Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

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年表

2014-11-07 | その他

<中国>                <日本>

明朝時代(1368年~1644年)
 『順風相送』作者・年代不詳(中国は1403年作と主張)
 『使琉球録』(1534年)
 『日本一鑑』(1555年)
 『籌海図編』(1562年)
 『重編使琉球録』(1562年)

                    1600年 関ヶ原の戦い
満州にて清朝が建国される(1636年)
清朝時代(1644年~1912年)

 1708年 『指南広義』
 1719年 『中山伝信録』
 1744年 『大清一統志』
 1767年 『坤輿全図』
 1785年 『三国通覧図説』
 1792年 『琉球国志略』
 1812年 『清一統志臺灣府圖』
 1835年 噶瑪蘭志略》附圖
 1852年 『噶瑪蘭廳地輿全圖』
                     1853年(嘉永6年)黒船来航
                     1867年(慶應3年)大政奉還

                     1879(明治12)年 『大日本全県地図』 
                     1879(明治12)年 『大日本全図』 
                     1879(明治12)年 『大日本府県管轄図』

                     1884(明治17)年 古賀辰四郎が尖閣諸島の開拓開始
                     1885(明治18)年 古賀、黄尾嶼の開拓を申請
                        内務省は沖縄県に尖閣諸島の調査を命じる
                     1885(明治18)年 『日本沖縄宮古八重山諸島見取図』
                     1886(明治19)年 『洋語挿入大日本輿地全図』 
                     1890(明治23)年 沖縄県知事が内務大臣に
                                  国標建設を上申

『西太后詔書』1893年←偽物と判明

1894年 日清戦争勃発(1894~1895)

                   1894(明治27)年 尖閣諸島の領有方針を内務・外務卿が決定
                   1895(明治28)年1月14日 尖閣領有を閣議決定                                  

1895年4月17日 下関条約(日清講和条約)締結
                   1896(明治29)年9月 4島を国有地に指定。 
                               無償で古賀辰四郎に貸与することを決定

                   1919(大正8)年 嵐で遭難し、魚釣島に漂着した福建省の漁民31名を古賀善次ら島民が救助 
                   1920(大正9)年 漁民を救助した魚釣島島民に、中華民国から感謝状が贈られる 

                   1932(昭和7)年 国有地であった尖閣諸島は、
                             古賀辰四郎の息子、善次の私有地となる

                   1940(昭和15)年 戦争激化により、島民は石垣島や那覇に
                              引き揚げ、無人島となる

 

<アメリカ>                <日本>

1941(昭和16)年12月7日 真珠湾攻撃 大東亜戦争(太平洋戦争)開戦

1943(昭和18)年 カイロ会談(カイロ宣言

1945年3月26日~6月23日 沖縄戦
1945年4月1日 米軍が沖縄本島上陸、琉球列島米国軍政府を設立 

1945(昭和20)年8月15日 終戦

   1946年1月29日 「若干の外郭地域を政治上行政上日本から文理することに関する覚書」

1951(昭和26)年 サンフランシスコ講和条約締結

   1951(昭和26)年 『台湾省通志稿』台湾省文献委員会) ・・・台湾の最北端は彭佳嶼と記載

   1953(昭和28)年1月8日『人民日報』 ・・・尖閣諸島を日本領と認める記事を発表

1955(昭和30)年10月 米軍は久場島(黄尾嶼)を演習地として使用
1956(昭和31)年4月  大正島(赤尾嶼)を米軍演習地として使用
1958(昭和33)年    高等弁務官布令20号に基づき、米軍、久場島を軍用地に指定。
                古賀善次氏と米軍との間に、地料契約が結ばれる。

   1958(昭和33)年 『世界地図集 日本之部』(北京市地図出版社)・・・尖閣諸島を日本領と記載
   1959(昭和34)年 『台湾地理』 商務印書館)・・・尖閣諸島は琉球群島に属すると記述
   1960(昭和35)年 『世界地図集』 第一版(北京市地図出版社発行)・・・尖閣諸島を日本領と記載

 

1961(昭和36)年4月 石垣市は土地借貸安定法に従い、土地等級設定のため、係員11名が渡島。

   1965(昭和40)年 『世界地図集 第一冊 東亜諸国』(中華民国発行)・・・尖閣諸島を日本領と記載

1968(昭和43)年   米民政府は不法入域を取り締まるため、尖閣諸島海域の軍用機による哨戒を開始。
               琉球政府も巡視船による定期パトロールを実施。

1969(昭和44)年5月 琉球政府が尖閣諸島に標杭を建てる

1969(昭和44)年 国連調査団が、尖閣近海の海底に石油資源が埋蔵されている可能性を指摘
1969(昭和44)年11月22日 佐藤・ニクソン会談 沖縄返還合意

   1969年 中国政府作成の機密扱い地図

1971(昭和46)年3月 台湾が米国に対し、「尖閣諸島の日本返還保留」を申し入れる

1971(昭和46)年 中華民国の中学校教科書で国境線が書き換えられる・・・尖閣を台湾領と記載


記事一覧

2012-11-27 | その他

序文
下関条約
通過しただけで「自国領」?
海図(航海図)と領土領海は別である
『使琉球録』の新解釈 尖閣は琉球人の生活圏だった
偽物の西太后詔書
『日本一鑑』「小東の小嶼」は「台湾の附属島嶼」ではなく、「小東洋(日本近海の海)の小島」
籌海図編
『坤輿全図(こんよぜんず)』に対する反論
清朝の台湾地図には、釣魚島はない
『三国通覧図説』の塗り絵は、矛盾だらけ
琉球西端は姑米山と赤嶼の間か ~『重編使琉球録』
台湾の地図には、釣魚島はずっと記載されてこなかった
日本統治時代の台湾領に、魚釣島は含まれていなかった
カイロ会談に参加したチャーチルすら否定する「カイロ宣言」
台湾との漁業権問題
「海溝」で領土を決めると、こんなことになる
1947~1954年の中国・台湾の地図
「魚釣島は日本のもの」と報じた人民日報
1955~1962の中国・台湾の地図
世界地図集第一冊 東亜諸国(1965年)
書き換えられた中学教科書(1970~1972年)
突然動き始めた国境線


<魚釣島の歴史>
明治12年 魚釣島が日本地図に記載される
尖閣領有を閣議決定、沖縄県に編入
明治時代の『地学雑誌』に尖閣諸島探検記掲載
沖縄県や海軍により、尖閣諸島の正確な測量が実施される
古賀辰四郎による開拓が始まる
古賀村の人々
台湾は、南小島の難破船撤去のため、琉球政府に上陸申請を出していた!
米国占領下の尖閣諸島
アメリカによる沖縄統治
米琉球政府統治下の尖閣諸島
中国作成の機密扱い地図(1969年)
尖閣近海で地下資源発見
沖縄返還と尖閣諸島
ニクソン・キッシンジャーも日本領と認める尖閣諸島
中華民国が尖閣諸島を日本領と認めている感謝状

「海溝」で領土を決めると、こんなことになる

2012-11-17 | その他
拿〝大屯山脈入海延伸並與沖繩島有海溝相隔〞當台灣領有釣魚台的理由,可是地質上台灣東部也是菲律賓版塊的延伸,難不成保釣人士也要主張台灣東部是菲律賓的領土?

台湾が釣魚島を領有する「地質学的理由」を適用すると、
台湾東部は、フィリピン領になってしまうが、それでもよいのですか?





美屬關島跟美國本土也隔著馬理亞那海溝距離又遠 ,保釣團體是否也要說關島不屬於美國?

また、グアム島はアメリカの領土だが、グアムとアメリカの間には、マリアナ海溝がある。
それでも、グアムはアメリカ領だ。








就連中國一向主張擁有主權的南沙群島從大陸棚來看跟中國也沒關係。




台湾との漁業権問題

2012-11-17 | その他
再從地理位置看,與那國島離台灣比釣魚台更近,關係更是深厚,也是台灣漁民的傳統漁場,,要是釣魚台算台灣領土,請問夾在台灣和釣魚台之間的與那國島怎麼辦?

任何要把釣魚台當中國或台灣固有領土的證據都更適用於與那國島,為什麼中國只喜歡釣魚台卻偏偏放過與那國島??

如果要爭經濟海域,那台日重疊最嚴重的是與那國島才對。


与那国島は、釣魚島よりさらに台湾に近い島で、台湾との関係もさらに深い。
台湾の漁民は、与那国沖を伝統的漁場にしてきた。

もしも釣魚島が台湾の領土だとするなら、ではちょっとお聞きしますが、台湾と釣魚島の間に位置する与那国島は、いったいどうするのでしょうか?

中国や台湾は、釣魚島は我が固有の領土と、あらゆる証拠を出してきているが、
与那国島をどうして見逃すのでしょうか?



保釣人士宣稱如果釣魚台是日本的,台灣漁民將無法出海捕魚。可是日本跟韓國、俄羅斯也同樣經濟海域重疊。從日本對馬島西海岸,到韓國釜山東部的海岸,距離約50公里。如果各國都劃200海浬還得了,日本並沒有把經濟海域劃到台灣。

もしも釣魚島は日本の領土と公言すれば、台湾の漁民はもう出漁できなくなる。
日本はロシアや韓国に200海里の経済海域を定めているが、台湾には割り当てていない。




日本國領土
日本國領海(Territorial Waters:內水+領海12浬)
接續海域(Contiguous Zone)
經濟海域(Exclusive Economic Zone:200浬)
以外(公海、他國領海)
他國領土


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尖閣:漁業権、日台歩み寄り…周辺に共同水域、予備協議へ(2012年11月04日 毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121105k0000m010079000c.html


日本と台湾の間で再開に向けて進めている沖縄県・尖閣諸島(台湾名・釣魚台)海域の漁業権を巡る協議で、日台双方が相手側の許可を受けずに漁船が操業できる共同水域を設ける方向で歩み寄りを見せていることが、交渉筋の話で分かった。00年6月に発効した日中漁業協定では、北緯27度以北に共同水域である「暫定措置水域」を設置しているが、日台間でも、同様の水域を北緯27度以南に設置する可能性が高まっている。

 尖閣諸島の主権問題を巡り、日中の対立は早期解決が難しい情勢だが、日台は東シナ海の安定に向け共同歩調を取り始めている。日本には、台湾に尖閣共同防衛の呼びかけを強めている中国をけん制する狙いがあり、台湾側にも、長年の懸案である日台漁業問題の解決を前進させるメリットがある。

 日中漁業協定では、暫定措置水域の南側の尖閣諸島を含む北緯27度以南、東経125度30分以西を互いに自国の関係法令を適用しない「協定水域」としているが、実際には両国とも漁船の操業を規制している。日台の交渉筋によると、台湾に近いこの水域は将来、日台間で漁業協定を締結することを考慮し、日中間であえて明確な取り決めをしなかったという。

 共同水域の範囲については、日本側はより小さく、台湾側はより大きくしたい意向で調整は容易ではない。だが、日本の交渉筋は「過去の協議と異なり、日台共に漁業問題を解決したいという方向を向いている」という。

 台湾の交渉筋も漁業協定締結を目指して「長期戦は覚悟」と述べ、近く東京で予備協議を開きたい考えを示した。

序文

2012-11-07 | その他
尖閣諸島は長らく、無主の地(誰のものでもなく、どこの国の領土でもない地)であり、付近はカツオの好漁場として知られ、古くから琉球の漁民が漁をしていました。魚釣島や久場島には日本人が居住し、最盛期には248名もの島民が住んでいました。

中国は「明や清の古地図に釣魚島が記載されている」ことをもって、「尖閣は古来から中国の領土」と主張していますが、単なる海図に尖閣諸島が記載されているのは、航海の上で標識となる位置に点在していたためであり、中国の領土であった証明にはなりません。

明治28(1895)年、明治政府は、尖閣諸島が無主の地であり、どの国の支配権も及んでいないことを調査し、確認したうえで、日本領土に組み入れました。これに対して、どの国からも異議申し立ては行われませんでした。

ところが、1969年、国連の調査団が尖閣諸島近海の海底に豊富な油田がある可能性を示唆したところ、中国は翌年の1970年、「尖閣諸島は、古来より中国の領土である」と、突然、尖閣諸島の領有権を主張し始めます。

しかし、中国側の公文書や文献をみても、海底資源が発見される前の中国は、「尖閣諸島は日本の領土」であることを明確に認めてきたのです。

中国は今、日中に残る貴重な古地図や文献を次々に回収・処分し、証拠隠滅を図ろうとしています。このブログは、台湾の学者や世界中のネットユーザーたちが、貴重な証拠文献を後世に残し、今、中国共産党が13億の人民についている「嘘」を明らかにしようと、ネット上に公開した情報を集めたものです。

真実が明らかになったとき、中国13億の人民は、自分たちの本当の敵を知るでしょう。

中国共産党が行ってきた数々の真実を明らかにし、中国人民解放軍の正体を世界に明らかにすることで、中国の人民が、一日も早く本当の「自由」「人権」「民主主義」を手にすることができるよう、願ってやみません。