Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

序章 尖閣問題の歴史的経緯

2015-05-03 | 45の証拠
尖閣諸島は長らく無主の地(誰のものでもなく、どこの国の領土でもない地)であり、付近はカツオの好漁場として知られ、古くから琉球の漁民が漁をしていました。魚釣島や久場島には日本人が居住し、最盛期には二百四十八名もの島民が住んでいました。

中国は「明や清の古地図に釣魚島が記載されている」ことをもって、「尖閣は古来から中国の領土」と主張していますが、中国の海図に尖閣諸島が記載されているのは、単にその島が航海の目印となる位置に点在していたためであり、中国の領土であったからではありません。


一時期は古賀村という村ができるほど、多くの日本人が生活していた。(写真:外務省ホームページより)


1895年(明治28)年、明治政府は、尖閣諸島が無主の地であり、どの国の支配権も及んでいないことを調査し、確認した上で、日本領土に組み入れました。これに対して、どの国からも異議申し立ては行われませんでした。

ところが、1969年、国連の調査団が尖閣諸島近海の海底に豊富な油田がある可能性を示唆すると、中国は2年後の1971年、「尖閣諸島は、古来より中国の領土である」と、突然、尖閣諸島の領有権を公式に主張し始めます。

しかし、中国側の公文書や文献を見ても、海底資源が発見される前の中国は、「尖閣諸島は日本の領土」であることを明確に認めてきたのです。





明治28(一八九五)年1月14日の閣議で、尖閣諸島を日本の領土として組み入れることが正式決定されている










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