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ほうせんの気まぐれ記

いろんな方々のページで刺激、感動を受けています。

ホーム訪問

2016-09-26 10:10:13 | 友人

   我が家には、デスクトップの大型パソコンが1台です。

 連休は娘が占領します。だから?更新が遅くなります。

                                                                                     な~んて、良い言い訳です。よろしくお願いします。

 

  2か月半振り、ホームの友人を訪ねてきました。いつもと様子が違いました。

ホームに居る彼女とは、幼友達で就職先も同じ、私は結婚で退職。

美貌に恵まれた彼女、女性管理職として、何処に居てもマドンナの存在でした。

 

  100歳のお母さん、お姉さんと続けて亡くなり、しばらく別々の人生を歩んでいた彼女から電話が入りました。

それ以降、にしむらコーヒーでお喋りや買い物などのデート、次は甲子園ホテルの天ぷらを食べに行こうと誘われてい

ました。度々出かけるのも主婦は限界があります。

 

 やがて、「寂しい」という訴えの電話が再々あり、少々困っていました。

プライドが高い人なので友人も少なかったですね。まさか、認知症になるなど考えませんでした。

ホームに入ったことを嫁がれた5歳上のお姉さんから聞きました。

 

 一緒に訪ねる彼女は芦屋夫人です。同級生で頭の良さはトップでコーラス部でした。

中学の同窓会のお世話係なので、親しい間柄です。

その彼女のマイカーに便乗、いつもホームを訪ねています。

 

 7月初め訪ねたころから、今回は大きく変化がありました。暑さで訪問が遅れていました。

個室の彼女、「風邪気味」という事で、ごろごろしていました。

 

 何時もなら、持参のお菓子を広げ、3人のコーラスが始まります。

でも、そんな雰囲気ではなく、「何時もここに来てくれている?」とベッドを指しました。

「何時からここに?」「何で?」の繰り返しが3~4回。

 

 実は、今回は楽しい雰囲気の3人の写真を撮ってもらおうと、カメラも持参していました。

しかし、コーラスをする雰囲気ではありませんでした。

笑いながら会話をしますが、「何でここに?」の質問でそれどころではありませんでした。

 

 帰宅時は、エレベータ前まで送ってくれましたが、スタッフさんの見守りなしでした。

後で知ったのですが、最近脱出をして西宮戎に迷った苦い経験があったようです。

そのことは覚えていたのですね。

 

 認知症も、彼女の程度であれば同居できる家族がいれば、

ここまで悪くならなかったのでは?と車内で話していました。

 

次回はどうなっているでしょう。不安です。


二か月半ぶりのホーム訪問

2016-02-15 14:53:13 | 友人

    久しくホームを訪ねました。

入所の友人Mさんと、私たちは中学生時代のコーラス仲間です。

Mさんとは会社も同じでした。私は結婚で退社しました。

その後、彼女は女性管理l職として定年退職まで続けられました。

当時、美人で頭が良い等女性の憧れの存在でしたが、男性ばかりの職場でしたから

親しい女友達が少なかったようです。

 3年前に、お母さん、お姉さんと続いて他界されたのが原因で、まさかの認知l症になりました。

5歳上の既婚者のお姉さんだけが肉親のお一人で、ホームの入所から色々お世話をされています。

Mさんは、その事情を十分に把握されていません。お姉さんとの確執が問題です。

 

  5階の扉を開けると、広いリビングに数名の方たちがテレビを観ていました。

皆さん、普通に挨拶を交わしてくださいます。病気なのか見分けがつきません。

彼女は個室にいました。ノックをすると、「Tちゃん、Hちゃん」と出迎えてくれました。

ほっしました。気になっていたのです。二か月半ぶりのホーム訪問でしたから。

いつも通り、スタッフからのお茶と、持参のお菓子を頂きました。

                  

  最初にTさんが、「80歳になって変わった?」と切り出しました。

即座に私は「ノロウイルスになったのは過労が原因だけど、歳を考えず無理したんだと思う」

「それと、ちよっぴり忘れやすくなったかも・・・」と、話しました。

後の二人は、別に何にも変わらないとのことでした。

 Tさんは、ご主人が数年前に他界され、お母さんに似て頭脳優秀なお嬢さんは独立されています。

しんどくなったら今の家を売却、何処かホームに入るつもりと常に云っています。

 

 Tさんが話してくれました。換気扇の掃除に業者さんが年末で来れず、自分で椅子に上がって

掃除にチャレンジしたそうです。ところが足を踏み外し、レントゲン検査では異常なく済んだのですが、

2日間動けなくなったそうです。

 もしこのまま動けなくなったら、「突然人生が変わる!」という事を実感したそうです。

                           

 

  いつも通り普通の会話の後、歌を歌うことに・・・

みんな声がひっくり返り思うように歌えないと言いながら、持参の歌集で次々歌いました。

その中で「学生時代」を歌った人の名前が3人共出てこないのです。

土佐の高知の・・・♪あれ歌った人よ~

「葉?」「は・・・」そこまでは思い出すのですが思い出せませんでした。

「そうでしょう?80歳になったからよ~」と私は記憶の衰えを伝え大笑いです。

  ホームへのお見舞いでなく、私達は楽しい同窓会のひと時なんですね。

彼女も、今回は口癖だった「家に帰る」という言葉は出ませんでした。

ホームに慣れたのかしら?家のこと忘れたのかしら?と少々複雑な思いです。

 

3月、また楽しい同窓会をします。


ホームで思い出話

2015-10-10 14:47:44 | 友人

 ホームに入院したYさんは2年になりました。

もう一人の同級性、Tさんと月に1度、訪ねます。

中学生時代はコーラス部で、毎回、思いついた歌をPCで作成持参。

歌って、語って楽しい時間を過ごします。

               

                       ←<スタッフさんから手作りケーキの差し入れです>

 

 今回は、学童疎開の思い出話になりました。

              (注)1943年末ごろ、第二次大戦の戦局の悪化に伴い、戦禍を避けるために

                 大都市の学童を地方都市や農村に集団的また個人的に移住させたこと。

 

 こうなると、私の年齢をオブラートに包めなくなりましたが・・・

 Mさんは認知症ですが、昔話は鮮明です。

 

   学童疎開を経験した彼女は、帰りたくて泣いたこと、お母ちゃんが食べ物を持って面会に来てくれたことなどを話してくれました。

 一緒に訪問した同級生Tさんは縁故疎開でしたが、Mさんと同じ疎開先の同級生から聞いた話をしてくれました。

 

  親たちが持ってきてくれた食べ物を、夜中に先生たちが食べる音を、耳を澄まして聞いていたことを。

後々に、その先生が亡くなられたとき、葬儀に行かなかったこと。

 私達3人が「別の悲しい戦争悲劇ね。」と口を揃えて言いました。

                   ←<歌集の整理をしました。右が私たちの歌集です。可愛い絵柄で>

 

 続けて、別の仲良しだった友人の話をTさんが語ってくれました。

家族4人を空襲で1度に亡くし、突然疎開先から帰宅することになったこと。

その時の様子をMさんは覚えていました。

 お別れの挨拶を伝えるときの先生が異常な泣き方をしていたことを、子供心に

何かあると思ったそうです。

 疎開先を去った友人に「淋しくなったね」と手紙を出すと、皆が思うほどでないよとTさんに返信があったそうです。

 

 その彼女は、父親の関係で東京へ引っ越しをされ、その後はTさんと文通友達になったそうです。

でも、7年前に彼女とは理由があって別れたそうです。

結婚後、ある新興宗教に入り偉い存在となり、クリスチャンのTさんは話し合って別れたそうです。

 

                   ←<我が家4階から、芝生にガンバレと書いています。ちょっと見にくいですね。>           

 

 

 私ですが、疎開をせず、対象外の元住んでいた学校に通いました。

思えば戦中、片道40分以上も(多分)歩いて通う学校生活は勉強の思い出はなく、

登校、下校と、空襲警報のサイレンがあると、近くの防空壕に入りなさいと言われて、一人で遠い道を歩いた記憶はあります。

 

 家族の疎開対象ですが、姉、私、一つ違いの弟です。兄は学徒動員の対象でした。

3人共、疎開はしませんでした。

 3歳上の姉に当時の思い出を知りたくて、電話しました。

さすが姉は、母がどんなに苦労があったか、母の兄弟の面倒も見ていたこと。

しっかり長女は母の苦労のことを話してくれました。

 弟に聞きました。あの頃3人疎開させる、準備するお金がなかったのが本音であったことは、心に重く残っているとのこと。

のんびりに見える私は、実は母の姉のところに、生まれて直ぐもらわれています。

ですから、一寸当時の感情が違います。また別の機会に・・・。

                        ←<先程コープから届いた菊の苗を植えました>

 

 ホームの友人の話に戻ります。少し病気が進んだかな?という印象でした。

大手企業で女性管理職として、定年退職しています。学生時代からマドンナとして華やかな彼女でした。

お互い別々の人生を歩んでいましたが、お母さんと、お姉さんを続けて亡くし、その後「淋しい」との電話が頻繁に入りました。

半年後ホームに入院したことをお姉さんから知らされ現在に至っています。

  

 Tさんと、いつまで続くか分からないですが、来月の訪問を約束しました。


ホームを訪問

2015-06-23 21:29:15 | 友人

昨日、グループホーム入所の同級生を、もう一人の友人の車で3か月ぶりに訪ねる。

 

4月半ば夫の緊急入院、財務役員からの解放。落ち着いたらやりたいことが山程あった。

気になっていたキッチン、衣類等の片付けからスタート。

力無しの私も、いざとなると主婦の馬鹿力を発揮。ところが間もなく、右ひざ痛がひどくなり

整形で針供養を受けることとなる。

年2度の骨密検査が良くなく、薬を増やしましょうと言われていたので、いよいよ行動範囲も制限されるかしら等と落ち込む。

 

そんな時、ご近所の方々の健康面などを思い浮かべる。

階下のご主人は認知症で危ない車道でのゴミ拾いがエスカレートしたため、

相談所から施設への強制入所を指示されたそう。その後の様子を、お隣さんを通じて知る。

奥様が面会に行くたび腕の骨折、怪我等で包帯姿らしいとのこと。違う施設への変更を申し出ると、

月に20万円以上の出費でよければとの回答。諦めるしか仕方がない話。

折に触れご家族の気持ちを思う。胸が痛む。

 

管理組合の役を助け合って引き受けようと決めた私より5歳下の友人。

2年半前から、腰、肩等の関節病で通院。

「家で転んでね、腕を骨折したの」と言っていたことも。

それでもPCでの文書作成を最後まで続けられた。

一昨日、家の中に手すりをつける事になったと話された。

ご主人は認知症で散歩と荷物持ちを兼ねて一緒に出かけると、「変な歩き方やなぁ、なんで?」と何度も問われるとのこと。

 

ひざ痛が少し和らいだと思った私は、今度は夏風邪になった。

そんな事情で、久しぶりにホームを訪ねた。

 

いつも通りの笑顔で部屋に通してくれるなり、荷物3袋を見せて「もう帰ろうと思って!」と本気な様子で私たちの方が驚いた。

「ここの人に話したの?」と問うと、「まだ言ってないけど・・・」

「一旦出ると、ここには入れないよ!」と友人が言えば、「姉にもそう言われると考えるけどね」

「そうよ、食事、洗濯、掃除と何もかも自分でするのは大変よ!」と私のいつも通りのセリフ。

 

正直、健康な人には退屈で無理な場所。

途中、咳き込んで慌てた私だったが、3人で話している時は、懐かしい思い出話と、

これからのことなど笑いながらのお喋りは、彼女は認知症ではない。

偶に、亡くなられたお姉さんや、お母さんが存在したりすることがある。

 

もし、彼女の認知症が治り、家に帰れたら、一緒に音楽や、美術館巡りを楽しみたいと思った。

学校、勤務先が同じで、常にマドンナであった彼女とは、私は結婚で退職。別々の人生を歩む。

常にプライドが高く、生意気だったのでいい機会と思ったことも。

彼女はその後、男性並みの仕事をやりこなし、女性管理職として頑張っていた。

退職後、気ままな3人家族でのんびりと過ごしていたある日、母親とお姉さんの死亡で、最初に電話がかかったのが私だった。

家に帰りたいと願うのは当然。でも一人では無理。

また、来月会いにホームを訪ねたい。

 <買っていた服地でブラウスを>   <ペン習字・・・練習不足、力不足>

 

 


3月ですね。

2015-03-01 09:00:31 | 友人

何ともやりきれない、少年17~18歳犯行記事、

幼い子供の虐待記事は読む勇気がありません。

3月スタート!

穏やかな月でありますように、久しく更新しました。今月もよろしくお願いします。

 

グループホームの友人を、2月は昨日訪ねました。

もう間もなく来てくれるわと、スタッフの人と話していたのよ。と元気に迎えてくれた友人Mさん。

個室に入りながら、「もう2~3日したら帰ろうと思って」と言って隅にある小さなダンボール3個を指さしてくれました。

スタッフの人が本人の納得するように置いてくれているのでしょう。

友人のTさんが、「帰ったら一人で食べ物の準備から洗濯、お風呂掃除など全部するのよ!」

「しんどいから、こちらに帰るといっても順番待ちで簡単に入れないよ」

何時ものことながら、彼女に話す。認知症であることわかっているのかしら?と思いながら。

 

友人Tさんは、独立されている娘さんと離れて、芦屋の邸宅住まい。「私もいよいよとなると、家を処分してどこかに入る予定よ」

「今一人住まいでいると、常に不安よ~」 「Tさん(私のこと)はご家族3人なのでその不安はわからないと思うわ」

私だってお金があれば入りたいよ~! 貧乏で入れないと私は嘆く。毎度の会話。

 

何とか言いながら、持参した歌を3人でコーラスする。この時が一番楽しい時間。

来月また来るねと別れる。何時まで続くか分からないけれど・・・。

 

  

 

 

 


グループホームの友人と

2014-11-28 15:56:05 | 友人

 今月も、グループホームの友人を訪ねました。

 5階にある「カト・・」というお部屋の入り口を開けると、広いリビングがあって、

入居の方4~5人の中に、笑顔で迎えてくれる彼女の姿が見えませんでした。

 個室を覗くと、ベッドに横になりパジャマ姿でした。

 少し前に、男性スタッフさんとお薬の事で気分を害していた様子で、

「もう家に帰ろうかと思っていたところやったのよ・・。」と機嫌のよくない顔でした。

  やがて、椅子に置いてあった下着と洋服の着替えを始めたのでした。

 

家に帰るといっても、嫁いでおられる5歳上のお姉さんと同居することと、

一時帰宅してもお世話をする人がいないので、無理なことを知っている私達は、

「帰っても、家事一切をしなければならないし、再度希望してもここには入れないよ」といつも説得します。

 このように心を病んだのも、102歳の母親と、2番目のお姉さんが続いて亡くされたからです。

 

 何時も通り「歳やからねぇ」のから始まり、学生時代の先生の話など、落ち着いた彼女と話が盛り上がりました。

 今日は、歌の歌詞の準備がPCの故障でできなかったため、今までのファイルと、

ペギー葉山  岸洋子  賠償千恵子 みんな大好き越路吹雪の「愛の賛歌」などのCDを

Yさんが持参して下さって、3人で口ずさみました。歌詞があれば、元コーラス部員ですから上手く歌えたかも・・・

あっという間に時間が経ちました。次回は歌詞を用意しょうと、12月が楽しみな約束をしました。

 

 彼女を一度、短期外泊で自宅に帰らせて上げたいう思いが、今日は強く感じました。

 私達も、ここに訪ねて来れるのは、いつまで続けられるかしらね。と、Tさんと話しています。

 

                                               

今、しばらくコメント受付を休ませていただきます。

でも、訪問はさせてくださいませね。よろしくお願いします。

       

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく、コメント受付を休ませていただく事にしました。

でも、お訪ねはさせていただきたく思います。

よろしくお願いします。


元気な友

2014-09-10 21:32:05 | 友人

9月に入り、馴染みのグループホームを訪ねました。

何時もの友人と、月に1回訪問する約束をしているのですが、

互いに多忙なため、昨日の日取りも急に決まりました。

 今回は、階下の人に歌の本をお借りしました。

 

 ホームに居る友人は、個室で横になっていました。

嬉しいことに「やぁTちゃん、Hちゃん」と迎えてくれることです。

スタッフさんが椅子とテーブル、またお茶を用意してくださり、

8畳ほどの個室で3人の楽しいひと時です。

 

電車やバスに乗ると、席を譲ってくれるようになったわね。

「有難う。」と好意に甘えて座るわね。「結構です。」はダメなのよね。

認知症の彼女は、普通に会話をしてそれほど抵抗はないのですが、

   偶に、103歳の母が・・・姉が・・・と亡くなった事を認識してしているはずが、勘違いします。

 

お菓子をいただき、次に借りてきた<童謡、唱歌、わらべうた>の本を開いて唄いました。

昔のコーラス部員も、今は婆さん凸凹コーラスです。

学校で習った訳でもないのに、結構知っている歌があるわね。

とてもお気に入りの彼女、本を手元から放しません。

 

ページを順にめくっていくと、軍歌「戦友」がありました。

私達は1番の歌詞とメロディは知っています。

ただ14番までの歌詞のある事は知りませんでした。

途中から唄わないで、私は歌詞を朗読しました。

それぞれの思いで聴いてくれていました。現在の私は、息子や孫を想像しました。

 

 彼女のお見舞いというより、私達2人は日頃の疲れを癒す一時かもしれないと感じました。

 また来月も、元気で再会したいです。

 

<戦友>の歌詞13番と14番です。

13番 ; 隈なく晴れた月今宵           14番 ; 筆の運びは拙いが  

       こころしみじみ筆とって                行燈のかげで親たちの

      友の最後をこまごまと                 読まるる心 思いやり  

        親御へおくる この手紙                思わずおとすひとしずく

 

                                                              

 

 

 


楽しいひととき

2014-07-17 10:54:29 | 友人

グループホームの友人を来週訪ねることに。

いつも一緒に行く友人も多忙な中、

お喋りと懐かしい歌を歌うのがとても楽しいという。

 

今回何の歌を準備するかPCの前で迷っていると、

娘がPCから選択、CDと歌詞を準備してくれていた。

テストでCDを聴いてみた。

この頃の歌は、それぞれ成人していて違う人生を歩き、

思い出も多少違うかもしれない・・・

ちょっと涙が出る。

 

彼女、そろそろ入居1年かしら?

勘違いが偶にある彼女、受け入れの家族があれば

何とか生活できるのでは?と思う。

一度に母と、姉を亡くした彼女、そのショクで認知症に。

幼友達で、気の強い彼女が許せない時もあった・・・

 

今は、ここで会って

笑ってお喋りができてそれでいいのかもしれない。

3人揃って笑って唄って

いつまで続くかしら?

70歳代もあと少しですから・・・

<彼女に娘から>

 

 

 

 


月に一度

2014-04-02 08:13:49 | 友人

月に一度、中学時代の友人3人が揃う。

場所は、グループホームの個室。

 

当日ハミングする歌詞をいくつか、PCから用意して出かける。

「早春賦」  「花」 そして難しい 「流浪の民」  「ソルヴェイグの歌」

♪冬は逝(ゆ)きーてー春―過ぎてー 春―過ぎて~♪

コーラス部で結構難しい歌を教えてもらっていた。

70歳代も後少しの私たちは、急に歌っても声が出ない、楽譜がない中で当時を思い出しながら歌う。

一寸自慢をすると、一人は凄い美人、もう一人は頭脳抜群、私は何でしょう? 

でこぼこコーラス、お喋り、お菓子とお茶をいただく。笑い声が絶えない。ロビーにも聞こえているとか。

 

すると、美人の彼女が、時々勘違いの話になる。

認知症を患って、ここに1年前に入った。

彼女は独身で、大企業の女性管理職として(秘書)みんなの憧れ、勿論頭も良い。同居していた100歳の母と姉を続けて亡くし

一人暮らしが始まる。

「寂しい!」という電話が毎日何回もかかってくるようになる。

姉妹のように仲良しだった私が、一番の救いだったのだ。

正直対応が大変だった・・・

そして現在に至っている。

 

先日は、セビア色になった写真をスキャンして持参。

昔話の記憶は、彼女が一番よく覚えているので驚く。

 このホームにお邪魔すると、3時間があっという間に過ぎる。

私たちも楽しいひと時でもあるからだ。

次回4月末には、何を準備しようか・・・

私達も健康に気を付けて、元気な姿で訪ねたい!

 ↑ 京都植物園に、別のグループで行った時のお気に入り。2年前の写真。

 


楽しい1週間でした。

2012-01-16 09:41:00 | 友人
ホテルでのバイキングで昼食を済まし、すぐ近くの飛天(?)で3人娘の中尾ミエ 伊東ゆかり
園まりさん達のコンサートに行く。私達4人グループの新年会だった。
音楽はクラシックが多かったが今回の企画も大成功!
皆「元気」をもらった。
歌は伊東ゆかりさんが抜群に上手。

21日、落語家さんを招いて、町会で新年のイベントがあり、いろいろ食べ物も販売。その時のおにぎりを作る試食会を見守り隊メンバー7人で何時もの料理上手のお宅に伺った。
5合のお米にお塩大匙1杯強を入れて炊く。結ぶとき、塩は使わないと決まった。
その他沢山のお料理もご馳走になった。
町会の役員ではないが、時々声がかかる。それが丁度いい。