8月12日、「道の駅・斜里」で朝を迎え知床半島へ向かう途中、
オシンコシンの滝を見物 。
アイヌ語で「エゾマツが群生するところ」という意味の
「オ・シュンク・ウシ」から転じたと言われています。
滝の前の磯では釣り人が竿出し 。
地元らしい人に「何を狙っているのですか?」と聞くと、
「カラフトマスを狙っているよ!」と言う事 。
「昨日から解禁になったけど今年はまだ釣れてないね~」と言う事 。
「この磯でマグロを釣り上げた事もあるし、温暖化で
ブリも釣れる事があるよ 。 親子連れのヒグマが出て来て
私も含め釣り人が慌てて逃げた 。」と笑い話で済んだと言う事 。
別れの挨拶をして移動 。
オシンコシンの滝を過ぎると「三段の滝」を見る事が出来ます 。
知床観光の拠点、ウトロ漁港 。
漢字表記は宇登呂で、アイヌ語の「ウトゥルチクシ」と言う事、
「その間を-我々が-通る-所」という意味だそうです。
知床観光船「おーろら号」が停泊中 。
ウトロ漁港 の三角岩 。
ウトロ漁港・三角岩前にある
森重久彌氏、作詞・作曲・唄「知床旅情」の碑 。
更に知床を知らしめた歌 ですね 。
その後、知床半島を北上、道は細くなるし、見晴らしは悪いし、
知床五湖の標識が ありましたが素通りし、結局、
ラウス登山道入口まで来ての終点 。駐車場は満杯で
止める処がなく、引き返し、知床半島の車が行けるところまで
来たと言う事だけでした 。 その後、霧の中、羅臼岳と天頂山の
間にある展望台を過ぎ、知床半島を横断、
日本最北東突端地の相泊漁港へやって来ました 。
相泊漁港 。
近くにある日本最北東突端地の相泊温泉で
入浴したかったのですが、高波に呑まれ温泉は閉鎖中との事 。
戻る途中、ガス欠になるといけないのでガソリンスタンドに入り、
料金を払うとスタッフの方が、記念の名刺をくれました 。
根室海峡を左に見ながら南下し、斜里町の
「道の駅・斜里」へもどり、「知床くまうし」で昼食 。
車での移動、運動不足でお腹が空かず、昼食は麺類ばかり、
どうしても北海道はラーメンになってしいまいます 。
注文は「味噌ラーメン 」
昼食後、「網走刑務所」見物へとやって来ました 。
明治維新後の日本は、内乱による国事犯や政治犯が続出し、監獄は過剰拘禁となり、「富国強兵」を掲げて西洋列強と肩を並べるためやロシア帝国による脅威を防ぐためには蝦夷地(北海道)の開拓が重要で
囚人を労働力として使役させ北海道の防衛と開拓を進める政策を
行ない、刑を終えた後は北海道に住み着いてくれれば良いという
考もあったと言う事 。
網走刑務所の象徴となっている「煉瓦門」の説明 。
赤門こと「煉瓦門」
屋根をガラス張にした自然採光 。
明治新政府以降、多くの国の軍隊が
サーベルを使用していることから日本もサーベルを携帯し始め、
職位により長さや鍔などが異なるとの事 。
中央見張詰所 。
カニ錠と鉄丸 。
刑務所見物後、「道の駅・サロマ湖」へ移動 。
アイヌ語で「サロ・オマ(葦のある)ペット(沼)」と
意味だそうです 。
今日はここ「道の駅・サロマ湖」で夕食、車中泊
明日へとつ・づ・く 。
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