今週から、息子は”14歳の挑戦”というやつで近所のト○タカ○ーラさんで一週間お世話になる。人気のある職種や事業所の場合、希望通りの所へ行けない場合もあり、毎年、多少のゴタゴタもあるらしい。僕の想像だが、本人よりも親がごねる事が多いんじゃないかな?あくまで想像だけど。
さて、この件で、親として”学んで欲しい事”を書類に書かなければいけないのだが、僕は、
『仕事と言っても、売る、造る、運ぶなんてハッキリと判るもんじゃなくて、世の中の仕事の大半は地味なもんだから、そういうことを学んで欲しいね。』
と呟いたところ、息子も嫁も、
『ブー、それは駄目。』
と口を揃える。”地味な仕事”というのが、差別を連想させるから駄目なんだそうな。
であれば、”目立たない”、”裏方の”、”成果が解りにくい”、”報われない”・・・・・・、どれもしっくりこないというか、どんどんネガティブなだけな表現になっていき、僕が書くのは辞めにした。
差別とか、そういうことじゃないんだけどね。言葉尻だけを捉えて差別だ、何だっていう風潮、良く無いと思うわ。綺麗な、当たり障りの無い言葉を並べる一方で、その実、変な差別意識が余計、強くなっているように思う。
仕事なんて、派手だったり、恰好良かったりするわけないだろう。地味な仕事、大いに結構だと思う。
地味な仕事、汚い仕事、辛い仕事、誰も認めてくれない仕事、そういうモン以外に何を学ぶのでしょう。
まっ、”武道必修”と同様、”14歳の挑戦”なんて、ポーズでしかないのだけどさっ。
趣味や嗜好は、どんどん多様化、細分化している反面、”正しい事の定義”が、(意図的に)画一化されてっているようで、気持ち悪い世の中です。