筋金入りのパニック障害。
同じ所をグルグルして
生きてます。
趙之謙さんは
勢いよく
パワフルに
スピーディーに
書いていらっしゃったのだ。と
思い込んでた?私。
今日、
臨書している時に
ゆっくり運筆しないと
書きにくい箇所が出てきて、
今までは
ガガガガ
ゴゴゴゴ突進!
って感じで書いていたのが
間違いだったかな?と思った。
そうだ、
ゆっくり
ゆったり
書いてみよう。
何か分かるかもしれない。
金比羅ふねふね・・の唄にある
シュラシュシュシュの
意味が知りたい。
シュラは農業や林業で使う
大石などを
上から下へ落とす運搬道具で
修羅と書く。
また、仏教界では
阿修羅が常に帝釈天に
戦いを挑んでいたことから
修羅の上に大石(タイシャクとよむ)
が乗り下へ突き落とすという
意味があるらしい。
ほほぉー。
そして阿修羅といえば
興福寺の阿修羅像。
光明皇后が自分の子と母の死を
弔う為に作らせた。
普通、阿修羅は執着による
怒りや苦しみに満ちているが、
この阿修羅像は
悲しみの表情を浮かべていて
引き込まれてしまうなぁ。
光明皇后といえば
楽毅論だが
そこには行かず
宮沢賢治の春と修羅に行った。
ネット検索を繰り返すうち
何か一周グルッとした感があるな。
月日が経つのは早いもの、
鄭義下碑の臨書練習も
今月提出すると終わりである。
見事に鄭義下碑課題も一発屋。
1回目こそ書道本に載ったけど、
いつものように
毎回順位が後退していった。
これでいいのか!
引続き練習して
随意に提出しよう!という
軽い決意は
次の課題が始まれば消える。
ふぅー。
次の課題は
光明皇后の楽毅論。
力強くメリハリがあり、
苦手な課題だ。
師匠にも常々
メリハリが書けるようになれば
一歩前進できると
指導されているから頑張ろう。
奎星会から頂いた法帖。
ん・・・えっ・・?
中を開いて、
ほぉー。
すみません。
まず、
どなたが書かれたのか
分かりません。
月曜日に師匠から
ヌキナスオウの法帖だと
教えて頂くまでは、
「菘」が読めなくて
検索も出来なかった。
この時、隣で相方が
聞き間違えか
ヤキナス?
ヤキナス?と言ってくる。
繋げんなよ、
ヌキナ・スオウだってば。
師匠のお話で
70歳過ぎて
書の頭角を顕した人と伺い、
当時は70歳過ぎまで生きる事も
珍しかったんじゃないかと
驚いた。
菘翁は門下生に言ったそうだ。
拓本は原書の持つ筆のかすれや
割れなどが消えている
干魚みたいなものだ。
干魚を見て生魚を想像して
練習しなければならない。
そうか、
私が書いているのは干魚だな。
どっちかというと
干魚の方に重きを置いていた。
と、考え込んでる横で
ヤキナス?
ヤキナスんがーろ?
まだ言うか。
お気に入りの額。
書道店で処分品なのか
安く売っていて、
書道店に行く度に
いいなぁ
いいなぁと
ちょっとモダンな感じのする
この額を眺めて
行ったり来たり。
何ヵ月か経って
半紙サイズか・・
小さいサイズだし
この額に合う作品が
そのうち書けるかも?と
安易な考えで購入したが。
ところがドッコイ。
いつまで経っても書けない。
このステキな額は
私の下手くそな作品を
受け入れない。
断固拒否。
額が勝ち、
作品負ける。
もしかして
額の個性が強すぎるのか?
その個性相当の作品を
待っている?
だから売れ残ってた?
知らないでって言うか
安易に買っちゃダメだったんだよ。
考えた結果、
何も入ってない
この状態が
一番ステキだという事がわかった。