心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

不安に支配されて行動してしまう

2023-01-08 23:54:44 | 気づかされた言葉

「不安に支配されて行動してしまう」

私の話しかけたい何とかこの場を和ませたいという欲求が「不安」、実際にTPOを逸脱していても話しかけてしまうのが「行動」という事なのではないか?とおぼろげながら気づいた。私はほぼ「常に」不安に駆られている、何故ならば、常に話しかける行動をしていないと気が済まないから。これは常に支配されているという事なのだろう。

孤独の恐怖からくる「わかってほしい」という思い、結局のところ他者に依存して「私を承認してほしい」欲求なんだろうと思う、他者承認に依存しているのだ。話しかける内容を吟味してTPOに合わせるようつとめても、心では好かれたいという欲求で下からコントロールしようとする行為なのだと気付いている。そんな自分に嫌悪を抱く、罪悪感と自己嫌悪がある。止めたいのにやめられない、よくないとわかっているのに話しかける行為を止められないという依存症のような気がしている。

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本能に従わないことが大切

2023-01-08 23:52:00 | 気づかされた言葉

いつも自分の心の声に従っていた。奥底から湧き出る自分の本髄こそが指針だったのだ。それは私にとって自然なことだった。しかし社会生活を送るには、本能こそが抑えなけれなならないものだったのだ、指針がまったくもって間違っていたという事だ。これがずっと自分が感じてきた違和感の一つだ。

生きるコンセプトが違い過ぎた、なぜこんな風に生きていたのだろうか。それは感情のまま本能のままに生きる「困った親」というお手本が身近にあったから。父や母のような生き方を呼吸するように学んでいたのだ、そしてそれ以外の関り方を知らなかったのだ。彼らが望むように生きなければもっとひどい目に合うのだから、父母の望むように私は育ったのだ。

根本は親心から生じたしつけだったとは思うが間違っていたのだ、間違いかどうかも知らず彼らは間違ったやり方を暴力でもって私に強要したのだ。彼らは分かっていなかった、人間として成熟していなかった。自分の人生の欲求不満の捌け口を子供に向けたのだ、正しい子育てという大義名分をもって。

虐待を受けなかった人は想像もできない世界だろう。愛しながら憎いという相反する感情で引き裂かれそうな子供時代だった。愛は伝わらなければ愛情と感じられないものなのだ。「いつか愛されるだろう」と希望を持ちながら絶望する、そんな子供時代だった。痛みや辛さを愛情と思わなければ生きてこれなかった。

「自分の中の感情や本能に従わない」という指針は衝撃的だった、そんな考えはなかった。自分に正直であることが誠実なんだとはき違えていたのだ。「人との距離の測り方や境界線の取り方の設計図に必要な大事な指針」を取り入れていきたい、成熟した人間になりたいから。

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親から愛されない孤独な自分しか感じられない

2023-01-08 23:47:36 | 気づかされた言葉

自分の中の「依存」を探っていて「孤独の恐怖」というワードに引っかかった。

見捨てられ不安とはまた異なるのか?気になるが、自分の中でしっくりくる方向性で探ってみる。

理想の自分になろうとして過剰に努力し苦しむのはなぜか?

何故自分をわかって欲しいのか?何故自分の価値を周囲の評価に依存するのか?

自己否定と孤独の恐怖の問題、親への未完了な欲求な投影、誰とも繋がっていない恐怖。

「親から愛されない孤独な自分しか感じられない」まさしくその通りで、そんな自分こそが自分だと感じている。

母との関係を注意深く探ったら、奥底に沈んでいた恐怖を思い出して戦慄した。母に話しかけて受け入れてもらえなかった記憶、無視された記憶、愛されなかった記憶、誰とも繋がっていない孤独の恐怖。愛されない無意味な自分への慄きを思い出した。

原因は、幼少期に親に愛されて関わってもらえて、存在そのものを受け入れてもらえなかったから。乗り越えるためには、愛されなかった自分を認め受け止めること。

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