを待っている映画がたくさん存在し、
次々に生まれています。
未知なる作品や驚くべき才能との出会いは、
新しい映画の発展を期待させます。
より進化した豊かな映画文化を迎えるために、
できることは何かを考え、
"あるべき映画祭"をめざしていきます。
スクリーンの映像を通して、
アジアの人々の息づかいを感じることができる。
各映画の解説を読むだけで、その期待が膨らみます。
今年見たのは、『微笑み絶やさず』。
1996年に釜山映画祭を創設し、
2010年に勇退するまでディレクターを務めたキム・ドンホ(現在は名誉ディレクター)に
イラン映画の巨匠、モフセン・マフマルバフが密着したドキュメンタリー。
このブログでも何度も登場している釜山国際映画祭。
3度訪れたことがありますが、本当に楽しいです。
観客も、監督も、俳優も、すべての映画人が楽しめる。
そんな映画祭です。
この釜山国際映画祭を生み、育てたのが、キム・ドンホ。
2006年の東京フィルメックスには、キム・ドンホ自身が参加し、
釜山映画祭の魅力を語っていました。
*** hoppenの韓的な日々♪より ***
東京フィルメックス:トークイベント「釜山国際映画祭と韓国映画の躍進」
この後も、釜山映画祭は大きく発展していきます。
日本から参加した藤原竜也が、
「釜山映画祭には、キム・ドンホという、
むちゃむちゃ酒の強いおっさんがいるんですよ!
爆弾酒を勧められ、むっちゃ飲まされる。^^」
と話していたのを聞いたことがあります。
今年のオープントークに登場した是枝監督も、
「釜山映画祭は、人の顔が見える映画祭なんです。
キム・ドンホさんもそうですし、
一緒に仕事をした俳優や、交流した監督に会える。
そういう映画祭なんです。」
と話していました。
キム・ドンホは、どのように手腕をふるっているんだろう?
その人となりを見てみたいと思っていたので、
このドキュメンタリーは、まさにツボな映画でした。
ご本人いわく、
私の人生には3つの段階があって、
1.役人の段階、
2.映画祭ディレクターの段階、
3.アーティストの段階
<1.役人の段階>
キム・ドンホは、60歳までは政府のお役人だったそうです。
文化政策を担当。
検閲官の責任者になったこともあるそうです。
その時、彼は、検閲のリストにどんどん線を引いて削除させた。
韓国に、映画を復活させた。
もともと、自身が書道の第一人者であり、
芸術家気質だったからなんでしょうか。
<2.映画祭ディレクターの段階>
官職を退き、釜山国際映画祭のディレクターに就任。
単に、世界の映画を紹介するというだけではなく、
新人監督を支援するプロジェクトがあったり、
映画学校のようなワークショップが長期間開かれたり。
映画祭期間中は、毎夜、あちこちのホテルでパーティが開かれ、
世界の映画人が交流していると聞きました。
キム・ドンホは、世界から集まった映画人一人一人と握手を交わし、
酒を酌み交わし、
時には、踊って楽しみます。
そして、ボランティアとして参加している若者たちとも、
同じ態度で接します。
会場で献身的に働くボランティア一人一人と握手を交わし、
言葉を交わし、謝意を伝える。
「彼らの献身がなくては、釜山国際映画祭は成立しません。」
ところが、日々の生活はいたってシンプルで健康的。
毎朝の起床は、4時。
新聞をじっくりと読んだ後、1時間の散歩&ジョギング。
少し重めの、韓国ならではの朝食を食べ、
なんと、バスと地下鉄で出勤します。
帰宅は夜の12時近くになることもありますが、
短時間でぐっすり寝るらしい。
たとえ外国に行ったときでも、
早起きと、朝の運動、朝食は欠かさないそうです。
だからなのか、75歳を過ぎた今でも健康的。
老人という感じはない。
インタビューに答えていた海外の方は、
(お名前をチェックしていなくて・汗)
「私の髪の毛は真っ白になっているけど、
キム・ドンホさんは、黒髪が増えてきているんだ。
年々、若返っている。
彼の人生は、私の孫が見守るだろう。
私は先に逝くだろうし。
キム・ドンホは永遠に生きるよ(笑)」
お酒に強く、どんなに飲んでも全く変わらないのだそう。
「ある時から、彼は禁酒したんだ。
でも、今でも小さな焼酎のグラスを持ち歩いていて、
今は、そこに水を入れて乾杯をする。
本物の酒だろうと、偽物の水であろうと、
彼にとっては、どうだっていいことだからね。」
この方のインタビューはジョークに富んでいて、
それでいて、
キム・ドンホへの友情と尊敬にあふれていました。
きっと、映画祭に参加した映画人は、
キム・ドンホに対して、
みんな、同じことを感じているんじゃないでしょうか。
そして、彼と酒を飲むために、何度も釜山映画祭に来たくなる。^^
映画の殿堂という、シンボルタワーも完成させ、
キム・ドンホの人生の第2段階は15年で勇退。
<3.アーティストの段階>
映画祭のディレクターを勇退した後は
地方に住んで、書道にいそしむつもりだったそうですが、
映画学校の学長を任されたりして、
結局、今も忙しい毎日。
映画の中では、短編映画監督に挑戦した姿に密着していました。
『JURY(審査員)』
映画祭の審査員を描いた映画です。
アン・ソンギ、カン・スヨンのほか、日本人の富山加津江(イメージフォーラム代表)も出演。
どなたも、本物の審査員としてぴったりな面々です。
先日、東京で開かれた「コリアン・シネマ・ウィーク2013」で上映され、
キム・ドンホもQ&Aに登場したそうです。
東京フィルメックスのHPで、詳しいルポがUPされていて、
キム・ドンホの、ユニークな人柄が伝わります。
*** 東京フィルメックス公式サイト ***
コリアン・シネマ・ウィーク2013/キム・ドンホ監督トークショー
キム・ドンホの人生の第3段階は、まだ始まったばかり。
ドキュメンタリー映画は、ここまででした。
上映後、モフセン・マフマルバフ監督のQ&Aが開かれました。
監督がこのドキュメンタリー映画を作ろうと思ったきっかけは、
「釜山映画祭だけでなく、この東京フィルメックスもそうですが、
こういった映画祭では、アート系の映画を紹介してくれますが、
その映画を支えている映画祭を紹介する映画はなかった。
その方たちへの感謝を伝えたいと思い、この映画を作りました。」
「そして、ドンホさんは、私の師匠であり、人生のモデルです。
世界の寿命は長くなっていますが、
お年寄りというのは、ただ、老人ホームに行って
死ぬだけの人生ではないはずです。
ドンホさんは、歳を取った方のモデルになる方で、
私も、人のモデルとなりたい。
ドンホさんの性格を尊敬しています。
文化的な活動をしている方なのに、
シンプルな生活をし、謙遜を持つ性格である。」
「もうひとつ、予算はなくても、カメラがあれば映画は作れます。
それを、この映画で証明しました。
自分と息子で、ペンのようにカメラを持てば映画は作れます。
前作『庭師』もそうでした。
予算が0でも、プロデューサーが見つからなくても、
映画を作る訓練をしているんです。」
監督はイラン映画の巨匠であり、
若いころは、イランで民主化活動をして投獄された経験もある方。
お役人であったドンホ氏との共通点を聞かれて、
「ドンホさんは60歳で退職してから釜山映画祭に携わりました。
今は奥さんの収入で生活していますが、
今でもたくさんの人と出会い、結びつける仕事をしています。
マネジメントが上手いです。
それに、どの人にも尊敬の念を持って接するモラルの人でもあります。
マネジメントとモラル、両方を兼ね備えた人で、
私はその点で、人生のモデルにしたいのです。
それに、彼は、役人時代に検閲を撤廃した人ですから。」
司会の林加奈子氏(東京フィルメックス・ディレクター)によると、
「ドンホさんは本当にユニークな方で、
映画祭のディレクターがみんなそうだ思われると困りますが。
私とドンホさんとの共通点は、
食べ物を食べるのが異常に早いこと。
一緒に食事をした時、2人とも一瞬で終わり、
笑いあったくらいです。(笑)」
マフマルバフ監督とドンホ氏は、20年来の信頼の仲。
映画中には、早朝から深夜まで、自宅での撮影もありました。
「自宅での撮影は、2日くらい。
キム・ドンホさんが短編映画を撮ると聞き、
メイキングのようなものを撮ることにしました。
その後、釜山国際映画祭があった時も撮りました。」
林氏のお話を受けて、
「私も、実は、似たところはないんです。
でも、自分にないものがあるからこそ、憧れています。
自分がなりたいと思う、人生のモデルです。」
「ドンホさんにこの映画を見せた後、彼はこう言いました。
僕は醜くて、英語が下手だね。
本当に謙虚な方です。」
映画の中で、映画祭に参加した女優に促され、
ドンホ氏が女優さんとワルツを踊るシーンがありました。
林氏も
「映画祭のディレクターは踊る宿命にあるんです。
私も経験があります。
私の場合は、美しい女優ではなくて、
お相手はアミール・ナデリ監督でしたけど。
(会場から爆笑)」
撮影は、息子さんだけでなく、ご自身もされていたようですが。
「メインのカメラは息子で、私も時々りアクションショットを撮りました。
ドンホさんの生活はとても忙しいので、ついて行くのに必死でした。
朝4時から散歩に行って、帰ってきた7時には、私たちはへとへとでした。(笑)」
「奥様は絶対に写さないでと言われていたので、編集しました。
ドラッグストアを経営している自立した女性です。」
映画の中で奥様が出てこないので、?と思っていましたが、
なるほど、そういうことだったんですね。
お嬢さんは、バイオリニストです。
息子さんはコンピューターで賞を取るほど優秀な方のようです。
次回作について。
「グルジアで、英語で撮ります。
デモクラシーについての映画です。
プロダクションが付いて、大きな撮影になります。
12月から準備を始め、1月中旬から撮影が始まる予定です。」
Q&A終了後、会場の外では、マフマルバフ監督がサインをしたり、
熱心にお話をしたりされていました。
あーん、釜山映画祭のパンフレットを持ってくればよかったわ。
キム・ドンホ氏、本当に魅力的な人物で、
釜山国際映画祭は、彼なしでは生まれなかったし、
ここまで楽しい映画祭へと発展しなかったのでしょう。
そして、映画祭の発展は、そのまま、
韓国映画の水準を引っ張り上げる相乗効果をもたらしました。
韓国映画ファン&釜山映画祭ファンとしては、
ドンホ氏が退いた後、映画祭としての魅力を保って行けるのか。
今年の10月に行った、第18回釜山映画祭。
主演級の俳優がレッドカーペットに登場しなかったり。
映画作品のないハ・ジウォンが、一番の華となっていました。
それに、俳優よりもアイドルが目立つ感があり。
APANスターロードには、映画とは関係ないアイドルが何組か登場して、
俳優フェチの私は退屈でしたし。
すこーし、気になっています。
是枝監督と福山雅治のオープントークを見ましたが、
その舞台袖に、東京国際映画祭の前チェアマン・依田巽氏の姿がありました。
依田氏も、昨年2012年に勇退されたんですね。
依田氏の任期中は、東京国際映画祭でもグリーンカーペットを開催し、
とても楽しませてもらいました。
でも、今年の東京国際映画祭では、
開かれた形でのグリーンカーペットはなかったそうです。
チェアマンが交代したせいだったのかな、なんて。
アジアの外交が不安定な側面もあります。
それだからこそ、映画という政治を超えたものでの交流は貴重。
これからも共に発展して、楽しませてもらいたいです。
そして。
いつもぶれのない魅力の東京フィルメックス。
東京フィルメックスは12/1(日)まで開催されています。
『微笑み絶やさず』は、11/25(月)にも上映予定。
マフマルバフ監督は今年の審査員ですので、
コンペ作品の上映でお目にかかれるかもしれません。
Amazonで、キム・ドンホ氏の著作本がありました。
興味津津。^^
世界のレッドカーペット ~「釜山国際映画祭の父」が見た40の映画祭~ (ヨシモトブックス) | |
鈴木 深良 | |
ワニブックス |
キム・ドンホ氏初の日本語翻訳本。
釜山国際映画祭を創った男が、世界各地40の映画祭で得た様々な出会い。
世界各地の映画祭を訪れたキム・ドンホ氏による紀行本。
40もの映画祭の、大まかな歴史(設立の経緯や時期、設立したディレクターの名前など)や、
それらに韓国映画がどのように関係を持っているかが中心に描かれる。
それは同時に、韓国映画が世界に進出していった過程だ。
釜山国際映画祭のディレクターとして、
各映画祭のスタッフと豊かな人間関係を築くことで、いかに有名映画を招致し、
釜山を世界的な映画祭にしていったかの一端を垣間見ることができる。
各映画祭のディレクター、スタッフとのやり取りでは著者の人柄がよく表れ、
それぞれ映画祭の会場となった街の景色や雰囲気の描写によって、
本書は興味深いさわやかな「紀行書」としての側面も有している。
各映画祭で撮影されたスナップ写真・風景写真、各映画祭のデータも満載!
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