Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

台湾の地図には、釣魚島はずっと記載されてこなかった

2012-11-17 | 中国側の古文書・地図
保釣人士說1810年日本學者山田聯的[地球]輿地全圖圖將釣魚島塗成跟清國同色作為納入滿清領土證據,可是當時清國的領土庫頁島卻被塗成紅色。
滿清直到1860年與俄國簽署北京條約才失去庫頁島。



1810年の[地球]輿地全図では、釣魚島が中国大陸と同じ緑色に塗られている。

注目すべきは、このころ、清国領土だった樺太が、緑ではなく、日本と同じ赤で塗られていないこと。
清国がサハリンを失ったのは、1860年、ロシアと北京条約を結んだ時だ。

[地球]輿地全圖









保釣人士又提出1863年(同治二年)湖北巡撫胡林翼修的《皇朝中外一統輿圖》作為滿清將釣魚台納入版圖的鐵證,開始我看到他們所提出的圖有些疑惑。後來找到原本,才知道他們只是將《皇朝中外一統輿圖》的《大清一統輿圖 南七巻》 中,琉球到台灣北部畫有釣魚嶼、黃尾嶼的那一部分秀出來。

1863年に胡林翼が記した『皇朝中外一統輿図』の「大清一統輿図」には、釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼という中国名で、尖閣諸島の島々が記述されている。








經査清同治三年(1864年)武昌湖北官書局編制,為《皇朝直省府廳州縣全圖》套圖中的台灣沒釣魚台。

しかし、翌年、1863年に武昌湖北出版社が発行した『皇朝直省府廳州縣全圖』には、台湾に釣魚島の名前が記載されていない。




滿清末年光緒會典的台灣全圖沒有釣魚台。
清朝末期の『台湾全図』にも、釣魚島の名はない。






1878年刊行的《全臺前後山輿圖》,由當時臺灣最高官員:臺灣兵備道夏獻綸親自審定,當中沒釣魚台。
1878年に刊行された『全臺前後山輿圖』にも、台湾に釣魚島は含まれていない。



1892年刊行的《臺灣地輿全圖》,是清國第一次使用格林威治經線繪製的臺灣地圖。在〈全臺前後山總圖〉當中,北部外海的離島僅能看出基隆嶼。
1892年に刊行された『台湾地輿全図』は、清国が始めてグリニッジ緯度を使用した地図だが、台湾の離島として記載されているのは、基隆嶼だけである。



許多保釣學者喜歡拿日治時期地圖作文章,什麼顏色不同之類的。像這張地圖,日本將琉球、台灣劃在一起,難道保釣學者要據此說台灣是琉球的?



日本的南西諸島地圖沒畫釣魚台,難道就劃入台灣?








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