広田寛治のブログ

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「前期旧石器時代神話」の形成と崩壊に思う

2012年04月25日 17時01分58秒 | 読書メモ
竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』(講談社選書メチエ/講談社2011年)によれば、2000年11月までの20年ほどのあいだ、日本では「前期旧石器時代の石器」が多数発掘され、60万年前、70万年前から世界にも類を見ない驚異的な進化を遂げた原人が存在していたと信じられていたという。たとえば、宮城県馬場壇遺跡は13万年前の住居跡で、ヒトはそこでナウマン象やオオツノジカなどを狩猟し、石器で皮を剥がして解体し、簡単な小屋の真ん中で焚火をたき、獣の肉を調理していたという姿が想像図として描かれたりもしていたのだ。
ことの発端は、1949年の岩宿遺跡の発見によって、日本にも縄文時代(新石器時代)以前の旧石器時代の歴史があったことが明らかになったことだ。それ以降、日本の旧石器時代の起源を確認すべく、功をあせる「学者」たちによって、前期旧石器時代遺跡の発見競争が勃発。不幸の始まりは学者たちが唯一の資料である「石器」を分析する目をもっていなかったことである。そんななか、1970年代半ば以降、あるひとりの「考古学マニア」が前期旧石器時代の遺跡を次々と発見・発掘し、「学者」がそれを追認し、自然科学者の「科学」的な年代分析によって裏づけられ、それを新聞やテレビが世紀の発見として大々的に報じ続けることによって、しだいに既成事実化されていき、やがて一部の遺跡が国指定の文化財になり、教科書にも記載されるまでになっていったのだという。地道な石器分析に取り組む研究者からは、石器の時代考証に決定的な間違いがあることが指摘されていたようだが、そうした声は成果や名声を求める権威的な学界の構成員によって抹殺されていったのだ。だが、最初の発見から20年。良心的な研究者の叫びに耳を止めたひとりのジャーナリストによって「石器発見者」による石器の捏造の瞬間がスクープされ、彼の発見した旧石器時代の石器がすべてニセモノだったことが発覚する。
世界に誇る日本の旧石器時代像は、じつは「考古学者」と「科学者」と「発見者」による「捏造」で、それを「マスコミ」があおることで「旧石器時代神話」が生み出され、国家による権威づけと国家的規模での教育によって「ウソ」が拡散され、国民はそれを信じ込まされてしまっていたのだ。
この事件の顛末、学者や科学者に「御用」の文字を冠し、発見者を「ムラの住人」に置き換えれば、「原発安全神話」の形成と崩壊にどことなく似ているように感じるのは気のせいだろうか。違うのはニセモノの「石器」騒動は日本の学界が世界の笑い者になるだけのことだったが、「放射能」はヒトの命や地球の生命に少なからぬ影響を与えることだろう。人智の及ばない自然や生物などに関する「科学」は常に仮説と検証の過程にあるに過ぎないこと、さらには人が作り出す権威や常識には巧みにウソがかくされている可能性のあることを常に忘れないようにしなければならない。



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