西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

二人で歩く その1

2016-11-03 21:23:36 | 神社 古代

最近、息子が諏訪大社へ行きたいと言う。彼が中2の時に連れていったことがあるのだが、あまり覚えていないらしい。まあ、そんなもんでしょ。彼も既に希望の大学に合格して、親的に入学金も払い込んであるのだが、高校の方針で補修やら模試やらは受け続けなければならず、土日が全て埋まっている。自分も、なんとなく土曜日は仕事しているし。そんなんで、”もう今日しかない!”っつうことで、二人で諏訪の地を目指しました。

四社(諏訪大社は、諏訪湖側に、上社・本宮、前宮、下社・春宮、秋宮と四社あります)を巡っても時間があることだろうし、守屋山も登っちゃえということで、今朝、二人で出発。

これが息子と二人で行く最後の旅になるかもしれません。

さてさて、諏訪大社。というか諏訪の地。ここは調べれば調べる程、興味深い地。諏訪大社のご祭神は建御名方神。所謂、国譲り神話で、武甕槌神と闘って負けて、出雲の地から諏訪まで逃げてきたとされます。神話は神話として、実際には稲作文化をこの地へ伝えた方という説もあり。ただ、一般的に縄文から弥生期にかけて大陸から稲作文化が伝わり、西の方から日本全土へ広がっていったイメージがありますが、長野周辺には伝わらず、そこを避けて東へ伝わったことが解っているらしい。要は、稲作文化を最後まで拒否した地らしいです。更に、建御名方神以前に、ミシャグチ神という土着の神を信仰しており、諏訪大社のご神体は守屋山。更に、この地で行われた神事が、旧約聖書の神事にそっくりで、”イサクのなんとか”というらしいが、そこで出てくる聖山がモリヤ山だとか。失われた10支族がぁ~みたいな話にまで飛躍してしまう。更に更に、古代、蘇我氏に宗教戦争で負けた物部守屋まで絡んだ話もあり、興味は尽きません。

そんなんで、オヤジの興味は尽きないのですが、息子は全然純粋な信仰心からです。彼は、来年より某大学の神道学科に進み、正統派神職を目指します。一部知人から、”オヤジが感化したな。洗脳しただろ。”と言われますが、120%、それはありません。そもそも、神職は、そういう家の子が代々継ぐものだと思っていたし、大学で階位を取って”就職”(正しくは奉職)するものだとは全く知らなかったので。神職に成りたくて、その為の進路を自分で探してきたのです。

まあ、影響は与えたとは思うけど。

なんで、守屋山、登りたかったんです、俺も息子も。

その前に、諏訪大社へ。まずは下社・秋宮。

ここは初めて。春に、春宮、本宮、前宮と参拝したので、僕は四社まいり達成です。今日は七五三のご家族が多かった。家族連れが多い場所だと、必ず”写真撮ってください”を頼まれますね。今日もでした。若い頃は、自分のこういう”なめられ感”が嫌で嫌でしかたが無かったのですが、最近は、まあ、いいかって感じですわ。

上社・本宮。息子は、ここでようやく以前に来たことを思い出す。次は、上社・前宮へ・・・、なのですが山登りでクタクタで、もう眠くて駄目ですわ~。ホントは、守屋山登山をメインでと思って書き始めたのですが、もう、無理。いずれ、その2、その3として書きます。  たぶん。

ともかく、結論は、山、なめんなよ!って感じ。疲れた~。



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