三重県で活躍するサークル「あかりの会」に参加した。
あかりの会は、今年創立10周年を迎えられた。本当におめでとうございます。
あかりの会のサークル活動の様子については、初志の会の機関紙『考える子ども』284号、294号に詳しい。
若手研は、設立間もない頃、「あかりの会」の夏合宿に参加させていただいた縁で交流を続けさせていただいている。
今回私は、合宿は19日から21日まで3日間開催され、私は20日のみ参加させていただいた。
20日は、この会の中心的実践家であるM女史の提案、名古屋大学・的場正美先生のお話などを伺うことができた。
※ 本当は、こんな堅苦しい書き方をしたくない。M女史などと言わず、敬意を込めて実名で書きたいところだ。また、合宿の様子についてももっともっと書きたいところだ。ただ、不特定多数の人の目に触れるものとして、ここまでにとどめよう思う。(あかりの会のみなさん、申し訳ありません。決して他人行儀に思っているわけではありません)
今年の合宿参加者は総勢31人。あかりの会の方は13名、残りは外部の方だ。3日間の期間中に入れ替わり立ち代り多くの人が顔を出して学んでいく。遠くは群馬県から足を運ばれた先生もみえた。また、静岡の「授業改善研究会」のメンバーも参加してみえた。
今回私が一番学んだことは、授業記録を読むとき、教師の出について、私は授業の展開に即して考えるだけでなく、座席表にある「この子はこういう子だから」「こんな力をけたい子だから」という視点から教師の出を分析することが大切だということだ。私は、どうしても授業の展開から教師の出を考えてしまう。一見不自然な教師の出にも、その意図がある。ということは、私の授業も授業の展開から出る教師の出が多いということだ。1人1人のねらい、状況に応じた声がけというのは、口で言うと当たり前のように感じられるが、ねらいをもって進める授業においては実践されているというのは、すごいことだ。
あかりの会は、月1回のペース(それ以上)で毎会を行い、その内容を「あかり通信」としてまとめて見える。10年目を向かえ、「あかり通信」は120号を越えた。そして、その通信を一冊にまとめられた。今回その冊子をいただき、私は「懐かしい!」と思わず叫んでしまった。第11号は、18号には若手研が参加した合宿の様子などが書かれている。その会の様子がまざまざと浮かび上がってきた。
あかりの会は、今年創立10周年を迎えられた。本当におめでとうございます。
あかりの会のサークル活動の様子については、初志の会の機関紙『考える子ども』284号、294号に詳しい。
若手研は、設立間もない頃、「あかりの会」の夏合宿に参加させていただいた縁で交流を続けさせていただいている。
今回私は、合宿は19日から21日まで3日間開催され、私は20日のみ参加させていただいた。
20日は、この会の中心的実践家であるM女史の提案、名古屋大学・的場正美先生のお話などを伺うことができた。
※ 本当は、こんな堅苦しい書き方をしたくない。M女史などと言わず、敬意を込めて実名で書きたいところだ。また、合宿の様子についてももっともっと書きたいところだ。ただ、不特定多数の人の目に触れるものとして、ここまでにとどめよう思う。(あかりの会のみなさん、申し訳ありません。決して他人行儀に思っているわけではありません)
今年の合宿参加者は総勢31人。あかりの会の方は13名、残りは外部の方だ。3日間の期間中に入れ替わり立ち代り多くの人が顔を出して学んでいく。遠くは群馬県から足を運ばれた先生もみえた。また、静岡の「授業改善研究会」のメンバーも参加してみえた。
今回私が一番学んだことは、授業記録を読むとき、教師の出について、私は授業の展開に即して考えるだけでなく、座席表にある「この子はこういう子だから」「こんな力をけたい子だから」という視点から教師の出を分析することが大切だということだ。私は、どうしても授業の展開から教師の出を考えてしまう。一見不自然な教師の出にも、その意図がある。ということは、私の授業も授業の展開から出る教師の出が多いということだ。1人1人のねらい、状況に応じた声がけというのは、口で言うと当たり前のように感じられるが、ねらいをもって進める授業においては実践されているというのは、すごいことだ。
あかりの会は、月1回のペース(それ以上)で毎会を行い、その内容を「あかり通信」としてまとめて見える。10年目を向かえ、「あかり通信」は120号を越えた。そして、その通信を一冊にまとめられた。今回その冊子をいただき、私は「懐かしい!」と思わず叫んでしまった。第11号は、18号には若手研が参加した合宿の様子などが書かれている。その会の様子がまざまざと浮かび上がってきた。