goo blog サービス終了のお知らせ 

マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

五節句のおさめ

2006年09月09日 15時32分18秒 | 菊 - 9月
越後大石菊さてさて、更にもう一記事、9/9に投稿です。
しかも、なんと、なんと、このブログでは例外となる実日付の投稿ですよ~ とくとご注目あれ。
先ずは、手始めに、

 黄菊白菊 その外の名は なくもがな

其磁(ソノフクロ)より嵐雪(ランセツ)の句などを。

はい、9/9は菊のお節句でございますねえ。
それにあわせて「色々」取り合わせてみますデス。。。

と、おはしゃぎ気味で入りました今日の投稿、お気づきの人もあることでしょうが、旧暦の9/9の実日付の投稿です。
で、普通に言ったら何月何日か?
2006.10.30です。

幸いにして、今日この日にごらんの方は改めて今日この日に、花札は菊の10点札でも見返してください。
ぐっと季節感が沸いてきて、描かれた世界を堪能できることができると思います。
そうですよねえ。朝晩はとみに冷え込みを感じるようになったこの頃、9/9菊の節句とは、こんな時節の年中行事なのです。

特に僕が住んでいるという設定になっている北海道なんかは、もう冬といってもいいくらいですよ。
酒でも飲みながら体を温めて鑑菊をいたほうがよいと、頷く事ができる下戸の僕です。
ということで、もうせんタイトルにした『菊と女童』の下敷きとなった句などを。

   菊酒や 粧ひ匂ふ 女の童 ( 吉田冬葉 )

えっと。
歳時記によれば、9/9・菊の節句も古くは非常に盛んであったが、明治以降廃絶し現在では地方の一部になごりをとどめているにすぎない、とのことです。

ああ、そうそう。正しくは重陽の節句ですね。
なんでも、偶数は二つに割れてしまうから陰の数、奇数は割れないから陽の数とのことです。
ゾロ目は、何故か縁起もの、ってことで、陽ゾロ 1/1 3/3 5/5 7/7 9/9 が五節句となるわけで。

と、この言い回し、



A year has five se… って7/7のネタ、あはっ!
粧ひ=よそおい でいいと思う

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


9去法

2006年09月09日 09時09分09秒 | 菊 - 9月
手書き菊えー、もう一題、菊の節句に因んだ話をして見ましょう。
と、言っても実際は随分日付はかけ離れてるんですけどね、色々な意味で、ってなんでもありません。
今度は自然科学系の話です。

皆さん、ある数が9で割り切れるか検算する方法を知ってますか?
各位の数字を足していく、出た答えが1桁になるまでそれを繰り返します。
そして、それが9であれば、その数は9で割り切れます。

割と知れ渡っている検算方法ですよね。
でも、何でこれで検算が出来るのでしょう?
10という数を9で割ったらいくつ余ります? 1ですね。では100は?
お解かりでしょう? 千でも万でも十億でも皆答えは同じ、1余りです。
だから、桁は問題ではない、各位の数字だけを見ればいいと言うわけで。
そう、9去法ですね。高校に行ったことがある人は思い出してください。

この1余りが曲者、神様の失策、投稿日では後になるもののその実は前にお話しましたよねえ。
その後、親戚から仕入れた話を。
英国ってのは結構十二進法使いますよね。ヤードポンド法なんての。
昔、親戚のものが予備校の授業で体験したことです。
講師の方が、こう説明したそうです。
「10は3で割りないでしょ? 10円を3人で山分けするくらいなら(一人が1円得する程度だから)まだしも、これが10億円(を3人で等分するの)だったら大騒ぎになる」
一瞬あって教室は大爆笑、講師は赤面。
意味、分かりますよね?

と、この言い回し、



ミ ユ の 掲 示 板
9月25日(日)09時59分51秒 投稿への翌年1/8付 管理者返信

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


茱萸(しゅゆ)に菊酒

2006年09月09日 06時37分03秒 | 菊 - 9月
菊酒さてさて、花札9月は菊の節句を投稿日付に合わせてみました。
新暦に慣れた僕たちにすれば、まだまだ暑い季節のように感じてしまいますが、旧暦の9/9は、もう10月の半ばですものねえ。そして形式上には晩秋になります。
菊は菊でも、もう残菊の部類かもしれません。
そういえば、花札の図柄も黄色一色の菊ではなく残菊のイメージがあるような。

と、本場の菊の節句を見てみましょう。
唐・王維の七言絶句です。

   九月九日山東の兄弟を憶う

  独り帰郷に在りて異客(いかく)と為り
  佳節(かせつ)に逢う毎(ごと)に倍(ます)ます親(しん)を思う
  遙かに知る 兄弟高きに登る処
  遍(あまね)く茱萸を挿して一人を少(か)くを

本場の重陽節、
日本と同じく中国でも9/9に茱萸を頭に挿したり、菊酒を飲んだりしたようです。
また、一族が集まって高い所に登り宴会する習慣(登高)があったらしく、この詩のテーマにもなってますね。
親(しん)とは身内のこと、 作者十七歳の作です。

と、この言い回し、



しまった! 出し遅れ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


大君は神にしませば

2006年09月08日 07時25分52秒 | 菊 - 9月
america菊さてさて、花札9月の菊は、『かしこきあたり』の紋所にも使われている植物です。
そして、菊の御紋がポピュラーになっていったのは明治維新によって『かしこきあたり』の株があがってから、前に話しました。
そうですよねえ。「この紋所が…」の決め台詞とともに提示されるのは別の家の家紋である花札にはない植物と相場が決まってます。

とはいうものの、菊の御紋自体はそれよりも前からありました。
楠木家の紋が菊水であることを聞かされた後醍醐天皇が、類似の家紋であることを喜ぶという記載が古典太平記にあります。
明治維新から終戦まで、そしてこの建武中興、あと壬申の乱以降聖武天皇くらいまでの時期、これくらいでしょうかねえ? 現人神だったのは。
意外と短い期間ですよねえ。

さて、『かしこきあたり第一期黄金時代』に思いを馳せましょう。
例によって例のごとく、万葉集は大伴御行の歌です。

  大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田井を 都となしつ

天皇 = 神 という考えが初めて出できたのは、壬申の乱平定後のことです。
それまで、諸豪族最大手に過ぎなかった天皇家を神の地位まで上らしめた「壬申パワー」

もう一首見ましょうか。万葉中最も有名な宮廷歌人の一人である柿本人麻呂です。

  大君は 神にしませば天雲の 雷の上に 廬らせるかも

大君とは持統天皇のこととするのが通説です。
『神にしませば』がまた出ましたねえ。
別に、宮廷歌人である人麻呂が立場上よいしょした、そうせざるを得なかった、というわけではありません。
誰ですか!? 「そうか、人麻呂はマゾだったのか」って言ってるのは?
壬申の乱における天皇家を目の当たりにした、素直な気持ちがそう言わせてるのでしょう。

と、この言い回し、



『現人神』は壬申の乱以降
「よいしょ」でもマゾ癖でもありませんぞ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


菊の地酒

2006年09月07日 22時14分23秒 | 菊 - 9月
九月菊に盃、花札9月にふさわしい日本酒があるのを見つけました。
その名も『菊姫』、霊峰白山より出る水に育まれた加賀の地酒のようです。

各地の地酒というのも郷土の名産なのでしょうねえ。
またある地方の地酒で『木戸泉』というのは、菊の花に似た黄味を帯びているのが特長とか。
まあ、僕は酒をやりませんから、よく分かりませんけど、それでも日本的なよさということだけは実感できます。

のんべえで知られる江戸時代の狂歌師・大田蜀山人センセーあたりにかかったらこうです。

     世をすてて 山に入るとも 味噌醤油 酒のかよひぢ なくて叶はじ

ねえ、お酒って美味しいの?

と、この言い回し、



ここらでひとつ軽いものを挟んで、っと

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


懐みえる 菊人形

2006年09月06日 06時53分41秒 | 菊 - 9月
菊ゾロ投稿日付に拘らず前にお話した『花札占い』、10月は菊の言葉はこうです。

 「心が次々と変り、迷いに迷い、時には機会を逸する。落ち着いて反省すべし」

どうも凶のようです。
時には機会を逸する、十日の菊ということがありますね。そこらから来てるのでしょう。

時に皆さんは菊人形は、お好きですか?
僕はあまり好きでありません。
というのは、ほら、これって正面から見ないと全くのマヌケでしょう?
ご幼少のころ、偶々菊人形を裏手から見てしまった僕は、そのマヌケさにすっかり呆れてしまい、以来見る気がしなくなっちゃいまして。

     さびしさや 懐みえる 菊人形 (増田龍雨)

どことなく、花札占いの言葉を髣髴させます。

さて、首都圏近郊はN市、今はなくなってしまったY遊園、秋になると毎年菊人形展をやっていたそうなのです。
近隣の幼稚園の秋の遠足のコースだったので、今でも懐かしい思い出の方も多いとか。

Y遊園。今は団地になってますねえ。
干潟の一角が残ってるだけ、ってここまで言ってしまえば伏字にした意味がありませんか。
沿線電鉄会社の不動産事業のしくじりでそうなったということで。
紆余曲折して、某ディズニーランドがその発展的後継になってますね。
いずれにせよ、さびしさや 懐みえる、この世界です。

そうそう、Y遊園の隣接にFヘルスセンターってのがあったらしいですよ。


違いますっ!
その「ヘルスセンター」じゃない!!

と、この言い回し、



十日の菊

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

菊は栄える

2006年09月05日 07時53分02秒 | 菊 - 9月
菊は栄える日本の秋を かざる花 ~♪

と文部唱歌に歌われた菊です。
戦後割愛されてしまった2番の歌詞、

あおぐ ごもんの 菊の花 ~♪

で歌われているように、かしこきあたりが家紋にしていることは、投稿日付に拘らずずいぶん前に話題にしました。

ところが、花札成立時期においては、この『かしこきあたり』はさしたる権威があったわけではありません。
『勘太郎月夜歌』という戦前歌謡に花を散りばめたきれいな歌詞がありますので、ご紹介しましょう。

3 菊は栄える 葵は枯れる
  桑を摘む頃 逢おうじゃないか
  霧に消え行く 一本刀
  泣いて見送る 紅つつじ

考えてみれば幕末、薩長は徳川に替わる新しい権威を必要としていました。
そこではたと思いついたのが『菊のごもんのあのお方』ということなのでしょう。
話は突拍子もなくなりましたが、花札の9月菊はどちらかといえば中国の花と見たほうが、自然ということが言いたかったので、のっけからこう入りました。
そういえば、9月の節句は菊の節句ですものね。

さて、そのかしこきあたりですが、第二次世界大戦前に、その権威最高潮となりますね。
壬申の乱以来のことではないでしょうか?
そして、1945年8月15日です。

   堪ふること いまは暑さのみや 終戦日 (及川貞)

正直宮城前に土下座した人たちの心情はおよそ理解できない僕ですが、この句意レベルなら実感として理解できます。
もう一曲、戦前歌謡の歌詞をみてみましょう。『九段の母』

2 空をつくよな 大鳥居
  こんな立派な おやしろに
  神とまつられ もったいなさよ
  母は泣けます うれしさに

さてさて、それぞれの感性で色々感じ方はあると思います。
因みに僕は、これ、皮肉だと思うんですよ。いくらなんでもここまでねえ、って感じで。

戦後60年以上たった今でもやってますよねえ。
日本人のなかにも、靖国神社に参拝するのがけしからんという、僕に言わせれば訳の解らないことをいう人たちがいます。
この人たちは、くだん(←掛詞)の歌詞をどう感じるのでしょうか?
皮肉と感じなくてもいい、ただ世の中には「皮肉である」と感じている人間もいる、ということだけは意識において欲しいものです。

と、この言い回し、



あついあつい秋の季語

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


花に酒

2006年09月04日 19時27分57秒 | 菊 - 9月
菊菊に杯を配した10点札、これをよく見ると『寿』という字が書かれてますね。
菊の節句の祝い酒ということでしょう。

個人的な事情を言えば、僕は酒をやらないのでイマイチぴんと来ないのですが、人というのはなにかと理由をつけて飲みたがるものですよねえ。
単に飲むといえば酒を飲むということ、これは英語でも同じようです。

では、中国では?
いや、漢詩も酒がテーマになったものが多い!
メジャーなところからひとつ。

   酒ヲ勧ム 于武陵

 君に勧む 金屈卮
 満酌 辞するを須いず
 花発けば 風雨多し
 人生 別離 足る
 
この詩には、井伏鱒二の訳詩があります。

 この盃を受けてくれ
 どうぞなみなみ注がせておくれ
 花に嵐の例えもあるぞ
 さよならだけが人生だ

「さよならだけが人生だ」はちょっとニュアンスが違いますか。

さてさて、一口にお酒といっても醸造酒と蒸留酒とがあるんですか。
醸造酒は温帯地方で、蒸留酒は寒帯地方でよく飲まれる。
寒いところでは、よりアルコール度の高い酒で身体を温める必要があるから。
逆に熱帯地方では暑さでボーっとしてしまうので、アルコールで神経を緩めるよりは刺激物で絞めたほうがいい、コーヒーが飲まれるわけですね。
それから、あまりにも寒いところに行ってしまうと、醗酵が起こらないので酒自体が作れなくなってしまいます。

と、この言い回し、



お酒は二十歳から

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

菊を采る…

2006年09月03日 07時03分38秒 | 菊 - 9月
菊カス復習から入りましょう。
普段はあまり意識しないですけど、花札の菊には特色があります。
5点札の青短冊、そして10点札です。
先ずこの10点札、動物が配されてません。
競技においては、一部にカス札とみなすことが出来る特例があったり、『のみ』役のパーツになったり結構重宝な札ですよねえ。

くしくも実際の菊も鑑賞だけではなく、色々と重宝します。
ねえ、食べることが出来たり、蚊取り線香になったり。

さて、今日は伝来元の中国における菊の話をしましょう。
陶潜(淵明)(365-427)の有名な詩、ずばり『飲酒』です。


 廬を結んで 人境に在り
 而も 車馬の喧しき無し
 君に問う 何ぞ能く爾るやと
 心遠ければ 地自から偏なり
 菊を采る 東籬の下
 悠然 南山を見る
 山気 日夕に佳く
 飛鳥 相与に還る
 此の中に 真意有り
 弁ぜんと欲し 已に言を忘る


『悠然見南山』は古くは、悠然として 南山を見る、とする説が有力でした。
実は今見た資料もそうなっていたのですが、あえて削った次第です。

悠然として、だと作者が悠然としてるということになるでしょう?
悠然としてるのは『南山』、少なくても私は断然そう思います。

同じく直したのは、弁ぜんと欲すれば → 弁ぜんと欲し 
全っ然、こっちの方がいいですよ。
是非、そんな光景を目の当たりにしたいもの、
というよりは、そういう心境になりたい、ということですか?

でもまー、現実は、なんざん す、ね、


と、この言い回し、



なかなか、ここまでは

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



白菊・黄菊

2006年09月02日 06時20分08秒 | 菊 - 9月
菊短さて、投稿日付にはあまり拘わりなく随分前に、菊は外来の花のようだ、とお話しました。
意外に感じた方も多いでしょう。
そうですよねえ。かしこきところが家紋にしているくらい、日本人に親しまれている花ですもの。
おそらく、伝来と同時に爆発的に津々浦々へと流布していったものと思われます。

なぜ、こんなにウケたか?
僕はひとつには、色が色々と揃っていることが人気の秘密になっていると思うんですよねえ。
ご存知のとおり、花札の菊は黄菊ですけど、その他もろもろ。
小倉山百人一首の時代には、既に白菊もあったようです。

  心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

もう、お馴染み、凡河内躬恒の歌です。

ところがですよ。
明治の大歌人・正岡子規は、この歌をボロクソに評してるんですよ。

「此躬恒の歌戸人一首にあれば誰も口ずさみ候らへども一文半文の値うちも無く之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり。初霜が置いたくらいで白菊が見えなくなる気遣い無く之候」

うーん、確かに嘘はいけません。理屈を並べてもひとのこころをうつことはできません。
ただ、写生主義を提唱した子規流でいけば、万葉集志貴皇子の歌

  葦辺ゆく 鴨の羽交に 霜零りて 寒き夕は 大和し思ほゆ

などという歌はやはり同じ理由で「一文半文の値うちもない」ということになってしまいますよねぇ。

頼山陽の漢詩「天草洋二拍ス」


 雲耶山耶呉耶越 水天髣髴青一髪
 萬里泊舟天草洋 烟横篷窗日漸没
 暼見大魚波間跳 太白當船明似月


 雲カ山カ呉カ越カ 水天髪髭青一髪
  万里舟ヲ泊ス天草洋 煙ハ篷窓二横タワリテ日漸ク没ス
瞥見ス大魚ノ波間二躍ルヲ 大白船二当リテ明月二似タリ

もダメ。J・シュトラウスの円舞曲「美しく青きドナウ」もしかりでしょう。

なぜならば、眼に写る現実を写生すれば、生きものである鴨は霜が羽に置く前に飛び立つであろうし、月は金星の一万倍以上の明るさであるし、ドナウは赤茶けた色の川水であり、これらはすべて「嘘の趣向」でしょうから。

もとより、前書後段での反論「菊は霜が置くと赤みを帯ひる。だから白菊と色菊の区別がつかなくなるでのあり、躬恒はそれを歌っているのだ」などというチャチな屁理屈は論外ですよ。

しかし、現実に眼球に映るものだけが真実の世界なのであり、これのみが至上ときめつけるのはどうなんでしょうか?

霜の凄さに感じた躬経の気持ちが菊の見分けをつけさせなくなったのであり、志貴皇子の旅情一前にもいったとおり辛く厳しいもの一が朝の寒さを水鳥の羽に霜が置くほどに感じさせたのであるし、天草の雄大な風景が山陽をして金星をマイナス四コンマ四等級よりは一万倍以上明るいマイナス十コンマ六等級近くに見さしめ、ウィーンを愛するヨハンの心が国の象徴であるドナウを美しく青く見せたんですよ。

『嘘の趣向』ではありません。皆、心眼で見た真実をかたっているのです。

と、この言い回し、



「歌よみに与ふる書」、異議あり!

を丸写ししました。
こんなに長々…と…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!