
紅葉といえば鹿、鹿といえば紅葉を連想させるのは、花札のせいでしょうか?
はたまた、この歌のせいでしょうか?
おく山に 紅葉ふみ分け なく鹿の こゑ聞くときぞ 秋はかなしき
百人一首の猿丸大夫の歌です。
この歌に関してはに有名な論争がありますね。
この歌は2句で切れるのか? 3句で切れるのか?
つまり2句で切れば、「紅葉ふみ分け奥山に入って行って、なく鹿の」
つーことで、紅葉ふみ分けてるのは作者である人、
3句で切れば、「紅葉ふみ分け(つつ)なく鹿の」
でありまして、ふみ分けてるのは対象物である鹿ということになります。
さあ、どっち?
僕は断然前者ですね。
先ずは『鹿が踏み分ける』? ヘンだぞ~、と感じるからです。
ほら、蹄類というのは非常に足が小さい、ふみ分けるなどというイメージは沸かないでしょう?
もうひとつの理由は、じゃあ作者はどこでこの歌詠んだの? という疑問が生じることです。
やはり、作者である猿丸大夫が紅葉を踏みわけ、えっちらおっちら奥山まで登った、そこで鹿の声を聞いて「ああ、秋だな」実感した、とみるほうが遥かに自然でしょう? ね。
これも、ある種、対偶証明法、ですか?
と、この言い回し、
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ライブドアのこと否定的に書いたらブログポイントが大幅ダウンしちゃった… 61日目
を丸写ししました。
『しか』も、隠し動画の秘密まで暴露し…ちゃっ…て…
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!