マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

紅葉のにしき

2006年10月06日 06時52分24秒 | 紅葉 - 10月
おみやげ投稿日付に拘らず前に話題にした『花札占い』、10月・紅葉の言葉はこうです。

 「前途に障害多く多難であるが、自ら正しと信ずるなら、
 断乎として進めば、意外な援助と幸運にめぐまれて成就する」

うーん、小倉山百人一首のこの歌あたりを彷彿させますね。

  このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに

管公・菅原道真ですね。
実は僕、この歌が一番好きなのです。
この歌のファンはあんまりいないでしょう?
技巧に走り過ぎた駄作と言われています。

確かに歌とすれば、管公自身の代表歌

 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

あたりとも比べれば見劣りがすることはわかります。

でも、でも、ですよ、
と、解説をつけてみましょう。

「このたびは」いきなりの掛詞で人に聞き耳を立てさせる、
そして、「ぬさもとりあへず 」の舌を噛みそうな字余りで、今回の旅の慌しさを強調。

ここで注記しなければなりまらないのは、昔の旅というのは、今のような物見遊山でないということです。
つらくきついもの、それこそ下手すれば命がけ、
この点について、もっと時代を遡った万葉の時代で折りを見て触れます。
さて、歌に話を戻しましょう。

三句目、「手向山」。
これで三句連続掛詞です。
さあさあ、いよいよ聞き手は、何をとりあえず手向けるのか?
と聞き耳を立てる、
と、

「紅葉のにしき」一転して悠長、言いように拠れば平凡かもしれない、の流れ、
だからこそ、聞き手は目の前の紅葉を見る余裕がでるでしょう?
そして、「神のまにまに 」。
おう! 見事オトセマシタ。

流石、当代一の碩学! と周りの聞き手は喝采したことでしょう。
それに応えて、おエラい学者先生、柄にもなくお茶目なしぐさでもして、更に笑わせたかもしれない。
いずれにせよ、一同の旅疲れは雲散霧消、格好の休息になったことだけは間違いありません。

と、この言い回し、



昨日掲載の後水尾院宸筆本について

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!