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枕草子の枕

気になる出来事

絵画の名前

2017年01月10日 | どうでもいいこと
昨日テレビのクイズ番組を見ていたら・・・


                

                     


これら喜多川歌麿、フェルメールの絵の名称は?という問題。

「ポッピンを吹く女」、そして「青いターバンの少女」!!と私は回答。


でも、正解は「ビードロを吹く女」と「真珠の耳飾りの少女」でした。

むむむっ、記憶違いか?

と調べてみました。





商品名:ポッピンを吹く女

歌麿の美人画の代表作「ポッピンを吹く女」は、美人画シリーズ「婦女人相十品」のうちの一つです。
ポッピンはビードロとも呼ばれ、江戸時代に流行ったフラスコ形のガラス製玩具です。


と複製画を売るお店の説明にこう書いてあり、またYahoo知恵袋には

喜多川歌麿の『ビードロを吹く娘』は『ポッピンを吹く女』とも呼ばれています。

と。

だからどっちでもいいんだ。




そして

フェルメールの作品は・・・こんな記事を発見。



フェルメール「真珠の耳飾りの少女」…実は「耳飾りは真珠じゃない」

17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールが描いた「真珠の耳飾りの少女」は、

美しい少女が口元に微かな笑みを浮かべるように見えるさまから「北方のモナリザ」

とも称される名画です。オランダのデン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する

「真珠の耳飾りの少女」は、日本でも人気高いフェルメールの中で、最も愛されていると言っても

過言でない名画です。現在では「真珠の耳飾りの少女」と呼ばれているこの作品ですが、

少女が身につけている「耳飾り」は、実は「真珠じゃない」というのが定説です。

この絵を所蔵するマウリッツハイス美術館も、「少女が身につけた耳飾りの大きさ

(天然真珠にしては異常に大きい)」や「歴史背景(大きな天然真珠は

フェルメールがモデルに身につけさせることができないような非常に高価なものだった…等)」

といった理由を挙げて、以前から「おそらく、当時流行っていたヴェニス製の安いガラス製

真珠風耳飾りだろう」と報告していました。

マウリッツハイス美術館が「真珠の耳飾りの少女」という名前を使うようになったのも

1995年以降で、それ以前は 「ターバンの少女(Girl with the Turban)」と呼ばれたり、

「少女の顔(”Girl’s face”)」といった名前で呼ばれていました。

「真珠の耳飾りの少女」と正式に名乗り始めたのも、(同名の映画が公開されたこともあり)

この名前が広まったのも、実はごく最近のことです。



自分で描いた絵にタイトルつけるって・・・。商品にするためにプロはするのか・・・。

でもフェルメールさんは付けなかったわけで

見た人が決めちゃったら、ガラスも真珠かぁ・・・

きもの・生け花探検隊~年末から年始にかけて~

2017年01月10日 | 日記
去年末、  

「白洲正子ときもの」展を見に云って参りました・・・



白洲次郎さんのカッコ良さもさることながら

正子さんのセンスの良さを堪能。

今度、武相荘も行ってみようね~。

白洲次郎氏関係の本は読んだことがあるけれど、正子さんの著書は何一つ読んでいなかった。

彼女の独特の「美学」に触れられた。

1月16日までやってます。是非。


以下、旧白洲邸・武相荘のホームページより

白洲次郎・・・兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。

第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。

戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。

高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で

「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。

百八十センチを超す長身、端正な顔立ち、英国流の洗練された身ごなし。

趣味は車と大工とゴルフ。そんな次郎を夫人・正子は「直情一徹の士(さむらい)」

「乱世に生き甲斐を感じるような野人」 と評しています。

「しょせん平和な世の中に通用する人間ではなかった」とも。

その生涯を貫いたのは「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という信念です。

「まことにプリンシプル、プリンシプル、 と毎日うるさいことであった」と正子は回想しています。

八十になるまでポルシェ911を乗り回した根っからの「オイリー・ボーイ」。

最後に残した言葉は、「右利きです。夜は左……」。

注射のため利き腕をたずねた看護婦に、そう答えたそうです。

勢いよく書かれた遺書にはたった二行

「葬式無用、戒名不用」とありました。






そして、明けて今年、 
          
 旧赤坂プリンスホテル跡地・紀尾井タワーにて 

草月流生け花「正月花」

 
              

ほんと草月流生け花、パワーがみなぎってますね~。



このビルの裏手に回ってみたら・・・

           
私の従姉妹が結婚式を挙げたチャペル、この建造物、残ってる・・・

って思ったら

1955年に赤坂プリンスホテルとして最初にオープンした別棟の洋館を利活用し、
建設当時の資料などを基に照明器具や外壁などの主要部分を当時の状態に復元。
新たに「赤坂プリンス クラシックハウス」としてオープンする。


とありました。



その後、ちょっと歩いて日枝神社へ初もうで。



会社の部署単位でお参りに来ている人々で賑わっていた5日。



隣接するキャピタルホテルのメインロビーの生け花も拝見させていただく。

建て直した新キャピタルホテル、初めて入りました。



旧キャピタルには、昔、父によく呼び出されて来たもんだ。

その当時の「李白バー」はキャピタルバーとなってました。



そして、興味津津探検隊二人は、この鬱蒼とした森の小道をさらに突き進むのであ~る・・・

    



さて、森を抜けたその先は


喧噪の街、赤坂TBS周辺。

今日はここ赤坂駅でお開きにしましたぁ。