脳腫瘍に負けない!!闇を抜けて君に幸あれ 

48歳で脳腫瘍を発病したパパを応援する妻、ちぇぶの日記です。

日本沈没

2006-07-14 10:11:21 | 思うこと
日本沈没という映画が公開されますね。
先日ぽんちゃんがこんなことを言いました。
「ママ、明日日本が沈没するとしたら何する?」
「うーん・・・何するかなぁ?何にもしないかも・・・ただ家族そろっておいしいもの食べておしゃべりしてたいな。」
と答えました。
変な話ですが明日日本が沈没するならそれもいいかも・・・なんて思います。
もちろん子供たちには生き残って欲しいけど、私は・・・みんな一緒に消えてなくなるならいっそ気持ちがいいやなんて思っちゃう。
それに今日までの人生やりたいことできることは全部やってきたし
後悔はないわ
日本沈没でもテポドンでもかかって来いって感じ
なんていったら怒られちゃうかな。

決して投げやりな気持ちで言ってるんじゃないですよ。
明日で地球が終わるとしても後悔しないように生きている
っていうことです。ここに来てくれる人ってある意味みんなそうですよね。
そういう意味では私たちやっぱり幸せものかも

ちなみに私に質問を投げかけたぽんちゃんが何をするかというと
「もうつかまらないと思うから、ヨーカドーに行って好きなものを食べまくる」
だそうです。毎日ちゃんと食べさせてるのに~~まったくどこまで食い意地はってんだか
それにその状況でヨーカドーなあたり思いっきり小市民な小学生なのでした。
息子よ、せめて高島屋くらい言ってくれないか・・・


らしさ

2006-07-13 00:34:20 | 思うこと
「脳の病気になって一番失われていくのはその人らしさかもしれないなぁ。」
最近そんな風に思います。
話し方、歩き方、ちょっとしたしぐさなんかが違ってくるみたい。
最近の夫を見てると「あっパパらしい」と思うしぐさがちょこちょこ出てきました。
脱いだ靴のしまい方、いすの引きかた、つけっぱなしの電気を消して歩くところ、
子供たちと話すときの相槌なんかがとても彼らしいのです。
こういうことを感じると嬉しくなります。
でもこういうことを私が感じるということは今までがちょっと彼らしくなかった。
ということだとも思います。
逆に彼らしくないことが目に付いた日はやっぱり心配で心配でたまりません。
次のMRIまで1週間をきりました。この辺になるとどうにも落ち着かなくなってきます。
いつも以上に彼を見つめてしまいます。
現実逃避しようと思って買ったブレイブストーリー上中下3冊もあっという間に読んでしまいました。
あーんどうしようもないねぇ
明日(今日)も仕事に行って気をまぎらわそ~っと


チェブラーシュカ

2006-07-12 23:57:54 | 日記
今日は私の名前ちぇぶについて
チェブラーシュカって知ってますか?
ロシアのキャラクターなんですけど
私これが大好きでそれでちぇぶって言う名前にしたんです。

かわいいでしょ
なんかちょっとみすぼらしいあたりがつぼなんです。
私に似てるって言ううわさもちらほら・・・・
J医大病院でチェブラーシュカのぬいぐるみをかばんにぶら下げている
30代の女が居たらまず間違いなく私です。
声かけてくださいねぇ。

働くということ

2006-07-12 00:22:50 | 思うこと
去年の6月半ばから働き始めてやっと1年が過ぎました。
私、家から自転車で5分のファーストフード店でパート勤めをしています。
働き始めたきっかけは「家に一人で居るとろくなことを考えないから」です。
家族が会社や学校へ出かけてしまって一人になると、夫のことばかり考えてしまっていたんです。
寂しいからテレビつけるし、暑けりゃエアコンつけるし、不安になれば電話をかけて誰かと話をしたくなりました。
これってかなり不経済だし精神衛生上よくないことですよね。
夫が倒れる前はかなり忙しく責任もある仕事をしていたのですが彼の入院を機にやめました。一人で家に居ることになれてなかったんです。
毎日夫を送り出すことができて、通院にも付き添えて、何かあったらすぐ休める、私でなくても代わりのきく仕事を探しました。
そんな都合のいい仕事あるのかな?と思いながら近所を歩いていたらあったんです。
2週間毎のシフト制。1日3時間、週1回からOKというところが・・・
神様が私に与えてくれた仕事だと思いました。
時給は安いけどおかげさまで毎日充実しています。

ファーストフードなので元気に明るく大きな声を出さなくてはいけません。
おまけに笑顔は0円です。
ちょっと心配だなと思うことがある日でもニコニコ元気にいらっしゃいませ!
ってやってるといつの間にかほんとに元気になってくるから不思議です。
4時間の仕事が終わるころにはちょっと心配だったことも忘れていることが多いのです。
最初は気分転換にと思って働き始めたけど、今ではこの短い時間が一番自分らしく居られる時間になりました。おまけに働いた分お金がもらえるんですから。
感謝感激あられです。

あっそうそうこの仕事のほかにこの時期限定の仕事をもうひとつしてます。
それは小学校のプールの授業のお手伝いです。
うちの小学校は子供の数が少ないので先生の数も少なくて、人手が足りないんです。夏のプールの時期だけ監視員のお手伝いをしています。
明日はプールのほうです。楽しみ~
私暑いの嫌いだし泳ぐの大好きだから、プールサイドで見てるだけなんて耐えられなくて毎回先生に私も一緒に入っていい?ってお願いして指導と称してプールに入れてもらっちゃうんです。(ちぇぶは若いころスイミングの先生だったんですよ。)
学校のプールは時々虫が浮いてるけど子供たちと一緒に入るの楽しくて気持ちいいんですよ~。
あしたもだといいなぁ。
でも日焼けがしんぱいだぁ。去年の日焼けがまだ残ってるというのに・・・年をとると新陳代謝が遅い遅い

まあなんにしろ働くって素敵



私を支えた友の言葉

2006-07-11 00:33:42 | 思うこと
私が今元気で居られるのには忘れられない友の言葉があります。
知り合って20年、お互いが結婚して頻繁に会えなくなって10余年、会えるのは2年に1回くらいです。
でも彼女と会うともう空気が違うんです。何を言っても大丈夫。
どんな自分を見せても大丈夫な安心感があるんです。
夫の病気のことは誰にでも言える話ではありません。
下手に近所の友達に言えば私たち家族はたちまち可哀想な人たちになってしまいますから・・・それは困るんですよね。
いつも会う友達とはやはり今までと同じようにくだらない話をして笑いたいから。
でも一方ではすべてを話せる相手を切望していたりもします。
今回1年ぶりに会った彼女に大変だったこの1年の話を全部しました。
特に動じる風でもなく聞いてくれた彼女でした。
私は話せただけで気持ちが少し軽くなっていい友達を持ったなぁと感動しました。
遠く離れた家に帰った彼女からその夜メールをもらいました。
そこには
「本当に大変で本当に頑張っているのに、前と変わらない笑顔を見せてくれて
嬉しかったよ。」
と書かれていました。この言葉が私の心を救ってくれました。
私が笑顔で居ることを喜んでくれる人が居る。と思うと嬉しくて・・・
笑顔で普通に暮らすことがどれほど大変かをちゃんとわかってくれる人が居たことが嬉しくて・・・
彼女にこう言ってもらってから私はまた心から笑えるようになったのだと思います。
持つべきものは友ですね。



今までのことパート3をUPしました。

2006-07-07 00:53:27 | 日記
退院後から魔法の薬までしました。
今までのこと完結編です。ぜひカテゴリの「今までのこと」をクリックして
読んでみて下さい。
「魔法の薬」については残念ながら誰にでも「魔法」ではないようです。
その辺の葛藤があって今までなかなかUPできずにいました。ごめんなさい。
読んでコメントいただけたら大変うれしいです。

母を想う

2006-07-06 09:32:47 | 思うこと
私は小学校を卒業するころまで心臓が少し人より小さくて
そのためか体が弱くて、すぐかぜをひいてはなかなか治らず、
人のやらないような病気は片っ端からかかり、
いつも母を心配させていました。
中学に入るころには成長とともに心臓もごく普通になり病気なくなり
元気になりました。
しかし今度は自己主張の強い性格が災いし学校で激しいいじめにあいました。
まあそんなものには負けませんでしたけど。
高校から短大のとき異性に興味を持った私はBFと遊びほうけこれまた
母に心配をかけました。
夫と結婚するときも厳しい両親の愛がわからなかった私は
「こんな家早く出て行きたい!」
といって両親の厳しさから逃げ出すように結婚しました。
子供を生んでからもそうです。
わからないこと困ったことがあるたびに両親の助けをかり・・・
連絡するのは困ったときだけ、という感じでした。

そんな風にいつも私を支えてくれた母ももう70歳に手が届くという年齢になりました。
それなのに今度はパパの病気のことで毎日心配をかけている。
ほんとならもうそろそろ親孝行をしなければいけない年なのに
私はまだ母に心配をかけている。

今私は大変な毎日だけど、日々娘の心配をしている母も相当つらいだろうな。
ずっとずっと私の心配ばかりしてきた母に
少しでもいいでいい何の心配もない日々をプレゼントしたいな。
何の心配もなく一緒に旅行に行ったりしたいな。

こんな気持ちになれたのはパパが病気になって、
両親が一番の私の見方であることを思い知ったからでした。
こんなことにでもならなければ私は今でも親の愛を感じ取れない大ばか者の親不孝者であったに違いありません。

神様どうか母に幸せな日々をください

外来

2006-07-06 09:10:41 | パパのこと
おとといは2週間に一度の外来でした。
元気に帰ってきたパパの話を聞くと
入院中に同室だった方と会ったそうです。
その方も元気に回復していて今では運転もできるほどに
なったということでした。
一方もう一人同室だった方は車椅子になっておられたとのことでした。
複雑です。
同じころに入院していた友の回復はうれしいし、
逆の場合は落ち込みます。
昨日のパパは少し元気がないように見えました。
「何かあった?」と聞いても
「大丈夫だよ。」
と答えます。
私はパパの心の支えになってあげられてるのかなぁ?

宗教からのお誘い

2006-07-04 23:57:41 | 日記
いや~~PC復活一発目の話題がこれかいと思いますが
今日は心底まいったので皆さんにご報告です。
最近仲良くなったお友達が、この前足を痛めた子供に「私気功ができるのよ。」と言って気を送ってたんですよ。
やってもらった子も「なんだかあったかくて変な感じがする。」って言ってね。
子供は嘘つかないだろという思いもあり、「へーすごいじゃんわたしにもやって~~。」と母たちみんなで大盛り上がりになりました。
ひどい肩こりの私も当然やってもらうことに。
やってもらいながら話を聞いていると、どうやらこの方気功の力でご主人の病気も治したらしい。「ほんまかいな?」と思いつつ何でも自分で試してみちゃう私、黙ってられなくなっちゃって、
「うちの夫も病気なんだけど、治るかなぁ?」
ってつい言っちゃったんですよねぇ。
そしたら彼女、
「じゃまずちぇぶさんの肩こりからやるから時間のあるときにうちに来て。」
って言ったのでした。
子供関係のお友達の家だしほんとに治ったらめっけもんだしまぁ行ってみるか。
と今日行ってみたのよ。
そしたらさぁ皆さんご存知かしら?
彼女手をかざせばどんな病気も治るという有名な宗教、○光のひとだったのでした。
うかつでした。行く前に気づくよねふつうは。
家に帰って調べてみたら、かなり危ないカルト集団という評判もあり
ちぇぶ絶句危うく洗脳されるところでした。
もちろん宗教がいけないといっているのではありません。
宗教に救われることもあるでしょう。
信じるものは救われる、そうかもしれません。
単に私には向いてないということです。

本当の神様ならお金を払わなくたって、
信者にならなくたって、一生懸命祈ったら聞いてくれると思うんだよね。
ご先祖様だって自分の子孫に嫌がらせのようなことするわけないじゃん。
と思うんだ。
人の恐怖心を煽って信者にしようとする集団を私は絶対信じない。
でも思わず誘われてしまう心の隙が、というかそこに自らよって行ってしまう心の弱さが私にあったということですね。
本当に疲れて、まいって、落ち込んだ1日でした。
もちろんお誘いは低調にお断りしました。
彼女自身は本当に優しいよい人で、おそらく本気で夫を癒してくれようとしたのだと思います。
勧誘しているほうに悪意がないところがまた困ったもんなんですけどね。
しかし誘われるまま道場なんてところに行かなくて本当によかった。とほっと胸をなでおろしたのでした。
病との戦いで苦しいって言うのに、いろんなものがいい人の顔をしてやってくる。
見極める目を養わなければ

いろんな宗教を信じている方、もちろん信じるのはご自由です。
ただどうか私を誘わないでください。私にその気はありません。
そしてどうかお気を悪くなさらないでくださいね。