マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

桐壺

2006年12月12日 20時34分29秒 | 桐 - 12月
トランプ桐花札とは江戸期禁制品となったトランプの代品として完成していった模造品である、繰り返し話してます。
そして、この12月カテゴリにおいては、桐はクィーンに相当する組であることも。
いかにも相応しいですよねえ。
いやいや、いくらブログタイトルが『マゾヒズムに花札を!』であるからといって、妙に気を回さないでください。
第一あれは、英語では女王でなく、女主人=ミストレスという言い回しをしますし。
桐という植物が目上女性のイメージである、という意味で相応しい、と言ったのです。

紹介不要の世界的文学、『源氏物語』。
主人公光源氏の母は、桐壺更衣ですよねえ。
桐壺帝の寵愛を一身に受けた彼女は、源氏が3歳の時に亡くなる。
彼女のことを忘れられない帝は、酷似しているといわれる先帝の四の宮を女御として迎える。
幼くして母を亡くした源氏は、亡き母への思慕から女御を慕うようになる。それがやがて一人の女性への愛情へと変わっていき、源氏にとって女御は永遠の恋人と。

いいですねえ。美しき義母を慕う。
今一部渦中にある少女漫画家・一条ゆかり十八番パターンです。
…って、さっきどっかで見たような、はたまた書いたような、、、
ここには、踏み込まず、源氏物語イリュージョンという一点を請けて進めましょう。

何度か話題にしている百人一首選者・藤原定家の歌です。
ちょっと季節はズレてしまうのですが、

   春の夜の 夢の浮き橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空

これなんかも、源氏物語イリュージョンですよねえ。
定家の代表作であるだけにどどまらず新古今和歌集全体の代表作です。

なのにねえ。
百人一首の定家の歌はこれではなく、『こぬ人を~』なんて面白くもなんともない歌!
何ででしょう?
そこらを大胆に考察した書籍があります。

 百人一首 秘密の歌集―藤原定家が塗り込めた「たくらみ」とは ~ 小林 耕

同書によれば、一族繁栄を願った定家は歌の一つ一つに「易六十四卦」と「兵法三十六計」を隠していたというのです。
例えば、77番崇徳院、

   瀬をはやみ 岩にせかるる たき河の われてもすゑに あはむとぞ思ふ

引用してみましょう。


この歌の作者崇徳院は、前の歌(七十六番)の作者忠通(前関白太政大臣)らによって、保元の乱に敗れ、讃岐(香川県)に配流された。「保元の乱」とは一一五六年、崇徳上皇と、その弟の後白河天皇との間で起こった権力争奪戦である。崇徳側についた源氏は敗れ、一方、天皇側に組した平氏は、やがてわが世の春を謳歌することになる。
このように関係の深い二人を、定家がなんの考えもなく配列したとは思えない。私は定家が保元の乱を念頭に配列し、十三計につないだものと解釈するものである。つまり定家は「瀬を早み」の歌が『詞花集』巻七の〈恋上〉に「題しらず」と詞書があり、とり上げられたことから、恋の歌であることはわかっていた。
また、この歌が保元の乱以前に詠まれたことも知っていたが、あえて崇徳院の保元の乱後の述懐の歌と、ここでは位置づけたのである。そうすることで、「岩にせかるる」を忠通らの「御所方の急襲」に、「滝川」の「川」を「後白河天皇」の「河」に、それぞれ結びつけることができるのだ。
さらに「われても末に逢はむとぞ思ふ」という下句は、崇徳院がともに事を企てた藤原頼長、源為義、源為朝、平忠政らとの別れを暗示し、もはやこの世では会えないが、かならずや来世で再会できるという、院の悲痛きわまる思いを秘めているようにとれる。

ということでございまして、この歌に隠した暗号は兵法13計「打草驚蛇」(だそうきょうだ)だそう です。

と、この言い回し、



導入部、導入部、っと

を丸写ししました。
でも、でも!
彼女が書いたのは最後のツマンネエ語呂合わせ…だけ…YO…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!