いつも自分の心の声に従っていた。奥底から湧き出る自分の本髄こそが指針だったのだ。それは私にとって自然なことだった。しかし社会生活を送るには、本能こそが抑えなけれなならないものだったのだ、指針がまったくもって間違っていたという事だ。これがずっと自分が感じてきた違和感の一つだ。
生きるコンセプトが違い過ぎた、なぜこんな風に生きていたのだろうか。それは感情のまま本能のままに生きる「困った親」というお手本が身近にあったから。父や母のような生き方を呼吸するように学んでいたのだ、そしてそれ以外の関り方を知らなかったのだ。彼らが望むように生きなければもっとひどい目に合うのだから、父母の望むように私は育ったのだ。
根本は親心から生じたしつけだったとは思うが間違っていたのだ、間違いかどうかも知らず彼らは間違ったやり方を暴力でもって私に強要したのだ。彼らは分かっていなかった、人間として成熟していなかった。自分の人生の欲求不満の捌け口を子供に向けたのだ、正しい子育てという大義名分をもって。
虐待を受けなかった人は想像もできない世界だろう。愛しながら憎いという相反する感情で引き裂かれそうな子供時代だった。愛は伝わらなければ愛情と感じられないものなのだ。「いつか愛されるだろう」と希望を持ちながら絶望する、そんな子供時代だった。痛みや辛さを愛情と思わなければ生きてこれなかった。
「自分の中の感情や本能に従わない」という指針は衝撃的だった、そんな考えはなかった。自分に正直であることが誠実なんだとはき違えていたのだ。「人との距離の測り方や境界線の取り方の設計図に必要な大事な指針」を取り入れていきたい、成熟した人間になりたいから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます