日本再生への道

支那朝鮮断交・憲法改正・偏向カスゴミ粉砕・移民阻止を図り日本を再生

日韓戦争を考察する②現状と戦後史(その2)

2012-09-04 04:04:50 | Weblog

まったく異なるニュースソースの同じ情報は多ければ多いほど限りなく真実、史実に近
い。
ここの項は、前回記述の古老と、小生の母、複数のに共通する史実を如実に物語るもの
として引用させていただいた談話である。読みにくいかとは思ったが原文のままにし
た。現在このHPは何者かによって遮断されている。

終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃
や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫窃盗、時には殺人ま
で、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた。斯うした情勢に便乗し、朝鮮
人は戦勝國民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた
そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題 警察の検問を竹槍日本刀を振り回し
て強行突破したのだから當時は物不足で、賣る方は素人でも出來た 仕入れこそ難しか
ったのだが、彼等は日本人露天商を襲って商品を奪ふのだから 其で警察が黙認して捕
まへないのだから、こりゃあ損のし様が無い。
警察が襲撃されること頻りで、署長が叩きのめされたり、捜査主任が手錠を賭けられ半
殺しにされるぐらいは珍しからず 上野で朝鮮人経営の屋へ國税局査察部が査察に行っ
た際、大を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したもの
だから査察官は腕を切断されてしまった。(録取者註 當時は警察署が襲撃される事が
珍しくなく、第三國人の來襲によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官
が殺された澁谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との聯絡を遮断「攻城
戦」に出た平警察署事件等、枚擧に暇有りませんでした)。
當時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して來て盗み
出し、河原へ牽いて行ってした 牛はモウと言って泣いたので皆氣付いたが、銃砲
刀剣で武装してゐるので追ふ訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんで來た牛が悲し
さうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かった
が、手向へば殺されるのでどうにも出來なかった。斯うして利根川水系流域一帯の牛は
皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を
賣りに來たものだ 上流でした牛を、其儘下流へ賣りに來たのだらう 斯くて南關
東から、牛はゐなくなった。
家畜相手ならまだしも、人間に對しても、關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽
が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた。、濱松、、などが酷かった。其最も著しい、象徴
的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する集團暴行・傷害事件がある。翁
が軽井澤の静養先から帰京しやうとしての汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が
後から大勢、切符も買はず、鐵道員を突き飛ばし押入って來て、俺達は戦勝國民だ、お
まへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進
駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! と追ひ立て
た。其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、と一
乗客として穏やかに抗議したら、忽ち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しに
した 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れた
が、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。直後に總理大臣に成る程の大物でも
如斯 況や庶民に於てをや。
も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、殊には、
空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された。今、朝鮮人が駅前の一等
地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ。
其でも警察は手が出せなかった 歴代總理大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察如
きに何が出來よう 或日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命
ぜられれば、其切り警察は消滅する 七百萬の大軍を擁した彼の帝國陸海軍ですら、左
様にして両總長 両大臣以下、自然廃官になった まこと、敗戦はかなしからずや。
堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み「濱松大戦争」になった訳だが、「小戦争」
は日本中に頻發した。最後の頼みの綱は聯合國軍であったが、遂には其憲兵隊でも手に
負へぬ非常事態に立ち至った。其で流石に米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を
担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言はず關西と言はず、は
たまた北九州と言はず、不逞鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布
陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞
鮮人共にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した 我々は其火器の煌めきを間近に見た。
此時、聯合國軍總司令官ダグラス・アーサー元帥の發した布告が、「朝鮮人等は戦勝國
民に非ず、第三國人なり」と言ふ声名で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである。だ
から、外國人差別用語な筈は無い 彼等自身、マックアーサー元帥以下、一人残らず
皆、外國人ではないか。聯合國軍總司令官は日本人に對してこそ絶大な権勢を振った
が、本國や同盟國、對日理事會や極東委員會に氣を遣はねばならぬ外交センスの要る役
職であった何人にもせよ、敗戦國民以外を、声名發して迄差別なんぞする筈が無い。
「第三國人」の語は、國際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。
(当時を生きた北斗星さんの談話。一部略 原文のまま)

2012-09-04 13:58



最新の画像もっと見る

コメントを投稿